十二.蛇が睨む
譚 敬徳は宙を睨み、ギリリと歯噛みした。
明け方、遠縁にあたる林家の当主・将威の捕縛の報に、敬徳は文字通り叩き起された。将威が命じた不正に関与した末端の官が捕らえられ、罪を洗いざらい告白したというのだ。その自供、及び決定的な物証――それが何かは秘匿されているが――から、将威も逃れることが出来なかった。
(まったく……なんということをしてくれたのだ)
多少の役得は誰もが望むことであり、敬徳自身も当たり前のように手にしてきた。だが、下手を打って摘発されるなど、あってはならないことだった。
幸い、将威は入り婿だ。譚家を守るためにも、敬徳は血の繋がらない縁戚を早々に切り捨てることを決めた。その日の昼には再従妹に離縁を命じ、将威が掠め取った額と同等の金銀宝玉を国に納めさせている。
慌ただしく過ぎ去った一日、すでに陽は暮れ始めていた。足元に蹲る息子を見下ろし、敬徳は吐き捨てる。
「……奴らと関わっていたという証拠は、掴まれていないだろうな」
裸の背に幾筋もの打擲の跡を付けた息子――青澄がビクリと肩を跳ね上げた。彼の目線の先、敬徳の足元には、血濡れの鞭が転がっている。
息子は将威に担がれ、彼の部下の集まりに度々顔を出していた。敬徳は常々、将威の危機管理能力の薄さに懸念を抱いていたが、息子にその嗅覚はなかったようだ。
青澄は不正そのものに加担していなかったものの、調査が行われていた形跡はあった。このようなつまらぬ罪への関与を疑われるなど、恥さらしにも程がある。
(三十過ぎになってまで、教育が必要なのか……)
名門・譚家の跡取りとして、幼い頃から大切に育ててきた。物分りの悪い息子に時に厳しく当たることもあったが、それは全て期待と愛情の現れだった。その息子の背に残る新旧の鞭打ちの痕跡を見下ろし、敬徳は重い息を吐く。
「高に寝返った御史台が誰か、調べておけよ。譚家に唾を吐いた者を、決して許すな」
「……分かり、ました」
力なく答える息子を振り返りもせず、敬徳は足音も荒く折檻部屋を後にした。
身内が不祥事を起こしたとあって、敬徳は自主的に謹慎を行うことを決めていた。だが、頃合いを見計らって、釈明と機嫌取りに出向かねばならないだろう。誠に業腹ではあるが、あの若造は皇帝だ。万が一の間違いで、敬徳に歯向かわれては面倒だった。
(――しかし、此度のこと、本当に高の差配なのか?)
ふと足を止め、敬徳はじっと黙考する。
高 修遠は優秀だが慎重で、何より荒事を嫌う男だ。このような派手な捕り物を、本当に彼が企んだのだろうか。
伏魔殿である朝堂で長年生き抜いてきた彼の勘が、言いようのない違和感を訴えた。まだ青く、若い策略の気配――そんなものを嗅ぎ取った気がして、敬徳は眉間に皺を寄せる。
「……調べてみるか」
一人呟き、敬徳は赤く染った廊下を再び歩き始めた。
「ご機嫌ですね、陛下」
いつぶりかと思うほどの、穏やかな昼下がり。いつものように茶杯を傾けながら書面に目を通している智晶に、元祐はそっと声を掛けた。
智晶は微かに目を上げたが、何も答えず決裁書類に筆を走らせる。言葉がないのは、それだけ彼の機嫌が良い証だ。元祐は微笑ましい気持ちで、そんな主君の姿を見守っている。
今まで官僚たちが好き勝手にしていても、為す術なく歯噛みするしかなかった智晶が、譚氏の身内の罪を暴いた。朝堂に与えた動揺と衝撃は強大で、早くも智晶に擦り寄る気配を見せる官僚も出たほどだ。もちろん智晶はそんな輩に見向きもしなかったが、確実に何かが変わり始めている。
(……ただ、浮かれてはいけない。変化は良くも悪くも連鎖を起こす)
元祐は小さく息を吐き、目を伏せた。派手な行動を起こした結果、目をつけられることも増えるだろう。気を引き締めていかねば、次に足元をすくわれるのは元祐たちかも知れない。
すると、彼の憂いを感じ取ったのか、智晶が目線を合わせぬまま呟いた。
「……異変があれば、すぐに報告しろ。部下からも
目を離すなよ」
元祐は瞬きを繰り返す。以前、勇伸を優先しようとした時に激怒されたことは、記憶に新しい。こうして気遣ってもらえるということは、彼も勇伸たちを受け入れてくれたのだろうか。だとすれば、非常に喜ばしいことだ。
智晶が嫌そうに顔を顰め、手を止めて元祐を睨みつけた。
「何が言いたい」
「……いえ。そのうちまた、勇伸を連れて参っても良いでしょうか」
躍る気持ちで言った元祐に、智晶は盛大な舌打ちを見舞った。
「言っておくがな。俺が認めているのはお前だけだ。そのお前が連れて来たから、仕方なく――」
「ふふ、ありがとうございます」
「~~なんなんだ、その笑みは! 俺に拾われたくせに!」
よく分からない八つ当たりを受け、元祐はますます笑み崩れた。不器用で少々感情の重い主君だが、本当の彼は大らかで慈悲深いひとだ。「大体、有り得んだろう偽造貨幣とか。一歩間違えれば俺まで首が飛んでいた」だの、「忠誠を誓うべき主君を放って、部下に配慮とは良い度胸だな。どうせ俺はお前にとって、鬱陶しい主人なんだろう」だのと悪態をついている智晶に、元祐は改めて向き直った。
「……陛下も、くれぐれもお気を付けください。今後、譚宰相は警戒し、場合によっては反撃を仕掛けてくるでしょう。御身は全力でお守りしますが、ご自身でも……」
「俺を守るのは、お前の仕事だろう。怠けるな」
ぷいっと目線を逸らす智晶の白磁の頬がわずかに赤く染まっており、元祐は思わず笑ってしまった。
そして、次の瞬間には表情を切り替え、元祐は声を潜めて続けた。
「譚氏とは別のところで、例えば、工部の官僚の不正などもありました。今後もきっと、不逞の輩は後を絶たない。……どうか、決断をくだすべき時に躊躇われませんよう」
その相手が例え、姜 元祐であったとしても。
重々しく告げた元祐に、智晶は何か言いたげな目線を向けてくる。だが、彼は何も答えず、再び書類に向き直った。
第三章です。
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