十.刃を研ぐ
数日後、元祐は「陛下と閣下に極秘で相談がある」と翰林学士承旨・高 修遠に持ちかけた。彼は終始渋い表情を浮かべていたが、最終的には応じ、今日、宸明殿の一室でその場を設けてくれたのだった。
じっと頭を垂れて待つ元祐の前で、皇帝・汪 智晶が黒檀の重厚な書き物机に腰を下ろし、その脇に修遠が立つ。智晶は「面を上げよ」と素っ気なく元祐に命じ、気怠げに机に肘をついて言った。
「――で、どう動く気だ?」
(……さすがは陛下)
元祐は思わず、内心で苦笑してしまう。いまだ苦い顔の修遠にちらりと目をやったあと、彼は表情をキリリと切り替えて口を開いた。
「……ふざけるな!」
元祐が進言を終えた直後、修遠が顔を真っ赤にして声を荒らげた。その音量に顔を顰めた智晶に睨まれ、修遠は慌てて声を潜めたものの、信じられないものを見るような目で元祐を睨みつける。
「そんな策、認められるか! もし失敗すれば……、いや、たとえ上手くいったとして、ことが露見すれば陛下のお立場はどうなる!? 第一、そのようなやり方で得た証拠など……」
「……お言葉ですが、閣下。我らは御史台ではありません。正式な調査権限も持たず、尋問も出来ないとなれば……ものを言うのは証拠のみ」
真っ直ぐな目で見つめる元祐に、修遠は憤怒の表情で拳を握り締めた。噴火寸前の側近を、しかし智晶が涼しい顔で制する。修遠は狼狽えたように瞠目した。
「陛下……!」
「騒ぐな。――勝算はあるのか? 信よ」
珍しく名で呼ばれ、元祐は目を瞬かせる。けれど次の瞬間には真剣な眼差しになり、大きく頷いてみせた。
「彼らは贅沢に慣れ、身の丈に合わぬ散財を繰り返しています。けれど、汗水垂らして働いて得た金を豪遊に浪費するとは思えないのです。……ならば、その泡銭も早晩、行きつけの店で撒き散らすことでしょう」
「その『泡銭』とやらが、直接業者とやり取りをしている会計係で留まる可能性はないのか?」
元祐の放つ熱に呑まれることもなく、智晶は冷静に返す。しかし元祐もまた冷静に、確信ありげに堂々と言った。
「上官への上納金に、身銭を切るとは思えません」
「……それもそうか」
ふむ、と顎に手を添えた智晶に、修遠が泡を食った様子で言い募る。
「陛下、冷静におなりください! こんな……毒を以て毒を制すようなやり方は……!」
だが、智晶は必死の叫び声には反応せず、あくまで淡々と元祐のみを見据えて言った。
「その刃は、林まで届くか?」
「陛下と、高承旨のお力添えがあれば」
「……良いだろう。その博打、乗ってやる。ただし、余の手を煩わせる以上、失敗は許さん。万が一の時は……分かっていような?」
ニヤリと頬を歪めた智晶に、元祐はほっとしたように小さく息を吐いた。その様を見、修遠はパクパクと口を開いては閉じてを繰り返している。皇帝本人が乗り気な以上、生真面目な彼にこれ以上反論の言葉を述べる選択肢はない。
一方の元祐は、智晶の言葉に潜む意味に思考を巡らし、ぐっと手のひらを握り込んだ。
策が当たらず成果が出なければ、逆に罪に問われるのはこちらだ。そうなった場合、責任を取るのは元祐一人。
(大丈夫です、陛下。功は皆に、責は私に。心得ております)
覚悟を決めて頷きを返せば、智晶は何故か訝しむ表情を浮かべたが――すぐに平素の冷え冷えとした無表情に戻り、修遠に向き直って命じた。
「詳細は高承旨が確認せよ。言っておくが、余は作戦成功以外の報告を聞くつもりはないからな」
「……御意」
二人分の視線を受け、修遠は頭を抱えながら、力なく応じた。
退出間際、元祐はふと足を止めて振り返った。その視線を受け、今日も山積みになっていた決裁書類に目を通していた智晶が、顔も上げずに応じた。
「……なんだ?」
「陛下。確認ですが……、林氏までは、刺し貫いてよろしいのですね?」
探るような元祐の言葉に、智晶は何も答えない。だが、それが答えだと、元祐は無言で受け止めた。
今まで智晶は官僚たちの不正の証拠を集めさせるに留め、その罪を公にすることはなかった。糾弾したとて、その穴を埋める手立てが自分にないとも理解していたからだ。
だが、これほど大掛かりな作戦を決行する以上、のちにこちらが不利な立場に追い込まれないためにも、彼らの罪は白日のもとに晒さねばならなかった。
そして、その矛先を向けるのは林氏までだと彼は言う。――すなわち、譚宰相の息子・青澄は見逃すということに他ならない。
(縁戚の林氏までなら、決定的な証拠があれば、譚宰相は無理に庇うことはないと思う。けれど、息子まで狙おうとすれば、彼を全面的に敵に回すことになる。……それはまだ、無理だ)
罪を見逃す。本来ならそれは智晶にとって、許し難い行為だろう。だから、彼に明確に言葉にさせる必要はない――させてはいけない。元祐が理解し、そのような作戦を立てれば、それで。
智晶はだから、何も言わない。目も合わせない。元祐は満足気に微笑み、そっと頭を上げて踵を返した。
二人並んで御前を辞した元祐と修遠は、人目につかないようひっそりと、翰林学士院に戻った。承旨の部屋に足を踏み入れた瞬間、修遠が感情を爆発させて、冠を外し頭を掻きむしり始める。
「まったく、まったく……お前は!」
(陛下のご裁可があるから何も言えなかったけど、そりゃあ、腹も立つよな……)
真っ当な官僚である彼には、許し難い作戦だろう。元祐は苦笑し、無言で頭を下げた。
修遠はちらりと元祐に呆れた目を向け、盛大に溜め息を零す。
「……お前、陛下の仰っていることの意味、本当に理解しておるのか?」
元祐はぱちばちと瞬きをする。どの言葉のことを言っているのか――きちんと意思疎通は成立していたように思うのだが。
要領の得ない反応に感じたのか、髪を振り乱した修遠は声を荒らげた。
「『失敗は許さない』と仰った、あれだ! そなたは……」
「ああ! 大丈夫です。陛下のご下命に従い、決して、陛下と閣下にご迷惑はおかけしません」
雲の上の立場の目付け役を、元祐は真っ直ぐに見つめて大きく頷く。しかしなぜか修遠は言葉を失い、まじまじと元祐を見返した。
(……あれ?)
しばらく絶句していた修遠は、やがて腹の底から溜め息を吐いて右手で顔を覆う。
「お前なぁ……」
「か、閣下?」
珍しく砕けた態度の高官に、元祐は戸惑いを隠せない。修遠はガクリと肩を落として自らの席に腰を下ろし、元祐を睨み上げた。
「……いや、教えてやらんぞ。陛下の御心を振り回している罪は、きちんと償ってもらう」
「は、はぁ……」
「陛下は、――殿下は、幼少のみぎりから素晴らしいお志を持ち続ける、誰よりも聡明で慈悲深い御方だ。私は誰よりもお傍に仕え、お支え申してきた。それをお前のような訳のわからぬ輩に……、陛下は自らの御身まで危険に晒し、お前を案じてあのようなお言葉まで……! おのれ、許さん!」
意味が分からない。
元祐は呆気に取られつつ、恐る恐る声を掛けた。
「あの……、とりあえず、落ち着かれた方が……。忠延殿の耳に入れば、閣下もあらぬ誤解を……」
「誰のせいだと思っておる、この局地的朴念仁がっ!」
くわりと吠える、自分の父親とすら言える年齢の高官に、元祐は何も言えずに呆然とするしかない。修遠はまた溜め息を吐き、「……作戦の詳細を詰めるぞ」と力なく呟いた。
次話も明日20時更新です!




