八.深く潜る
(派手な飲み方してんなぁ……)
上司である元祐に用意してもらった上等の衣服を纏い、有名飯店に潜り込んだ呉 勇伸は、隣の個室で繰り広げられるどんちゃん騒ぎに眉根を寄せていた。
火薬の仕入を誤魔化し、差額を着服している疑いのある、枢密院会計係を調査している最中のことである。その金が最終的に簽書枢密院事・林氏に流れているとのことで、勇伸は証拠を掴むべく、関係者に張り付いていた。
林氏ほどの高位官僚となれば、利用する店も身に纏う物も、庶民には到底縁のないものだ。しかも、大抵特別室を用意されているため、近付くのも容易ではない。勇伸は仕方なく、会計係から林氏までの間に居る人間の懐具合から探っていた。
大声で騒ぎ続ける面々の様子を伺いながら、勇伸はちびりと酒杯を舐める。ちなみに、こんな高級店で一人飯など不自然極まりないため、知人と待ち合わせを装っていた。頃合いを見て、変装した朗月が店にやって来る予定だ。
(やっぱり姜郎中、何か様子が変だったよな……)
十日ほど前に、衣装と調査費用――高級飯店で飲み食い出来るような収入は、勇伸にはない――を用立ててくれた、上官の元祐の姿を改めて思い出す。あの日、彼はいつも通りの穏和な笑みを浮かべていた。それでも、ごくわずかな目線の動きや背筋の伸ばし方など、違和感を与えるには十分な普段との違いが、勇伸には見えていたのだ。
(俺も大概、ヤバい奴なのかもな……。陛下と郎中のことを笑えない)
不敬な物思いに浸るくらいには、酔っているのだろう。勇伸は気を引き締め、彼らの会話を目立たないように書き留めつつ、自身の半生に思いを巡らせた。
呉 勇伸は、亮国南西部の片田舎の農家の長男に生まれた。
実家は豪農と呼べるほどではないが、広い田畑を所有し、人を雇って鍬を入れさせる余裕はあった。勇伸も幼い頃から神童として名を馳せ、自身も科挙に及第して中央で名誉を掴むと信じて疑わなかった。実際、第二試験まではそこそこの成績で順調に合格していたのだ。
だが、田舎の神童は中央に出てみれば、よくいる聡明な男児に過ぎなかった。おまけに、勇伸の受験を支える実家の金も底を尽きかけた。
当時、勇伸は二十四歳。まだまだ諦める年齢ではなかったが、幼友達が皆家を継ぐ準備を始め、次々に家族を得ていくのを見、筆を置いた。彼は方々に頭を下げ、地元の名士の伝手を得て、下級官吏として宮中に滑り込んだ。
出仕し始めて二年が過ぎた頃、新たな上司として赴任してきたのが元祐だった。それは、紛れもない僥倖だったのだと、今ならば分かる。
はじめは勇伸も、よくいる恩蔭の官として蔑みの目で見ていた。だが、元祐は数少ない、まともな官僚だった。そんな彼が時折見せる不審な行動には疑惑を持ったが、それも密命を帯びていたためだと後に知った。
やがて元祐に引き上げられ、気づけば勇伸も「礼部司員外郎」の役職を戴いていた。
(いち胥吏として、人生で何も成せないまま終わるのだろうと諦めていたのに――。あの方が、道を照らしてくださった)
だから勇伸は、元祐のため、そして彼が敬愛する皇帝陛下のため、日々を腐らずに生きようと決意したのだ。
「……いやぁ、しかし、良い万宝槌を拾いましたなぁ!」
「本当に。坊ちゃん陛下がこの太平の世に何を血迷ったか、武器の開発や装備にも関心を向けてくれるお陰です」
(……あ?)
回想から醒めた勇伸は、思わず内心でドスの効いた呟きを漏らし、片目を細めた。
「あの世間知らずが余計なことをしでかさない限り、この大亮国に攻め入る馬鹿もおるまい。政は宰相閣下や侍郎殿に任せ、後継を成すことに専念してくれれば……。ねぇ?」
「いやはや、おっしゃる通り!」
酒が進むあまり声量の調節機能を失ったのか、隣室の面々は下品な大声で笑いこけている。壁に身体を寄せてそれらの発言に聞き入っていた勇伸は、苛立ちに顔を顰めた。
(お前らなんぞに政治任したら、国が滅ぶわド阿呆が。てか、どこの侍郎やねん。さっさと名前言わんかい)
日頃封印している方言が丸出しになっているあたり、勇伸もそこそこ酔っている。聞き拾った単語を、手元に隠していた帳面に荒い筆致で書き付けつつ、勇伸は軽く舌打ちした。
するとその時、彼の怒りに応えるように、一際呂律の怪しくなった男が声を張り上げる。
「……しかし、宰相閣下もそろそろ良いお年です。そろそろ、ご子息に位を譲られることも検討なさっているのでは? お父上の跡を継がれるのは――」
「葉郎中!」
慌てて制止の声を上げたのは誰だろうか。待ち望んだ人物を特定する発言に、勇伸はニヤリと頬を歪めた。
(よっしゃ)
宰相閣下、子息、父上。それらの単語が示すのは、宰相・譚氏の息子、譚 青澄だろう。父親の威光を存分に浴び、若くして戸部侍郎に就任していた。部下の一人に、確か「葉」という姓の郎中がいたはずだ。
(酒の席での発言だけでは、何の証拠にもならん。ただし、上手くいけば林簽書への流れより、遥かに大きな武器になる)
元祐の指示を受け、二十日あまり。終業後の時間を全て、調査に費やしてきた甲斐があった。次は物証を――と気が急くが、勇伸は奥歯を噛み締めて自分を抑え込む。
(焦りは禁物や。俺が下手打ったら、巻き込まれる人がようさんおる。……元祐様に、迷惑は掛けられへん)
朗月と合流するまで、変装の通り、食事を楽しむ優雅な貴族の子弟の振りをしていよう。今後のことは明日、元祐に指示を仰ぐまで、絶対に無理はしない。
勇伸はいかにも酒に酔った風情を装って立ち上がり、部屋の外に声を掛けた。「連れがなかなか来ないので、食事の追加を」と申し出ると、対応した給仕女がにこりと微笑む。
しばらくしてようやく現れた、貴族の放蕩息子の振りをした朗月を捕まえて、勇伸はいかにも脳天気な振る舞いを続けた。
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