クワイエット・アーケード - 5
頭上に非常口の表示がある扉を潜った先は、非常通路などではなく、ただの別の部屋だった。
ただし、さっきまでのエントランスよりと違って明るい。頭上に照明などがあるわけではなく、上を見ても真っ暗なのだが、なぜかその空間がどういう場所なのかや互いのことがよく見えた。現実ならこれといった光源はないのに不思議だが、仮想空間なので不思議に思うことはないか、と栞は自分を納得させた。
六人の中で最後にその部屋に足を踏み入れたのは〈ルカ〉だった。彼女がその躰を完全にエリアの中に入れたとき、入ってきたはずの扉は消失した。
入ってきた(今は消失した)扉を背にして見た正面に、両手を広げたくらいの幅の道があった。だがよく見てみると、道というよりも橋と言った方が正しい。五十メートルくらいの長さの、手摺りのない橋が、底の見えない奈落の上に掛かっている。その橋の向こうには、何か台座のようなものがあった。栞は特別に目が良いわけではないが、何か赤いボタンのようなものが備え付けられているように見える。
「これじゃない?」と〈ルカ〉が指差したのは、入ってきた場所を背にして左にある扉だった。扉には大きく、分かりやすく、赤いバツの印が出ている。
「この橋を渡って向こうまで行って、あの台座にあるスイッチを押して戻ってくれば、この扉が開く──そんなとこか」と〈ベリアル〉が言った。栞もだいたい同意見だった。
「こんなの誰が行っても簡単でしょ。さっさと行かない?」と言ったのは〈眼鏡〉だった。「何なら俺が行こうか?」
確かに〈眼鏡〉の言う通り、両手を広げられるほどの幅の橋を行って戻ってくるだけなら簡単そうだった。何人かで渡らなければいけないという感じもない。スイッチはひとつだし、扉もひとつだ。あるとしたら、どんな罠がありえるだろうか──と、栞は考えた。
「──ちょっと、念のため、確認させてください」と彼女は言って、五人の前に出て、橋の上に片足をそっと置いてみた。
すると、
とてもチープな、ゲームが始まりそうな短いメロディが鳴った。
それまで無音だった空間に、場違いなほど明るく、また同時にチープな電子音のメロディが鳴るというのは、雰囲気に対してあまりにも不協和が過ぎ、そして不気味だった。
思わず栞も足を止め、何が起こるのかと辺りを見渡す。
頭上──暗闇の向こうで、何か大きなものが動いて、近づいてくる音がする。
「あれって──」と、〈巫女猫〉が言う。「危ないにゃ!」
その声に反応するように、栞は全身を橋から引いた。
さっきまで栞がいたところに、真上から、巨大なロボットアームが降りてきた。
クレーンゲームで見るような、巨大なロボットアームだった。
栞がいたところで空を掴んだロボットアームは、そのまま上に昇り、また遠ざかっていく音を残して六人の視界から消えた。
「あれをかいくぐって、スイッチを押して、ここに戻ってくる、ってことね。ゲームセンターらしくなってきたじゃない?」と〈渦巻うず〉が、誰もが既に理解していたこのエリアの『課題』を整理した。「それで、誰がやる?」
「それを決めるためのアプリなんだろこれが」と言って〈眼鏡〉が手に入れたばかりのスマホを取り出した。「さっさと決めようぜ」
「──それなんですけど」と栞が言葉を選びながら言う。「この六人のプレイヤーの中に、運営側のプレイヤーが交ざっているって話だったじゃないですか。そのプレイヤーって、何が目的なんでしょうか」
「は? それ今関係ある?」
「まぁまぁ」と〈ルカ〉が印象の良い笑顔で間に入る。「あるかもしれない──そうでしょ、〈しお〉?」
「はい。あの、このゲームって私たちの行動とか振る舞いに関するデータを取得しているわけじゃないですか。となると、運営側は、純粋なプレイヤーの、色んなデータが欲しいはずですよね」
「そうだろうね」と〈ベリアル〉が相槌を打つ。「──そうなると、例えば話し合いとかで運営側が自らリスクを負う当事者になるのは避けたいよな」
「そうだと思います。だとすると──」
「──にゃるほど、このアプリは運営が用意したものだから、運営側のプレイヤーが選ばれなくなっている可能性もあるのにゃ」
「はい」と栞は頷いた。「つまりこのアプリを使うと、純粋なプレイヤーだけがリスクを負うかもしれない。──まぁそもそも、運営のプレイヤーはゲームに失敗してもリスクがないらしいですが……」
「でもさ」と〈眼鏡〉が話を割った。「本当はこのアプリが本当にランダムで、あんた──〈しお〉が運営の人間で、ランダムで選ばれたくないからこの話をしてるって可能性も、あるよな?」
それはその通りだった。
もちろん、栞本人は、自分が運営側でないことを知っている。
私は、普通の高校に通う、普通の女子高生だ。
しかし〈眼鏡〉がそのように考えて自分を疑うことも、俯瞰して見れば、理解できる範疇の反応ではあった。
「──もちろんです。ただ、信じてもらえるかは分かりませんが、私がもしも運営側の人間なら、今みたいな説明をしたりしません。〈眼鏡〉さんのように考える人がいるかもしれませんし、そうなったら私が運営側の筆頭候補になってしまいます」
「でもそれはどっちも有り得るだろ。可能性の話をしてるだけで、あんたが運営側じゃないって証拠にはならない」
少しだけ険悪な、剣呑な空気が流れた。
それを察知してか、また人好きのする声色で〈ルカ〉が間に入った。
「まぁまぁ。確かに〈しお〉は運営かもしれないし、そうじゃないかもしれないけど、でも、ルール説明では『運営側と一緒に生き残ってもゲームクリア』でしょ? じゃあ、運営側が誰なのかなんて、考えなくても大丈夫だよ」
「でも、運営のプレイヤーはノーリスクでこのゲームに参加してるんだろ? じゃあ、危ないところは全部その運営にやらせた方が良いだろ」
「理想は、そうだよね。でもあくまでゲームの目的は、自分が生き残ることで、運営を見つけてつるし上げることじゃない。自分が生き残ることを、第一に考えるべきだ。その上では、誰が運営のアバターなのかなんて、考えなくて良い──なんて、こんなこと言ってる僕が運営側なのかもしれないけどね」
そう言って笑った〈ルカ〉に、〈眼鏡〉は何も言い返さずに黙った。
たった今〈ルカ〉が言った話に、栞は大筋で同意していた。
このゲームには、勝利する上でのいくつかの考え方がある。
まずは自分が生き残ること。これを目指すのが基本だ。
次に、皆で生き残るゲームだと考えても良い。できることなら協力したいし、誰かを蹴落として勝利したとしても、悪役になりきるつもりでもないなら気分が悪い。
あるいは、運営を見つけるゲームだと考えることもできる。〈眼鏡〉の言う通り、運営側の参加者はこのゲームで一切のリスクを負っていない。それなら、ゲーム中の危険なところは、運営側の人間にすべて任せてしまえば良い。その方が罪悪感がないし、何より犠牲者が出ない。
栞は、このゲームを自分が生き残るゲームだと認識していた。そう考えるなら、誰が運営かなど、考えなくても良い。とにかく自分が生き残ることだ。その上で、できれば他のプレイヤーも一緒に生き残れたら嬉しい、それは確かだ。
だが、もしも他人の人生と自分の人生を天秤に掛けなければいけないときが来たら相手を蹴り落とすだけの残酷さを、今のうちに心中に準備しておかなければいけなかった。




