08 売店で
08 売店で
翻訳の件が一段落したあと、バーンズ二等航海士は、アイカに何か言いたそうにしていた。
どうも、あの記事が心に残ったのは、二等の乗客たちだけではなかったらしい。
アイカが書いた異国の文字ではなく、その奥に込めた言葉が彼の胸にも届いていたのだと、あとになってわかった。
ある日、バーンズ二等航海士が寄港地の予定表を手に、アイカのところへやってきた。
「レトワール補佐。次の寄港地についてですが」
「ええ、確認しました。中規模の港ですね。停泊時間にも、少し余裕があるようです」
アイカが答えると、彼は何かを言いかけて口を閉じた。予定表へ視線を落とし、それから思い切ったように顔を上げる。
「実は、その港に大叔母が住んでいるのです」
「大叔母様が?」
アイカが聞き返すと、バーンズ二等航海士はうなずいた。
「はい。庭の美しい家で暮らしています。もしよろしければ、その……ご案内したいのですが」
(庭を見せてもらえるなんて)
その言葉に、アイカの心が動いた。海へ出てからというもの、アイカは土の匂いを忘れかけていた。
きれいに整えられた甲板も嫌いではない。けれど、花壇の縁へ落ちる木々の影や、剪定された枝先を思い浮かべると、胸の奥がやわらいだ。
「どのようなお庭なのですか?」
アイカが尋ねると、バーンズ二等航海士は嬉々として答えた。
「季節の薔薇と、背の高い糸杉があります。オリーブや果樹も。それから、古い石造りの噴水もあります。大叔母が大切に手入れをしているので、きっとお気に召すと思います」
「それは素敵ですね。ぜひ拝見したいです」
アイカが答えると、バーンズ二等航海士の表情がぱっと明るくなった。
「本当ですか。大叔母も、きっと喜びます」
アイカが喜ぶかどうかより先に、大叔母が喜ぶと言う。その順番が彼らしい気がして、少し可笑しかった。
「それから、僕のことはラングレーと呼んでください」
「わかりました。ラングレー。私のこともアイカと」
寄港を翌日に控えた日、ラングレーは朝からどこかそわそわしていた。
「手土産を用意したいのですが、何を選べばよいのかわからなくて。よろしければ、一緒に選んでいただけませんか?」
「ですが、大叔母様のお好みなら、ラングレーのほうがよくご存じでは?」
アイカが首をかしげると、ラングレーは困ったように頭をかいた。
「それが、よくわからないのです。とにかく売店へ行きましょう」
半ば押し切られるように、アイカは彼と船内の売店へ向かった。
売店には、これまでに立ち寄った港の名産品や、なぜか王都で作られた品々まで、所狭しと並べられていた。
「いつもは紅茶を買っていくのです」
ラングレーは紅茶の棚の前で足を止めた。
「それでしたら、今回も紅茶がよろしいのではありませんか?」
アイカが尋ねると、ラングレーは棚を見つめたまま答えた。
「それはそうなのですが、こんなに種類があるので」
「いつもは、どれを選んでいるのです?」
「新作です」
「では、今回も新作でよろしいのでは?」
ラングレーは棚に並んだ箱を見比べ、少し考えてからうなずいた。
「そうですね。それにします」
「では、それとは別に、私からもひとつ選びましょう」
偉そうに言ってみたものの、実際に選ぶとなると大変だった。
ラングレーの大叔母の好みも、普段どのような紅茶を飲んでいるのかもわからない。結局、アイカは箱の可愛らしさで決めることにした。
選んだのは、小鳥の絵が描かれた紅茶だった。ラングレーが選んだ新作には、月明かりに照らされた庭の絵が描かれている。
どちらも、庭で飲むにはふさわしい品に思えた。
会計を終えたところで、ラングレーがおずおずとカードを差し出した。
「その……アイカに、ひと言添えていただけたらと思いまして」
「私が文章を考えるのですか?」
「はい。毎回、何を書けばよいのか迷うのです」
アイカは持ち歩いている手帳を開いた。そこに短い文章を書き、ラングレーへ見せる。
『大叔母様へ
いつも急に伺ってばかりで、申し訳ありません。
今回も紅茶ですが、庭でのお茶の時間にお楽しみください。
ラングレー』
読み終えたラングレーが、満足そうにうなずいた。
「ああ、いいですね。いかにも僕が書きそうです」
「では、この文章をカードに清書してきます」
アイカがそう言うと、ラングレーは頭を下げた。
「お願いします。僕は仕事に戻っていますので、書けたら声をかけてください」
「私の贈り物にも、カードを添えたほうがよいでしょうか?」
「ぜひお願いします。それでは、こちらも」
そう言って、ラングレーはもう一枚、カードを差し出した。
部屋へ戻る途中、アイカはどの字体で書こうかと考えた。
(ラングレーの大叔母は、どのような人なのだろう)
格式ばった文字がよいのか、それとも少しやわらかな字体がよいのか。庭を大切にしている方なら、流れるような優しい書体が似合うかもしれない。
しばらくして、アイカは書き終えたカードを持ってラングレーのもとへ戻った。
「これでよろしいですか?」
まず、彼の名で書いたカードを差し出す。
ラングレーはそれを受け取ると、しばらく黙って文字を見つめていた。
「すばらしい……」
感嘆の息を漏らしたあと、彼は期待に満ちた目をアイカへ向けた。
「アイカのお土産の方も、見せてください」
「え?」
「大叔母の家へ行けば読めることはわかっています。ですが、今すぐ見たいのです」
子どものような頼み方に、アイカは思わず笑いそうになった。
「わかりました。どうぞ」
もう一枚のカードを差し出す。
『大叔母様へ
お庭のお話を伺い、ぜひ拝見したく、私もお邪魔することになりました。
ほんの気持ちではございますが、紅茶をお持ちいたします。
庭でのお時間とともに、お楽しみいただけましたら幸いです。
アイカ・レトワール』
読み終えたラングレーが、うれしそうに笑った。
「大叔母がこれを読んだら、きっと感激します。アイカをお誘いして、本当によかった」
次の寄港地は、陽射しのやわらかな土地だという。港から続く石畳の先に、庭のある家が待っている。
船を下り、久しぶりに土の匂いを胸いっぱいに吸い込む。その庭で何を見て、何を思うのだろうと、アイカは想像を巡らせた。
アイカは、明日がますます楽しみになってきた。




