04 就航記念パーティー
04 就航記念パーティー
就航記念パーティーは、新聞社への披露を兼ねたものだった。船は遠洋へ出るのではなく、招待客を乗せて湾内をゆるやかに巡り、夕方には港へ戻った。
音楽と笑い声。白いクロスと花で整えられたサロン。アイカにとっては、見慣れた光景だった。
(屋敷で開くパーティーと大して変わらないわね)
違うのは、窓の向こうに庭ではなく海が広がっていることくらいだった。
港に着くと、招待客たちは次々と下船していった。
大口株主の夫人が、振り返って手を振った。
「次は私も、航海をご一緒したいわ」
「お待ちしております」
アイカは会釈をして、その背中を見送った。
(これで、補佐としての仕事は終わりね)
会社が世間に見せたかったものは、もう見せた。アイカの役目は終わったのだと、彼女は思った。
働くといっても、彼女にはまだ実感がなかった。今日したことといえば、席順を確かめ、話題を選び、場の空気を和らげたくらいだった。屋敷で何年もしてきたことの延長にすぎない。
違いは、奥様ではなく、一等航海士補佐と呼ばれることだけだった。
招待客を見送っている間に、二等の乗客たちが乗船していた。
翌朝から、アイカは午前中にブラウン一等航海士と船内を歩くことになった。
「形式だけではなく、船内のことも知っておいてください」
ブラウン一等航海士の言葉に、アイカは答えた。
「承知しました」
実際に歩いてみると、これが意外におもしろかった。船内見学の催し物に参加しているような気分になった。
客として乗っていたら、部屋で本を読み、甲板から海を眺め、それでも退屈していたかもしれない。
補佐としてなら、午前中はブラウン一等航海士と船内を歩ける。乗客が入れない場所について教わり、行き交う乗員と挨拶を交わす。それだけで、時間があっという間に過ぎた。
午後は自由に過ごした。読むものに、小説のほかに船の設計図が加わった。
出航から数日がたったその朝も、アイカは制服を整え、制帽をかぶって廊下に出た。
「おはようございます、補佐」
通りかかった乗員が声をかけた。
「おはようございます」
アイカは挨拶を返した。
乗員と挨拶を交わすたび、少しずつ自分の居場所ができていくように感じられた。とはいえ、何かを決めるわけでも、誰かに指示を出すわけでもなかった。
通路を歩きながら、ブラウン一等航海士が扉を示した。
「この先が機関区画です。補佐が立ち入る必要はありませんが」
「では、ここから眺めるだけにしておきます」
アイカは扉のほうへ目を向けた。
その向こうから、低い機械音がかすかに伝わってきた。
(今の私には、それで十分ね)
午前の巡回を終えた午後、港から新聞が届いた。小型のモーターボートで運ばれてきたのだという。
アイカが一部を受け取ると、就航記念パーティーの記事が大きく載っていた。
『女性登用、新時代の象徴』
写真の中のアイカは、背筋を伸ばして立っていた。これも、夜会で身につけた立ち姿だった。
アイカは記事を丁寧に切り抜き、台紙に貼った。好きな藍色のインク瓶を開け、余白に言葉を書き添えた。
――『本船は理念を掲げる』
――『揺れる海の上で、新たな形を模索する』
(少し大げさかしら)
けれど、アイカはこういう言葉が嫌いではなかった。
できあがった台紙を、ブラウン一等航海士に見せた。
「いかがでしょう」
アイカが尋ねると、彼はしばらく眺めてから言った。
「目を引きますね」
「それが私の役割ですから」
アイカは思わず本音を口にした。ブラウン一等航海士はわずかに眉を動かしたが、何も言わなかった。
記事は一等船客用の食堂入口に飾られた。アイカは同じものを作って、二等船客用の食堂にも飾った。
二等の乗客たちが、その前で足を止めた。
「この写真に写っている方が補佐なのね」
一人の女性客が写真を指して言った。
「制服がお似合いだわ」
隣の女性客が顔を寄せて言った。
「私たち、新しい時代の船に乗っているのね」
連れの女性客も、記事を眺めながら言った。
アイカはその横を、姿勢を正して通り過ぎた。客なら、誰にも気に留められず通り過ぎる場所だった。今は、彼女に視線が向けられる。
新聞には、働く女性の理想とまで書かれていた。
アイカには、そんな自覚はなかった。逃げるために船に乗りたかったのだ。乗客として乗る道がなかったから、補佐になった。あのときは、本当に切羽詰まっていた。
午前中に船内を歩き、声をかけられれば答える。ときには乗客の話し相手にもなる。
今のアイカは、その時間に救われていた。
客として乗っていたら、部屋で一日中、過去を思い出していたかもしれない。体温を記した表、予定表、医師の言葉。そして親族の視線。
(そこから逃れるために始めたことを、新時代の仕事と呼んでいる。そのおかしさに気づいているのは、私だけかしら)
制服を着て船内を歩くと、誰も彼女を名前で呼ばなかった。
一等航海士補佐と呼ばれる。
その間だけ、過去の自分が姿を消すように、アイカには感じられた。
呼びかけに振り向く今の自分に、まだ慣れてはいなかった。




