↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
レディオリエント  作者: 朝山みどり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/23

04 就航記念パーティー

04 就航記念パーティー


 就航記念パーティーは、新聞社への披露を兼ねたものだった。船は遠洋へ出るのではなく、招待客を乗せて湾内をゆるやかに巡り、夕方には港へ戻った。


 音楽と笑い声。白いクロスと花で整えられたサロン。アイカにとっては、見慣れた光景だった。


(屋敷で開くパーティーと大して変わらないわね)


 違うのは、窓の向こうに庭ではなく海が広がっていることくらいだった。


 港に着くと、招待客たちは次々と下船していった。


 大口株主の夫人が、振り返って手を振った。


「次は私も、航海をご一緒したいわ」


「お待ちしております」


 アイカは会釈をして、その背中を見送った。


(これで、補佐としての仕事は終わりね)


 会社が世間に見せたかったものは、もう見せた。アイカの役目は終わったのだと、彼女は思った。


 働くといっても、彼女にはまだ実感がなかった。今日したことといえば、席順を確かめ、話題を選び、場の空気を和らげたくらいだった。屋敷で何年もしてきたことの延長にすぎない。


 違いは、奥様ではなく、一等航海士補佐と呼ばれることだけだった。


 招待客を見送っている間に、二等の乗客たちが乗船していた。


 翌朝から、アイカは午前中にブラウン一等航海士と船内を歩くことになった。


「形式だけではなく、船内のことも知っておいてください」


 ブラウン一等航海士の言葉に、アイカは答えた。


「承知しました」


 実際に歩いてみると、これが意外におもしろかった。船内見学の催し物に参加しているような気分になった。


 客として乗っていたら、部屋で本を読み、甲板から海を眺め、それでも退屈していたかもしれない。


 補佐としてなら、午前中はブラウン一等航海士と船内を歩ける。乗客が入れない場所について教わり、行き交う乗員と挨拶を交わす。それだけで、時間があっという間に過ぎた。


 午後は自由に過ごした。読むものに、小説のほかに船の設計図が加わった。


 出航から数日がたったその朝も、アイカは制服を整え、制帽をかぶって廊下に出た。


「おはようございます、補佐」


 通りかかった乗員が声をかけた。


「おはようございます」


 アイカは挨拶を返した。


 乗員と挨拶を交わすたび、少しずつ自分の居場所ができていくように感じられた。とはいえ、何かを決めるわけでも、誰かに指示を出すわけでもなかった。


 通路を歩きながら、ブラウン一等航海士が扉を示した。


「この先が機関区画です。補佐が立ち入る必要はありませんが」


「では、ここから眺めるだけにしておきます」


 アイカは扉のほうへ目を向けた。


 その向こうから、低い機械音がかすかに伝わってきた。


(今の私には、それで十分ね)


 午前の巡回を終えた午後、港から新聞が届いた。小型のモーターボートで運ばれてきたのだという。


 アイカが一部を受け取ると、就航記念パーティーの記事が大きく載っていた。


『女性登用、新時代の象徴』


 写真の中のアイカは、背筋を伸ばして立っていた。これも、夜会で身につけた立ち姿だった。


 アイカは記事を丁寧に切り抜き、台紙に貼った。好きな藍色のインク瓶を開け、余白に言葉を書き添えた。


 ――『本船は理念を掲げる』

 ――『揺れる海の上で、新たな形を模索する』


(少し大げさかしら)


 けれど、アイカはこういう言葉が嫌いではなかった。


 できあがった台紙を、ブラウン一等航海士に見せた。


「いかがでしょう」


 アイカが尋ねると、彼はしばらく眺めてから言った。


「目を引きますね」


「それが私の役割ですから」


 アイカは思わず本音を口にした。ブラウン一等航海士はわずかに眉を動かしたが、何も言わなかった。


 記事は一等船客用の食堂入口に飾られた。アイカは同じものを作って、二等船客用の食堂にも飾った。


 二等の乗客たちが、その前で足を止めた。


「この写真に写っている方が補佐なのね」


 一人の女性客が写真を指して言った。


「制服がお似合いだわ」


 隣の女性客が顔を寄せて言った。


「私たち、新しい時代の船に乗っているのね」


 連れの女性客も、記事を眺めながら言った。


 アイカはその横を、姿勢を正して通り過ぎた。客なら、誰にも気に留められず通り過ぎる場所だった。今は、彼女に視線が向けられる。


 新聞には、働く女性の理想とまで書かれていた。


 アイカには、そんな自覚はなかった。逃げるために船に乗りたかったのだ。乗客として乗る道がなかったから、補佐になった。あのときは、本当に切羽詰まっていた。


 午前中に船内を歩き、声をかけられれば答える。ときには乗客の話し相手にもなる。


 今のアイカは、その時間に救われていた。


 客として乗っていたら、部屋で一日中、過去を思い出していたかもしれない。体温を記した表、予定表、医師の言葉。そして親族の視線。


(そこから逃れるために始めたことを、新時代の仕事と呼んでいる。そのおかしさに気づいているのは、私だけかしら)


 制服を着て船内を歩くと、誰も彼女を名前で呼ばなかった。


 一等航海士補佐と呼ばれる。


 その間だけ、過去の自分が姿を消すように、アイカには感じられた。


 呼びかけに振り向く今の自分に、まだ慣れてはいなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。