14 私のほうがふさわしい
14 私のほうがふさわしい
客として『レディオリエント』に乗り込んだ日、エリザベスは一等航海士補佐の実物を見た。
女性を船の職員に迎えたと新聞にも載っていた。社交の場で船を代表し、乗客と乗組員の間に立つ。(これこそ自分のための仕事だわ)と、エリザベス・ポージーは思った。
(なぜ募集に気づかなかったのかしら。私なら一発で採用されたはずなのに)
エリザベスは大学で経済学と法学を学んだ。卒業後も研究を続けたかった。大学に残らないかと誘われるのを、卒業の日までずっと待っていた。
けれど、声はかからなかった。
(教授たちには、私の才能がわからなかっただけよ)
家に帰れば、両親は結婚しろとうるさかった。だが、そんな平凡な道は御免だった。せっかくの才能を活かしたかったのだ。
父の秘書も試してみたが、黙って後ろをついて歩くのが苦痛で、すぐにやめた。
結局、結婚せずに好きに暮らすなんてとんでもないと口うるさい父から逃れるために、エリザベスはこの船に乗り込んだのだった。
(いろいろな才能があるから、一つに決められないだけなのに……)
そうしてエリザベスは今、客室にいる。毎朝決まった時間に食事をし、午後にはデッキで海を眺めて散歩をする。あふれる才能を、いたずらに海風にまき散らしながら。
そして毎日、アイカ・レトワールを目にすることになる。
紺色の制服を身にまとい、彼女は一等航海士の隣を歩いていた。乗組員が「補佐」と呼んで頭を下げると、彼女も軽く会釈を返す。あとを追ったわけではない。ただ、エリザベスの散歩道と彼女たちの巡回ルートが何度も重なっただけだ。
彼女は船内の説明を聞き、ときどき質問をする。巡回が終われば自室へ戻り、午後は自由に過ごしているらしい。乗客と話す姿も見かけたが、声をかけられたときに応じる程度だった。
(もっとできるでしょうに)
エリザベスは、そう思った。
せっかく新しい役職を与えられたのだ。船の顔として、もっと積極的に客の前へ出ればいい。航路ごとの乗客の動向や寄港地での商いを調べれば、会社に提案できることだって山ほどあるはずだ。
(私ならそうするわ)
彼女は、そう考えていた。
次の寄港地が近づいた日、甲板から岸壁が見えた。
旗が並び、楽団が待機している。歓迎式典があるようだ。デッキに集まった乗客に交じり、エリザベスも手すりから身を乗り出した。
船が接岸すると、花冠を持った少女たちが前へ出た。船長や一等航海士の姿を探していた人々の視線が、やがてタラップを下りていくアイカに集まる。
市長が挨拶を始め、続いて通訳がそれを訳し始めた。
すると、アイカが直接市長に話しかけた。市長が驚いたように答えを返す。そのやり取りを、通訳が慌てて全体に告げた。
エリザベスには、何が起こったのか、最初はわからなかった。隣にいた乗客が「あの国の言葉だわ」とつぶやいて、ようやく気づいた。
「あれ、通訳なし?」
乗客の一人が言った。
「話せるの?」
別の乗客が驚いた声を上げた。
「すごい……」
隣の婦人も息をのんだ。
やがて驚きが賞賛に変わった。
「あんなに話せるなんて」
「ただの象徴じゃないのね」
アイカは通訳を介さず、直接市長と会話していたのだ。市長が破顔し、子どもたちが顔を見合わせる。岸壁で彼女が幼いころにもらった小物入れの話をすると、港は静まり返り、やがて万雷の拍手に包まれた。
エリザベスも拍手を送った。見事なパフォーマンスだったと、彼女は思った。
だが同時に、胸の奥がざらついた。
(あの方には、あの国の言葉を学ぶきっかけがあって、たまたま手にした小物入れのエピソードを披露できただけ。単なる偶然に過ぎないわ)
(ちゃんと通訳がいるのだから、言葉が話せるかどうかなんて本質的な問題ではないはずよ)
あの場を華やかに盛り上げるだけなら、エリザベスのほうがもっと上手にできる。日々の業務だって、間違いなくエリザベスに軍配が上がるはずだ。
式典が終わっても、周囲ではアイカの話題が続いていた。
「ただの飾りかと思っていたけれど、立派だったわね」
近くの婦人が言った。
「ええ、あの方でよかったわ」
連れの婦人がうなずいた。
「さすが、新時代ね」
「私たち、目撃者だわ」
エリザベスは笑みを浮かべてうなずいた。だが部屋へ戻ってからも、その言葉が耳から離れなかった。
(私なら、どんな評価を受けたのかしら)
エリザベスは、そう考えた。
翌朝、エリザベスは一等航海士と歩いているアイカに声をかけた。
「ご一緒しても、よろしいかしら?」
ブラウン一等航海士は快く応じ、アイカも丁寧な挨拶を返してきた。二人から船の設備や寄港地での業務について話を聞くうちに、エリザベスはますますその仕事に加わりたくなった。
それから数日間、エリザベスは彼らの巡回に同行した。ブラウン一等航海士に質問を重ね、アイカにも積極的に話しかけた。大学で学んだ知識を披露すると、彼は熱心に耳を傾けてくれた。
途中で知ったのだが、アイカは大学を出ていないらしい。エリザベスはあきれた。学業についていけなかったのだろうかと、勝手に推し量った。
それからは自分の優秀さを見せつけるように、遠慮なく専門的な質問をぶつけた。
巡回が終わると、アイカは自室へ戻っていく。
エリザベスは廊下に残り、彼女の背中を見送った。
(私なら午後も働くのに)
エリザベスは、そう思った。
乗客の要望を吸い上げ、港ごとの反応を記録し、会社へ報告書を提出する。アイデアなら次々とわいてきた。部屋へ戻る前に、エリザベスは船内の通信室へと向かった。
父へ電報を打つためだ。
電報用紙に向かい、書き始めては消した。単に「家を出て働きたい」と書くだけでは、父は以前と同じように突っぱねるだろう。「船旅を楽しんで帰ってきなさい」と言われて終わりだ。
エリザベスは新しい用紙に取り替え、先日の歓迎式典について書いた。女性の補佐が港でどれほど注目を集めたか。あの役職がいかに船の印象を左右するか。そして、自分の学びがどれほどその職に貢献できるか。
さらに、エリザベスがここで働くことは我が家の事業にとっても大きなプラスになること、女性の社会進出に理解を示している姿勢は我が家の企業イメージを大いに高めるだろうこと、とも書き添えた。
最後に、本題を置いた。
――船会社にお知り合いがいらっしゃるなら、私がこの船で一等航海士補佐として働く機会をいただけないか、働きかけてくださいませんか。
書き終えてから、しばらく用紙を見つめた。
現在その職にはアイカがいる。エリザベスの望みがかなえば、彼女には退いてもらうことになる。その点に触れないわけにはいかなかった。
エリザベスは続けて、「彼女が客として船に残れるよう配慮してほしい」と書き加えた。船にとどまり、エリザベスの華々しい活躍を間近で見てほしい。そんな本音は決して見せずに。思いやりを示すことは大切なたしなみだと、エリザベスは心得ていた。
ずいぶん長い電文になった
数日後、返電が届いた。船会社へ話を通せるという。父も、働くのであれば家の名を上げる場所がよいと判断したらしい。
返電を読み返し、エリザベスは満足げに電文の紙を畳んだ。
パリッとした制服をスマートに着こなし、乗客へ自信に満ちた笑みを向ける自分の姿が、鮮明に脳裏に浮かんでいた。




