13 ブライヤンの不安
13 ブライヤンの不安
副官のテリウス・バードが、新聞を数部抱えて執務室へ入ってきた。
「ミスリル大佐、レディオリエントが先日寄港した町の新聞です。気になる記事が出ています」
ブライヤンは机に広げた海図から顔を上げた。
「何かあったのか?」
「市庁舎前で学生の演説があったそうです。商人たちも税制への不満を口にしているとか」
「また革命のうわさか。学生の演説に商人の不満……最近、多いな」
ブライヤンはテリウスから新聞を受け取った。港町の新聞が何部も重なっていた。発行日も発行元も違うらしい。
彼は一部目に目を通した。税制改正を求める商人の声。
二部目には、市庁舎前に集まった学生たちの写真。
三部目も四部目も、似たような記事が続いた。
五部目をめくったところで、ブライヤンの指が止まった。
「それと、レディオリエントの二等乗客ですが――」
ブライヤンの耳から、テリウスの声が遠のいた。
港を訪れた新造船の就航を祝う式典。岸壁に立つ女性の写真が、紙面の中央に大きく載っていた。
「……アイカ!」
ブライヤンは思わず声を上げた。
「乗客ですが、って、えっ! どうしました?」
テリウスが身を乗り出した。ブライヤンは答えず、写真を見つめた。制服を着たアイカが背筋を伸ばし、集まった人々に向かって微笑んでいる。
見出しには、サプライズ式典とあった。船側にも事前の知らせはなく、市長が新造船の就航に興味を持ち、急遽開かれたらしい。
「ずいぶん暇な市長だな」
ブライヤンはつぶやきながら、記事を読み進めた。
突然挨拶を求められたアイカ・レトワールは、通訳を介さず、この土地の言葉で答えたという。幼いころに贈られた小物入れをきっかけに、この土地の言葉や文化を学ぶようになったこと。船を迎えてくれた人々への感謝。港の要人とも直接言葉を交わし、会場は拍手に包まれたと書かれていた。
「彼女、やりますね」
テリウスが机の脇から紙面をのぞき込んだ。
「いきなり大勢の前に立たされて、通訳なしとは。大佐はご存じだったんですか? 彼女がここの言葉を話せること」
「知らんぞ。知り合いじゃない」
ブライヤンは写真のアイカに目を戻した。
大勢の視線を受けても、ひるんだ様子はない。
(きっと、人前に出る前には、緊張して息を整えたはずだ。それでも自分の足でそこに立ち、自分の言葉で話したのだろう)
「……やるじゃないか」
「大佐、顔が緩んでいますよ」
テリウスが言った。
「記事を読んでいるだけだ」
ブライヤンが返すと、テリウスは笑いをこらえるように口元を押さえ、窓のほうを向いた。
「そういうことにしておきます」
ブライヤンは新聞を持ち直した。胸の奥が、じわりと熱くなる。
あの夜、アイカは自分で決めた。迷いながらも、最後にはまっすぐブライヤンを見て、自分の答えを口にした。何かを決めたとき、アイカがどんな目をするか、ブライヤンは知っていた。
彼は記事に記されたアイカの言葉を、声に出してみた。
「少しですが、話せます、か」
そして、小さく笑った。
「こういう女なんだ」
「ええ。立派な方ですね」
テリウスの声には、からかう響きがなかった。
ブライヤンは記事の冒頭からもう一度目を通した。末尾には、アイカが船を代表する象徴として、今後の交流にも期待が寄せられる、とある。
「象徴、か」
少し大げさな書き方だ。本人が読めば困った顔をするかもしれない。
新聞を畳もうとして、紙面の隅にある小さな記事が目に入った。
学生集会。税制への抗議。軍の動き。市庁舎前での小競り合い。
さっきテリウスが話していた記事だ。アイカの写真に気を取られ、読み飛ばしていた。
「テリウス。これを見ろ」
ブライヤンが指した箇所を読み、テリウスの表情が引き締まった。
「軍が市庁舎前へ出ていますね」
「ああ。学生の集会に軍を出したのは初耳だ」
「外国の大資本と地元の部族の対立も、深まっているようです」
「その話は聞いている。だが、商人まで税制への不満を公にし始めたとなると……」
ブライヤンは椅子を引いて立ち上がった。窓の外には、青い海が広がっていた。
港町には人が集まる。船が着けば荷が降ろされ、金が動き、よその土地のうわさまで一緒に広まる。学生の演説を聞いた者が酒場で話し、商人の不満を聞いた者が市場で言いふらす。小さな衝突も、人から人へ伝わるうちに、違う意味を持ち始める。
そこへ新造船が入港した。大勢の注目を集める豪華客船だ。そしてアイカは地元の要人と直接話し、新聞に顔が載った。
「レディオリエントの次の寄港地はどこだ?」
ブライヤンが尋ねると、テリウスはすぐに答えた。
「航路表を確認します。大佐は報告書を読んでください。レディオリエントの二等乗客のことですよ」
テリウスは執務室を出ていった。
ブライヤンは窓から机へ視線を戻した。写真の中のアイカは微笑んでいる。自分が新聞に載るなど、きっと思ってもいなかっただろう。
(港にいる間は、目立ってほしくなかった)
学生たちが何を望んでいるのか。商人たちは誰に怒りを向けているのか。軍は何を警戒して市庁舎前へ出たのか。今ある記事だけではわからない。
式典で挨拶をしただけのアイカが、騒ぎに巻き込まれるとは限らない。むしろ、そう考えるほうが早計だろう。
それでも、一度動き出した群衆を止めるのは難しい。軍まで動いたのなら、なおさらだ。
ブライヤンは胸ポケットに触れた。布越しに、翡翠の箱の硬い角が指に当たる。
「……考えすぎか」
口にしてみても、気持ちは晴れなかった。
彼は机に置いた新聞を、もう一度開いた。
「忘れ物をあずかっている」
ブライヤンは写真の中のアイカに語りかけた。
「お届けしますから、待っててください。天女様」
それから、机に置かれた報告書に目を落とした。いくつかの名前に印がついている。
そこへ、テリウスが戻ってきた。
「次の寄港地までの日程は確認しました。詳しくは後ほど。それより、報告書はお読みになりましたか?」
「ああ。全員の身元がわかったのか?」
「いいえ。ただ、同じ出身地の者が、別々の港から何人も乗っています」
ブライヤンは紙を手に取った。名前も年齢も職業も違う。乗船した港もばらばらだ。一人ずつ見れば、気に留めるほどのことはない。
「この村は?」
ブライヤンが印のついた地名を指すと、テリウスが答えた。
「鉱山が見つかった部族の土地です。こちらの二人は、その近くの町の出身です」
テリウスの指が、名簿の上を移動する。
「それから、この男。申告した住所には住んでいませんでした。以前はアハマドという男のもとで働いていたそうです」
「アハマド?」
「鉱山の村の部族です。その長の座をめぐって、叔父のウマルと対立している人物です。ほかの乗客にも、アハマドに従って土地を離れた者がいます。それに、まだ確認できていませんが、学生たちが彼らに接触しているかもしれません」
ブライヤンは名簿を置き、報告書を読み直した。出身地だけなら偶然もある。だが、港を分けて同じ船に乗り込んだことは、偶然で片づけられない。
「何人いる?」
「つながりを確認できたのは六人です。まだ調査中の者もいます」
六人。船内で騒ぎを起こすつもりがあるのか、それとも港で誰かと会うために乗ったのか。今はどちらとも言えない。
「レディオリエントの船長に伝えろ。確認できた事実だけでいい。名簿に印をつけた者の名前も送れ」
「承知しました」
テリウスが書類をまとめかけたところで、ブライヤンは一枚を押さえた。
「それと、出身地だけで乗客を犯人扱いするな。調べるのは、あの船に乗った目的だ」
「わかっています」
テリウスはうなずき、執務室を出ていった。
ブライヤンは、アハマドも、あの土地の争いも、船とは無関係であってほしいと願った。
だが、確認できた六人の名前が、冷たい文字で紙の上に並んでいた。




