80話
「じゃあ、画面共有するぞ」
「うん!」
通話をつないでから、まだそこまでも経っていない。
それなのに、カナタはさっきから落ち着きがなかった。
「ねえ、ちゃんと映る?」
「映るよ」
「本当に?」
「本当」
「変な顔になってない?」
「まだ見せてないだろ」
「……それもそうだね」
「お前、今日ずっとそれだな」
クロは苦笑しながら、パソコンの画面を共有した。
表示されたのは、モデル調整用のソフトだった。
黒い背景の中央に、淡い銀髪の少女の姿が映し出されている。
大きな瞳に、柔らかい輪郭。白と黒を基調にした衣装。髪飾りには、昔の配信でも使われていた小さな青いリボン。
久遠カナタが活動していた頃の姿だった。
「…………」
通話の向こうから、声が聞こえなくなった。
「カナタ?」
「…………え?」
「何?」
「……えっ、私がいるんだけど!?」
クロは思わず笑った。
「いや、お前のモデルだからな」
「分かってるよ! 分かってるけど!」
カナタの声がどんどん大きくなる。
「え、待って! 本当に動いてる! ちゃんと私じゃん!」
「そりゃ、元データだからな」
「髪も! 目も! 服も! 全部そのまま!」
「バックアップしたデータだって言っただろ」
「いや、そうだけどさぁ……!」
画面の中では、カナタのモデルが静かに待機している。
クロがマウスを動かすと、顔が少しだけ横を向いた。
「うわっ!」
「……そんなに驚く?」
「驚くよ!」
カナタは画面に顔を近づけているらしく、マイク越しに衣擦れの音が聞こえた。
「ねえ、クロ。ちょっと待って。もう一回、顔を動かして」
「こう?」
クロが操作すると、モデルの顔がゆっくりと動く。
「……ああ」
カナタの声が、少しだけ小さくなった。
「懐かしいなぁ……」
さっきまで騒いでいたのが嘘のように、静かな声だった。
「これ、最後に見たの、いつだっけ」
「引退前じゃない?」
「うん。たぶんそう」
カナタは画面を見つめたまま、ぽつりと続ける。
「最後の配信が終わったあと、しばらくは開いてたんだよね。でも、だんだん見なくなって……いつの間にか、起動もしなくなってた」
「そうだろうな」
「自分で決めたことなのに、なんか変な感じ」
「まあ、何年も経ってるからな」
「……うん」
少しだけ沈黙が落ちた。
それから、カナタは急に顔を上げたような声を出した。
「ねえ、クロ!」
「今度は何だよ」
「笑顔!」
「笑顔?」
「そう! 私、昔の笑顔が好きだったんだよね。見せて!」
「はいはい」
クロは表情の設定を切り替えた。
モデルの表情が変わり、柔らかい笑顔になる。
「…………っ!」
カナタが息を呑んだ。
「……ああ、これ!」
声が弾んだ。
「これこれ! この顔!」
「そんなに気に入ってたのか」
「うん! 私、配信のサムネイルもこの表情をよく使ってたんだよ。懐かしいなぁ……」
「データにも残ってたよ」
「えっ、サムネイルも!?」
「素材フォルダに入ってる」
「待って待って。私の昔のデータ、どこまで持ってるの?」
「預かった分は一通り」
「……クロ、私の引退記念資料館でも作れるんじゃない?」
「作らねえよ」
「ちょっと見てみたいけど」
「本人の許可がないからな」
「……そういうところは本当に真面目だよね」
カナタはくすくすと笑った。
クロは次に、別の表情を表示する。
頬を膨らませた、不満そうな顔。
「……あっ!」
「これも残ってた」
「やめて! それは恥ずかしい!」
「自分で使ってただろ」
「そうだけど、今見ると恥ずかしいんだって!」
「じゃあ消す?」
「……いや」
カナタは少し考えてから、控えめに言った
「消さなくていいよ」
「了解」
「……なんか、全部残ってるんだね」
「まあな」
「私が使ってたものも、表情も、素材も」
「そうだな」
「……そっか」
カナタはまた、画面をじっと見つめた。
その声には、さっきまでとは違う温かさがあった。
「クロが残しててくれたんだね」
「バックアップしただけだって」
「それでもだよ」
カナタは少し笑った。
「ありがとう。私、もう一度これを使うことになるなんて、思ってなかった」
「今回だけだけどな」
「うん。分かってる」
返事は明るかった。
「だからこそ、ちゃんと楽しみたいな」
クロは小さく頷く。
「なら、調整しておくよ。今の環境でもちゃんと動くように」
「お願い!」
「あと、動きの確認も必要だな。顔のトラッキングとか」
「うんうん!」
「昔の設定そのままだと、今の機材で不自然な動きになるかもしれないから」
「……うん?」
「表情の切り替えとか、まばたきとか、口の動きとか」
「…………」
カナタが急に静かになった。
「どうした?」
「……私、そういうの全然分からないんだけど」
「知ってる」
「じゃあ、お願いしてもいい?」
「そのためにやってるんだろ」
「……えへへ」
カナタは嬉しそうに笑った。
「やっぱり、クロに頼んでよかった」
「はいはい」
「ねえ、クロ」
「今度は何?」
「大会当日も、隣にいてくれる?」
「同じチームだろ」
「そうだけど。そういう意味じゃなくて……」
言葉を探すように、少し間が空く。
「久しぶりだからさ。みんなの前に出るの、ちょっと緊張すると思うんだ」
「……ああ」
クロはマウスから手を離した。
「大丈夫だよ。俺もいるし、ほかのメンバーもいる。困ったら言えばいい」
「……うん」
「無理に昔みたいに振る舞う必要もないしな」
カナタはしばらく黙っていた。
そして、小さく笑った。
「……ありがと」
「どういたしまして」
「じゃあ、私も頑張るね」
「おう」
「でも!」
急に声が大きくなった。
「ゲームでは手加減しないからね!」
「別に手加減してくれなんて頼んでないけど」
「絶対勝つから!」
「無理だろ」
「ひどい!」
「事実だろ」
「まだやってみないと分からないじゃん!」
「じゃあ練習するか?」
「……えっ」
カナタの声が止まった。
「今から?」
「時間あるなら」
「…………」
数秒後。
「やる!」
即答だった。
「久しぶりにクロとゲームしたい!」
「はいはい。じゃあ、モデルの確認が終わったらな」
「うん!」
カナタは画面の中の自分のアバターを、もう一度見つめた。
笑顔のモデルが、画面の中央に立っている。
引退してから、何度も思い出すことはあった。
配信をしていた頃の自分。
リスナーと過ごした時間。
大会で勝ったことも、負けたことも。
そして、クロと一緒に遊んでいた日々。
それらはもう、戻らない過去だと思っていた。
けれど、今だけはもう一度だけ、あの頃の自分に会えた気がした。
「……ねえ、クロ」
「ん?」
「大会、楽しみだね」
クロは画面を見ながら答えた。
「そうだな」
「今度は、一緒に優勝しようね」
「お前、さっき俺に勝つって言ってなかった?」
「それはそれ!」
「都合がいいな……」
「いいの!」
カナタは楽しそうに笑った。
画面の中のアバターも、同じように笑っていた。
今度は、ただの保存データではない。
久遠カナタが、もう一度だけ使うための姿だった。
そして、その準備をしているのは、昔から変わらないゲーム仲間。
クロだった。
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