79話
「……アバター?」
通話越しに、カナタが首を傾げる。
「うん。運営から出演形式について確認が来てた。音声だけでもいいし、アバターを出して参加することもできるって」
「ふうん……」
クロは自宅のパソコンで、運営から送られてきた資料を開いていた。
今回の大会は三日間にわたる大型イベントだ。
SPECIAL TEAMのメンバー紹介や試合中の画面表示も含め、参加者の出演形式を統一する必要があるらしい。
「カナタはどうしたい?」
「私?」
「そう。引退してるんだし、無理に昔の姿を出す必要もないだろ」
「……クロは、どう思う?」
「俺?」
「うん。私のアバター、まだ見られる状態なの?」
クロは一瞬、黙った。
「あるよ」
「……え?」
「データ、持ってる」
「…………」
通話の向こうから、反応がなくなった。
「カナタ?」
「ちょっと待って」
「何?」
「今、なんて言った?」
「アバターのデータなら持ってるって」
「なんで!?」
「なんでって……預かってたから」
「預かってた!?」
カナタの声が一段高くなった。
「え、待って。私、そんなこと頼んだっけ?」
「引退する前に、データのバックアップを頼まれた」
「……あ」
「あのとき、パソコンの調子が悪いとか言ってただろ。念のためコピー取ったんだよ」
「……そういえば、そんなことあったかも」
カナタは記憶を探るように呟いた。
当時、使っていたパソコンの調子が悪くなり、配信環境のデータを移す必要があった。クロは機材や配信ソフトに詳しかったため、相談を受けていたのだ。
そのときに、モデルのデータもバックアップした。
「じゃあ、私のモデルって……」
「残ってる。元データも、配信用に調整したデータも」
「……クロ」
「ん?」
「私より私のデータを管理してない?」
「そんなことないだろ」
「あるよ!」
カナタは思わず声を上げた。
「私、引退するときにパソコンの中身を整理したんだよ? 配信関係のデータも、必要なものだけ残したつもりだったのに!」
「だから、俺のところにある分は消してないんだって」
「どうしてそんなに普通なの!?」
「バックアップだから」
「そういう話じゃないの!」
クロは少し考えた。
「……嫌なら使わないけど」
その一言で、カナタはぴたりと静かになった。
「……嫌じゃ、ないよ」
「そうか」
「ただ……」
カナタは少しだけ声を落とした。
「もう使うことはないと思ってたから。自分のアバターがまだ残ってるって、ちょっと不思議な感じ」
「まあ、何年も前のデータだからな。今の環境で動くかは確認しないといけないけど」
「クロならできる?」
「たぶん」
「……そっか」
カナタはしばらく考え込んでいた。
やがて、意を決したように口を開く。
「じゃあ、私……アバターも出したい」
「いいのか?」
「うん」
返事は、思ったよりもはっきりしていた。
「せっかく大会に出るんだもん。音声だけより、みんなに昔の私を見てもらいたい」
「昔の私って言い方、なんか変だな」
「だって、引退したんだよ? 今の私は、ただの一般人だし」
「ゲームするのは変わってないだろ」
「……そうだけど」
「だったら、別にいいんじゃない」
カナタは、少しだけ笑った。
「うん。そうだね」
それから、少し恥ずかしそうに続けた。
「……クロが持っててくれて、よかった」
「データが残ってただけだぞ」
「それでもだよ」
カナタの声は、いつもより柔らかかった。
「ありがとう」
「どういたしまして」
「……ねえ」
「何?」
「今のアバター、ちゃんと可愛く動く?」
「そこ気にするのかよ」
「大事でしょ!」
「モデル自体は問題ないと思う。表情や動きは、今のトラッキング環境に合わせて調整が必要かもしれないけど」
「……可愛くできる?」
「できると思う」
「じゃあお願い!」
「はいはい」
「あと、変な顔にならないようにしてね!」
「昔の設定ファイルが残ってるから、たぶん大丈夫だよ」
「たぶん!?」
「絶対とは言ってない」
「クロぉ……!」
カナタが情けない声を出す。
クロは小さく笑いながら、パソコンのフォルダを開いた。
そこには、懐かしい名前のファイルが並んでいた。
久遠カナタ。
旧モデル。
表情差分。
配信用設定。
バックアップ。
そして、当時の配信画面に使っていた素材まで。
「……懐かしいな」
クロがぽつりと呟く。
「え? 何かあった?」
「いや。昔のファイルがいろいろ残ってた」
「そんなに?」
「お前、素材を作るたびに送ってきてただろ」
「あー……」
カナタは気まずそうに笑った。
「だって、クロに頼むと早かったんだもん」
「自分でやれよって何回言ったと思ってる」
「でも、クロは結局やってくれたじゃん」
「……まあな」
「えへへ」
カナタの笑い声が聞こえる。
引退して何年も経っているのに、二人の会話は昔と変わらなかった。
クロはモデルのデータを確認し、必要なファイルを別のフォルダへコピーしていく。
「一応、運営にはアバターを使用するって伝えておく。データの確認が終わったら、本人にも見てもらうから」
「うん。よろしくね」
「あと、使う前にちゃんと許可の確認もする。モデルの権利関係、今どうなってる?」
「私が持ってるよ。イラストもモデリングも、契約上は私が大会で使える範囲なら問題ないはず。ただ、念のため契約書を確認するね」
「それがいい」
クロは頷いた。
「運営に渡すデータも、必要な分だけにする。昔の配信素材とかは勝手に出さないから」
「……クロって、そういうところはちゃんとしてるよね」
「そういうところは、って何だよ」
「ほかは適当だから」
「お前な……」
「ふふっ」
カナタは楽しそうに笑った。
「じゃあ、私のアバターが動くところ、楽しみにしてるね」
「期待しすぎるなよ。まずは動作確認だから」
「分かってるって」
「本当か?」
「……たぶん?」
「お前もかよ」
二人で笑った。
通話を切ったあと、クロはモデルのデータを検証用の環境へ移した。
数年前のデータだ。現在の環境でそのまま動く保証はない。
それでも、必要なファイルはきれいに整理されていた。
当時の自分が、何度もバックアップを取っていたらしい。
「……よし」
クロはソフトを起動した。
しばらく読み込みが続く。
やがて、画面に懐かしい姿が表示された。
淡い銀髪。
大きな瞳。
柔らかな表情。
そして、少しだけ首を傾げる仕草。
「……動いたな」
クロがマウスを操作すると、モデルの表情が変わった。
笑顔。
困り顔。
頬を膨らませる表情。
昔の配信でよく使っていたものばかりだった。
「……懐かしい」
思わず口元が緩む。
そのとき、真琴が部屋に入ってきた。
「伊織、今の声……」
彼女はモニターを見て、足を止めた。
「……カナタさん、ですか?」
「そう。モデルのデータが残ってたから、動作確認してる」
「もう動いたんですか?」
「基本的な部分はね。細かい調整はこれから」
真琴は画面をじっと見つめた。
「可愛らしいモデルですね」
「昔からこういう感じだったからな」
「伊織、ずいぶん詳しいですね」
「そりゃ、データを預かってたし」
「……なるほど」
真琴は少しだけ微笑んだ。
「カナタさんも、安心するでしょうね」
「だといいけど」
クロはモデルを動かして、最後に笑顔の表情を表示させた。
画面の中のカナタは、まるで今にも喋り出しそうだった。
引退したVTuber。
もう使われることはないと思っていたアバター。
それが今、クロのパソコンの中で、再び動き始めていた。
クロはカナタに画面のスクリーンショットを送った。
『動作確認できた。基本的には問題なさそう』
少しして、返信が届く。
『えっ!? もう!?』
続いて、通話がかかってきた。
「クロ!!」
開口一番、カナタの声が響く。
「動いたって本当!?」
「本当」
「見せて!」
「今、スクショ送っただろ」
「動いてるところが見たいの!」
「はいはい。今度、テスト用の画面を共有するよ」
「絶対だよ!」
「分かったって」
カナタは嬉しそうに笑った。
「……なんか、ちょっと緊張してきた」
「何で?」
「だって、またあの姿で人前に出るんだよ?」
「大会だしな」
「そうだけど……」
少しだけ間が空く。
「でも、クロが一緒だから大丈夫かな」
クロは画面を見たまま答えた。
「そりゃ、同じチームだからな」
「……うん!」
カナタの声が明るくなった。
「じゃあ、大会で会おうね!」
「ああ」
通話が切れる。
クロは再びモデルを表示させた。
画面の中のカナタが、笑顔でこちらを見ている。
「……さて。ちゃんと仕上げるか」
引退した友人が、もう一度だけ表舞台に立つ。
そのための準備が、静かに始まった。
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