75話
午前十時。
「……終わらん」
俺はパソコンの画面を眺めながら、椅子の背もたれに体を預けた。
配信の予定もないし、大会の練習も午後からでいい。
本来なら、ゲームでもして適当に過ごすつもりだった。
しかし、そうはならなかった。
「伊織、少しよろしいですか?」
「……何?」
隣のソファに座っていた真琴が、ノートパソコンを開いたままこちらを向いた。
「昨日のイベント関連で、確認していただきたいものがいくつかありまして」
「昨日の?」
「はい。編集チームから共有された映像なのですが、確認してほしい箇所があるそうです」
「それ、俺がやる必要ある?」
「伊織が担当した部分も含まれていますので、一度見ていただけると助かります」
「……休日なんだけど」
「存じています」
真琴は申し訳なさそうに笑った。
「急ぎではありません。今日でなくても大丈夫です」
「…………」
「ただ、明日の午前中までに確認できると、皆さん助かるそうです」
「それを急ぎって言うんだよ」
「そうですね」
真琴はあっさり認めた。
「すみません」
「……別にいいけど」
結局、俺は作業用のデータを開いた。
どうせ明日やるなら、今日のうちに終わらせたほうが楽だ。
そうして俺と真琴の休日は、予定外の仕事から始まった。
「ここの切り替え、少し早くないですか?」
「んー……確かに」
真琴が画面を指差す。
俺はタイムラインを確認し、数秒だけ映像を戻した。
「この直前にテロップが入ってるから、もう少し間を空けたほうがいいか」
「そうですね。視聴者が文字を読む時間も必要ですし」
「じゃあ、ここを〇・五秒くらい伸ばす」
「お願いします」
カチカチとマウスを操作する。
真琴は隣から画面を覗き込んでいた。
「……伊織、そこはもう少し音量を下げてもよさそうです」
「ここ?」
「はい。次の場面との音量差が少し気になります」
「確かに。よく気づいたな」
「仕事柄、どうしても気になってしまうんです」
「職業病か」
「伊織も似たようなものでは?」
「否定できない」
真琴が小さく笑った。
こういう作業をしていると、俺たちは妙に話が早い。
俺が何をしたいのか、真琴は大体分かる。
逆に、真琴が何を気にしているのかも、長い付き合いだから何となく分かる。
いちいち説明しなくても通じる。
それは楽なのだが。
「……あれ?」
俺は画面を見つめた。
「どうしました?」
「ここの素材、前のバージョンだ」
「本当ですか?」
「うん。差し替えないと」
共有フォルダを開き、正しい素材を探す。
しばらくして、目的のファイルを見つけた。
「これだな」
「ありがとうございます。私も確認しておきますね」
真琴は自分のノートパソコンにメモを取った。
「……なあ」
「はい?」
「これ、俺がいなくても何とかなるんじゃない?」
「もちろん、何とかなりますよ」
「じゃあ何で俺に頼むんだよ」
「伊織が確認したほうが、修正箇所が少なく済むからです」
「…………」
「それに、伊織はこういう作業が早いので」
「褒めても何も出ないぞ」
「何かをいただこうとは思っていませんよ」
真琴は楽しそうに笑った。
「終わったら、お昼ご飯でも一緒に食べましょう」
「……それが目的?」
「違います」
返事が早かった。
「でも、お昼は一緒に食べたいですね」
「まあ、それはいいけど」
「ありがとうございます」
何で俺がお礼を言われるんだ。
午後十二時半。
ようやく映像の確認が終わった。
「……終わった」
俺は大きく伸びをした。
「お疲れさまでした、伊織」
「真琴もな」
「ありがとうございます。おかげで助かりました」
真琴はノートパソコンを閉じる。
「それでは、お昼にしましょうか」
「何食べる?」
「何か希望はありますか?」
「適当でいい」
「一番困る答えですね」
「じゃあ、パスタ」
「分かりました。材料はありますので、作りますね」
真琴が立ち上がる。
「俺も手伝う」
「そうですか? では、お皿を出していただけますか」
「了解」
二人で台所に向かう。
俺が食器を出し、真琴が調理を始める。
特に会話がなくても、作業は進んでいった。
しばらくして、真琴がふと口を開いた。
「……こういう休日も、悪くないですね」
「仕事してたけどな」
「それはそうですが」
真琴は苦笑した。
「伊織と一緒に作業をして、お昼を作って食べる。私にとっては、落ち着く時間です」
「……ふうん」
「何ですか、その反応は」
「いや、別に」
「何か思うところがあるのでは?」
「別にないって」
真琴は俺の顔を覗き込んだ。
「……照れてます?」
「照れてない」
「そうですか」
楽しそうに笑う声。
「では、そういうことにしておきますね」
「おい」
「ふふっ」
……この人、最近こういうところが増えた気がする。
昔からそうだったかもしれないが。
昼食を食べ終える頃には、午後一時を過ぎていた。
俺はソファに座り、ゲーム機の電源を入れる。
「さて、やるか」
「ゲームですか?」
「うん。午後は大会の練習まで自由だから」
「そうですね」
真琴は空になったカップを片付けながら、こちらを見た。
「伊織」
「ん?」
「さっきの作業、本当にありがとうございました」
「もういいって」
「いえ。休日なのに手伝っていただいたので」
真琴は少しだけ表情を和らげた。
「……頼りにしていますから」
「…………」
「では、私も少し休憩しますね」
そう言って、真琴はソファの反対側に座った。
俺はゲームの画面を見ながら、何となく返事をした。
「……おう」
静かな部屋に、ゲームの起動音が響く。
真琴はスマホを取り出して、何かを確認している。
俺はコントローラーを握った。
いつも通りの休日。
仕事もしたし、昼飯も食べた。
これからゲームをして、夕方になったら大会の練習をする。
それだけだ。
……まあ。
こういう時間があるのは、悪くない。
「伊織」
「何?」
「そのゲーム、私も参加していいですか?」
「いいけど。前も言ったけど、俺に勝つのは難しいぞ」
「分かっています」
真琴はコントローラーを手に取った。
「ですが、今日は勝ちたいと思っていますので」
「……まだ諦めてなかったのか」
「当然です」
真琴は穏やかに微笑む。
「では、始めましょうか」
結局、その日の午後も。
俺たちはゲームをしながら、いつも通りの時間を過ごした。
そして結果は。
一位、クロ。
二位、七瀬真琴。
「…………」
「……惜しかったですね、真琴」
「伊織」
「はい」
「次は勝ちます」
「はいはい」
「本当に、覚えていてくださいね」
……休日くらい、平和に過ごしたいものだ。
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