2話
午前一時十二分。
編集室には、キーボードの音だけが響いていた。
モニターには動画編集ソフト。
タイムライン、大量の素材。
そして、隣にはエナジードリンク。
「……眠」
小さく呟きながら、俺――久瀬伊織はマウスを動かす。
配信を終えてから二時間。
現在、LIVENTO編集室。
自宅ではない。
ちなみに、俺の家にはそこそこ良いPCも編集環境もある。
それでも会社に残って作業している理由は単純だった。
家だと絶対やらないからだ。
本当にやらない。
椅子に座る、動画開く。
五分後にはベッド。
終わり。
だから俺は、編集系の作業を全部会社でやるようにしていた。
逃げられない環境が必要なのだ。
「伊織」
後ろから声。
振り向くと、七瀬真琴が編集室の入口に立っていた。
片手にコンビニ袋。
もう片方にスマホそしてラフなパーカー姿。
完全に夜勤モードである。
「まだやってたんですか」
「そっちこそ」
「私は仕事です」
「俺もです」
「演者なんですけどね本来」
「よく言われます」
真琴は呆れたようにため息を吐きながら、隣にコンビニ袋を置いた。
「夕飯」
「ありがとうございます」
「今日も食べてないでしょ」
「……途中で忘れてました」
「でしょうね」
袋の中には、おにぎりとサンドイッチ。
あとブラックコーヒー。
完全に理解されている。
「真琴さん帰らないんですか」
「終電逃しました」
「何してたんです?」
「ルナさんの案件修正」
「あー……」
納得。
天音ルナは超人気Vだ。
その分、案件量も多い。
当然、振られる仕事量も凄まじい。
「タクシー?」
「微妙な距離なんですよね」
「まあ近いですもんね」
俺と真琴の家は近い。
会社から徒歩圏。
緊急対応しやすいから、という理由でこの辺に住んでいる。
結果、深夜でも普通に会社に居る人間が完成した。
「……どうします?」
「ん?」
「泊まってきます?」
一応聞く。
真琴は少しだけ考えて。
「そうします」
「即決」
「今から帰るの面倒です」
「分かります」
俺も逆の立場ならそうする。
編集データを書き出してから、二人で事務所を出る。
深夜二時半。
人通りは少ない。
コンビニだけが明るい。
「今日寒くないですか」
「昼との差やばいですね」
そんな他愛ない話をしながら歩く。
こういう時間は嫌いじゃない。
配信中とも、仕事中とも違う。
ただの会話。
「そういえば」
真琴が前を向いたまま口を開く。
「今日の配信、コメント欄ちょっと荒れかけてましたね」
「あー……コラボの話ですか」
「です」
苦笑する。
最近やたら言われるのだ。
コラボしないのか、と。
「別に嫌いじゃないんですけどね」
「知ってます」
「ただ、なんか違うんですよね」
自分でも上手く説明出来ない。
一人で配信して、コメント拾ってその空気が完成されすぎている。
そこに別の誰かが入る感覚が、未だに慣れない。
「まあ伊織の配信、独特ですし」
「そうです?」
「リスナーとの距離感が近いというか」
「近いですかね」
「近いですよ」
断言された。
そんなものだろうか。
俺にはよく分からない。
ただ、配信は好きだった。
コメント欄も深夜の空気も。
だから続けている。
気付けば百万人になっていただけで。
マンションに着く。
オートロックを抜けて、エレベーター。
真琴は自然な動きで俺の部屋の階へついてきた。
まあ、今更である。
「お邪魔します」
「どうぞ」
部屋に入ると、真琴が軽く周囲を見回した。
「相変わらずですね」
「何がです?」
「生活感が薄い」
「否定出来ない」
最低限の家具。
配信環境、機材。
それ以外ほぼ無い。
男の一人暮らしなんて大体こんなものだと思う。
「適当に使ってください」
「はい」
真琴は慣れた様子でソファへ座る。
完全に馴染んでいる。
付き合ってはいない。
だが距離感はもう大分おかしい。
「風呂先どうぞ」
「じゃあお先に」
真琴が浴室へ向かう。
その間、俺はPCを起動した。
編集ではない。
ただの確認作業。
メール、案件、配信スケジュール。
その時スマホが震える。
灰堂蓮からだった。
『今度の箱企画出ろよ』
短文、雑。
俺は数秒考え。
『考えときます』
と返した。
既読が付く。
数秒後。
『それ出ないやつだろ』
図星だった。
「何笑ってるんですか」
風呂上がりの真琴が、タオルで髪を拭きながら戻ってくる。
「蓮さんからです」
「あー……」
察した顔。
「また箱企画ですか」
「みたいです」
「出ます?」
「どう思います?」
「出ない顔してます」
「正解」
真琴が小さく笑った。
そのままソファへ座る。
「でも、最近増えましたね」
「何がです?」
「コラボ希望」
「あー……」
百万人を超えた辺りから、一気に増えた。
他事務所ら案件、大会、コラボ。
ありがたい話ではある。
でも。
「疲れるんですよね」
ぽつりと漏れる。
真琴は少しだけ目を丸くした。
「珍しいですね」
「複数人配信」
「ああ」
「気を遣うんですよ」
コメント欄だけ見てればいいソロと違って、人が増えると空気も変わる。
テンポ、話題、沈黙。
全部。
「伊織、変なところで真面目なんですよ」
「否定はしません」
俺はソファにもたれた。
時計を見る。
三時過ぎ。
そろそろ寝るか。
「真琴さん」
「はい」
「布団使います?」
「伊織ベッドで寝てください」
「いや客人ですし」
「仕事仲間です」
「その理論強いな……」
結局。
十分後。
真琴は普通に俺のベッドで寝ていた。
俺は床にクッションを敷く。
「……伊織」
「はい」
「風邪引きますよ」
「毛布あります」
「そういう問題じゃなくてですね」
「寝ます?」
真琴は少し黙って。
「……狭いですよ」
「別に」
数分後。
電気を消した部屋。
静かな空間。
「伊織」
「なんです?」
「明日、昼から会議です」
「最悪だ……」
「起こします」
「お願いします」
そんな会話を最後に深夜の部屋は静かになった。
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