第17話|紫薔薇二十五本
PENTARISのデビューショーケース会場は、デビュー曲『4月のパレット』のパフォーマンスの話題で持ちきりだった。
ショーケース会場の最後方、光の届かない場所には、静香と——凛の父であり、国民的アイドルでもある雨夜玲志が立っていた。
黒い帽子とマスクで顔を伏せ、わずかに覗くネイビーの瞳だけが会場を見つめていた。
「あいつ、本気を出していませんね」
静香は前を向いたまま、短く答えた。
「バランスが崩れる。それだけのことよ」
玲志はそれ以上、何も言わなかった。
静香は軽くため息をついた。
「元々来るつもりはなかったのに、貴方が『こっそり行きたい』と言い張るから調整が大変だった。今日は私の言う通りにしなさい」
「……『シナリオ』通りに動けばいいですか」
玲志は静香から届いたメッセージに目を通しながら聞き返した。
静香は深くうなずいた。
「そう。多忙な合間を縫って駆けつけたが、パフォーマンスには間に合わなかった。お祝いだけ言って去る——それが今日の貴方の役割」
静香は一度時間を確認し、言葉を継いだ。
「15分後、会場の入り口に花束が届く。貴方の名前で。紫のバラ25本——花言葉は『あなたの幸せを祈る』だそうよ」
「……そこまで計算済みですか」
「これを持っていきなさい。凛に花束を渡して写真を撮って——メイに頼めば、あの子が送ってくる」
静香はカバンから関係者パス一枚を取り出し、玲志に手渡した。
玲志はそれを受け取ると、無造作にジャケットのポケットへ放り込んだ。
「静香さんは行かないんですか?」
「私はこれから打ち合わせがある。鈴木が駐車場で待機しているはず。終わったら乗って合流しなさい」
「分かりました」
玲志がそう答える間もなく、静香は振り返ることなく会場を後にした。
玲志はポケットの中のパスを一度取り出して眺め、再び仕舞い込んだ。
***
PENTARISのデビューショーケースが無事終わり、メンバーたちは控え室へと戻ってきた。
そこではメイが、あらかじめ用意していたケーキのロウソクに火を灯して待っていた。
思わぬサプライズに、メンバーたちのテンションが一気に跳ね上がった。
全員で火を吹き消すと、入れ替わるように篠原が、凛以外のメンバーの親たちを控え室へと案内してきた。
親たちはお祝いの花束を抱え、息子たちへと手渡した。
睦まじく語らうその光景を、凛とメイは並んで静かに見つめていた。
「寂しそうな顔しないで」
メイは凛の背中をポンポンと軽く叩いた。
「玲志おじさんは忙しいから、仕方ないでしょ」
「お前こそ、寂しがるな」
凛はメイの髪をくしゃくしゃに撫で回した。
「メイちゃん、久しぶりね」
理月の母がメイに親しく声をかけた。
メイもすぐさま笑顔で彼女の元へ歩み寄り、会話を弾ませた。
凛はしばらくその様子を見守っていたが、ふと苦笑を浮かべ、そっと控え室を抜け出した。
廊下に出た凛は、うつむいたまま小さくため息をついた。
ふと前を向くと、廊下の向こうから玲志が歩いてくるのが見えた。
凛は一瞬、驚きのあまり体が固まった。
玲志の方へと駆け寄ろうと足を踏み出しかけたが、すぐに思いとどまった。
「凛、デビューおめでとう」
玲志の足音が、一歩ずつ凛へと近づいた。
至近距離まで来ると、玲志は手にしていた花束を凛へと差し出した。
思わぬ玲志の訪問、そして花束の贈り物に、凛の両手は宙をさまよった。
戸惑う凛を見て、玲志はマスクを下げて口元を綻ばせると、もう一度花束を差し出した。
ようやく安心したように、凛は照れながら玲志から花束を大切に受け取った。
バラの香りが、むせ返るほど強く漂った。
凛は花束を胸に抱えながら、ぽつりと呟いた。
「お父さん、来られないって……」
「少し時間ができてね、急いで駆けつけたんだが……結局、ショーケースには間に合わなかった」
「……そうでしたか」
玲志の言葉に、凛は名残惜しそうに視線を落とした。
「凛、どこ? 一緒に写真……」
メイが控え室のドアを開きながら、凛を呼んだ。
廊下に立っている玲志と目が合い、メイは動きを止めた。
メイに気づいた玲志は、にこやかに手を振った。
「メイちゃん、久しぶり」
「玲志おじさん?」
「しっ。俺がここに来たことは、今は内密に頼むよ」
玲志は人差し指を唇に当てて言った。
メイは察したようにうなずき、静かに廊下へ出た。
「どうやって入れたんですか、ここ」
「まぁ、俺の顔がフリーパスみたいなものかな」
玲志は冗談めかして笑った。
アーティストエリアは、本来なら関係者パスがなければ立ち入れない。
それでも——相手が『雨夜玲志』なら、話は別だとメイは思った。
「メイちゃん、凛と写真を撮りたいんだが、よかったら撮ってくれるか?」
玲志の方から写真を撮ろうと言い出したことに、凛は弾かれたように顔を上げて玲志を見つめた。
普段は表情に乏しい凛だが、今この瞬間だけは、子供のように瞳を輝かせていた。
玲志はその瞳を見て一瞬困惑の色を見せたが、すぐに笑みを浮かべると、凛の肩を抱き寄せた。
「ここをバックにしよう」
メイがスマホを構えながら声をかけた。
「玲志おじさん、この写真、うちのSNSに載せてもいいですか?」
「静香さんに確認してみて」
「分かりました。そうですよね」
メイは凛と玲志のツーショットをきれいに収めるために角度を調整し、シャッターを切った。
玲志は余裕たっぷりの笑顔で凛の肩を優しく抱いていた。
玲志からもらった花束を大事そうに抱える凛の顔は、喜びで満ち溢れていた。
控え室から寛人が様子を見に廊下へ出てきた。
そこで凛と玲志が並び、メイが撮影している姿を目にして、思わず声を上げた。
すると、控え室にいた人たちが一斉に廊下へ飛び出してきた。
誰もが本物の雨夜玲志を目の当たりにし、呆然として立ち尽くしていた。
玲志が困ったように「しっ」と口元に指を当てると、皆が慌ててうなずいた。
「すみません。俺が今ここにいるのは、まだ公にしたくないので」
凛が玲志の息子だとは聞いていたが、実際に並んでいる姿を見ると、誰もが現実味を感じられず凛と玲志を交互に眺めた。
玲志はその中で最も平然としている遼を見つけると、朗らかに声をかけた。
「知念くん、久しぶり」
「お疲れ様です」
「一緒に映画に出たこと、覚えているかい?」
「すみません。子供の頃なので記憶が曖昧です。でも共演させていただいたことは覚えています」
玲志は目を細めた。
「まさかあの頃の君が、凛と一緒にデビューするとはな。これからもよろしく」
「よろしくお願いします」
遼が静かに頭を下げると、玲志は遼に手を差し出した。
遼は突然の握手に一瞬ためらったが、すぐに丁寧な動作で両手を添えた。
玲志はすぐ隣にいる理月にも視線を向けた。
「須賀くん。以前の動画、よく見ていた。すっかり大きくなったな」
「こ、光栄です!」
理月は玲志の右手をギュッと強く握った。
続いて、玲志は寛人といろはにも握手を求めた。
「愛川くんと音成くんか。凛は口数が少ないが、悪い子じゃない。仲良くしてやってくれ」
「とんでもありません。凛くんにはいつも助けてもらっています」
玲志が視線をいろはへ移すと、いろははやや遅れて続けた。
「り、凛兄さんとは……仲良くしています!」
玲志は寛人といろはと短い会話を交わした後、腕時計に目を落とした。
そして、はっとした表情で言った。
「すみません。もう少しここにいたいのですが、スケジュールの合間に抜けてきたもので。そろそろ戻らなければ。先に失礼します」
STARZEN在籍時から玲志と面識のある篠原が、その場を代表するように一歩前に出た。
「いえ、来てくださってありがとうございました、玲志さん」
凛は何も言わないまま、花束を抱えて玲志の背中を見つめていた。
玲志は立ち止まり、凛を振り返った。
「パフォーマンスを直接見られなかったのは残念だが、改めてデビューおめでとう。頑張れ」
「……はい」
玲志は凛の肩をポンと軽く叩き、その場を後にした。
凛の口元には、抑えきれない笑みがわずかにこぼれていた。
***
会場を抜け出した玲志は駐車場へ向かい、周囲を見渡した。
隅の方で見覚えのある男性が玲志に気づくと、足早に駆け寄ってきた。
玲志もまた、その方向へ歩みを速めた。
「雨夜さん、用事は済みましたか?」
「ああ。鈴木、結構待たせたか?」
鈴木は首を振った。
「いいえ。人に気づかれないうちに、早く乗りましょう」
「そうだな」
玲志は手際よく車に乗り込んだ。
ドアが閉まった瞬間、先ほどまでの穏やかな雰囲気は一変し、氷のように冷たくなった。
「出して」
「……かしこまりました」
鈴木はこの変貌に慣れきっている様子で、静かにエンジンをかけた。
玲志は窓の外をぼんやりと眺めていた。
玲志の頭の中に、廊下で自分を見つけ、照れくさそうに迎えた凛の顔が浮かんだ。
それに重なるように、去年の夏——自分のカバーステージを終えた後、目が合った瞬間に歓喜から絶望へと染まった凛の瞳が蘇る。
——『あんなこと』をされても、俺にステージを見てほしいと言ってくるとはな。
2週間前、久しぶりに実家へ帰った凛が、迷いながらショーケースの招待券を差し出した姿も脳裏をよぎった。
行けないと告げた時、あからさまに落胆した表情まで。
——『あんなこと』があっても、アイドルを諦めないとはな。
凛の行動や反応を一つひとつ噛みしめれば噛みしめるほど、玲志の胸中は複雑に濁っていった。
今日、PENTARISとして見せた凛のパフォーマンスが、ふと脳裏をよぎった。
直後、去年の夏——自分の曲をカバーした凛のステージが、容赦なく重なった。
凛のカバーパフォーマンスを初めて目にした時に覚えた、あの思わず目をそらしたくなるような感情が、再び湧き上がってきた。
玲志の口から、乾いた笑いが漏れた。
「……俺には、似ていない。全く」
帽子の影に隠れた玲志の瞳には、『あの日』と同じように恐れと拒絶が混じっていた。




