60 : 人工感情の錯誤
メルティとの戦闘で思い知らされた、圧倒的なまでの力の差。
私たちは同じ『シュガードール』である筈なのに……どうして?私が記憶を失っているから?戦い方を一度は忘れてしまったから?
わからない。それさえも思い出せない。
ただ、今の私の胸の内には「悔しい」という感情だけが沸々と燃えている。
マザーボードへ来たばかりの頃と比べれば、戦闘能力は格段に向上したと言えるだろう。
朝早くから夜遅くまで訓練して、初めの頃は力を上手く制御できず、暴走して仲間たちに迷惑をかけてしまったこともある。その度に更に訓練と試行錯誤を重ね、リミッターを解除せずとも戦う術を身に着けた。
自分で言うのは少し変かもしれないが、相当な努力をしてきたと思っている。けれど、それでもまだ足りないのだ。
メルティと戦ってわかったことだが、どうやら彼女ほどの強敵と対峙すると、身体が危険を察知してか、なにか考えるよりも先に自動的にリミッターが外れてしまうようだ。
実を言えば、メルティと戦っている間のことはあまり覚えていない。まるで私の内側に住む何者かによって、身体を勝手に動かされているかのような……
リミッターが解除されている時は、いつもそんな感じだ。私はそれが、とても怖い。
もっと、もっと強くならなければ。
ユリサや、大切な仲間たちを守れるくらい。
*
四方を白い壁に囲まれた、広い訓練場の中を凄まじい速さで駆け巡る小さな体躯。意識を集中していないと、危うくその姿を見失いそうになる。
そうかと思えば、次の瞬間にはアムの顔が目の前にまで迫って来ていて、その手からは鋭利なクナイが放たれているのだ。
訓練とは言え容赦ない。顔を逸らしてクナイを避けたが、冷たい風が頬を切り裂き、掠め取られた数本の髪が虚しく舞った。
息継ぎの暇も与えず、次々と繰り出される力強い攻撃。小柄な身体のどこにこれだけのパワーを秘めているのか、全く想像できない。
アムの攻撃を交わすことに気を取られていると、背後に迫るマックスの影に気が付くのが遅れてしまった。ロイドギアで強化されたマックスの巨大な腕が、鋼の拳が、頭上から振り下ろされる。
再びアムの手から放たれたクナイの間を潜り抜け、炎上する惑星の如きマックスの拳からなんとか逃れる。
訓練場はあらゆる衝撃に耐えられるよう、他の場所よりも一層頑丈に造られているようだが、それでもマックスの膂力には耐えきれなかったのか、白い床は大きく陥没してしまった。
しかし、マザーボードの最先端技術とは本当に見上げたもので、ゆっくりとではあるが、陥没した床は既に自動修復を始めている。まるで訓練場の床だけが、時間を巻き戻しているかのように。
マックスの一撃によって生じた一瞬の隙を突き、装甲に包まれたアムの細腕を掴み取る。
「えっ!?ちょっ!」
アムがなにか言ったようだが、ロイドギアの内側で鳴り響く機械音が煩くて、はっきりとは聞こえなかった。
構わず、アムの身体をマックスに目掛けて投げ付ける。
「ち、ちょっとおおおおっ!?」
「うおっ!?」
均衡を失い、流星の如き速さで回転しながら舞い上がる二人の身体。
勢いをつけて跳躍し、二人の身体をまとめて床に叩きつける。
今度は床の別の部分が大きく陥没してしまった。二人は未だ動けないようで、痛みに苦しんでいるというよりも、呆気にとられたような顔をして目線を宙に彷徨わせている。
なるべく二人に怪我をさせないよう、これでも力は抜いたつもりだったのだが……
やはり私はまだ、力加減のコントロールが完璧ではないらしい。
「ごめん!二人とも、大丈夫!?」
二人に向かって手を差し出すが、どうやらまだ、すぐには動けないらしい。
「フラン、やりすぎだ。まあそれでも、以前と比べたら随分と力を抑えられるようになってはいるがな」
戦闘訓練を見ていたヴォルフガング総司令官が、呆れたような笑みを浮かべながらもそう言って褒めてくれた。
「総司令官……!ありがとうございます!」
「それに、暴走することもなくなったしね」
ユリサは私の隣へやって来ると、まるで自分のことのように、嬉しそうに微笑んだ。つられて私まで笑顔になる。
「ほんとに……けど、もうちょっと手加減してよね……」
「全くだぜ。床突き抜けるかと思ったわ……」
二人の方へ視線を戻すと、アムとマックスはゆっくりと上体を起こしながら、恨みがましい目で私を見上げていた。
「ご、ごめんね!二人とも!大丈夫?ケガしてない?」
まだ少しふらついているアムを助け起こす。マックスにも手を貸そうかと思ったが、アムを助け起こした頃にはマックスは自力で立ち上がっていた。
「大丈夫よ。アムもマックスも、これでもヴァイスリッターの隊長なんだから」
「「これでもってなによ(なんだ)!?」」
ユリサの言葉に、二人の声が綺麗に重なった。それがなんだか可笑しくて、思わず笑ってしまった。
「よかった。アムもマックスも、総司令官も、それにユリサも、いつも訓練に付き合ってくれて本当にありがとう。私、もっと役に立てるよう頑張る!」
心からの感謝を伝えたつもりが、一同の反応は思っていたものとは少し違っていた。急に静かになる訓練場内。マックスは妙に顔を赤くして、アムと総司令官は笑いを堪えているような顔で、ユリサは穏やかに微笑みながら私に視線を預けていた。
……あれ?私、なにか変なことを言っただろうか?
込み上げる笑いを抑えきれなくなったのか、アムが最初に口を開いた。
「……ぷっ。あはっ、あははっ、もうダメ……おっかしい。あのフランがこんなこと言うなんて。でも、今のフランの方が私は好きかもしれないなっ」
アムはそう言って、いきなり抱き着いてきた。小動物みたいで可愛らしい。こうしていると、つい先ほど戦っていた時の姿が嘘みたいだ。
「けど、ちょっとコワイぞ……まあ、前よりかは隊員からの評判も随分と良くなったみたいだけどな。俺も、今のフランはなんつーか、話しやすいしな」
目を合わせずに、照れ臭そうに言う所がいかにもマックスらしい。
それにしても、記憶を失くす前の私は仲間たちに対して碌に「ありがとう」も言えないようなアンドロイドだったということか……?
だとしたら、昔の私をぶん殴ってやりたい。
私はいつもみんなに助けてもらってばかりで、いくら感謝してもし切れないくらいだ。優しい仲間たちに囲まれて、本当に自分は恵まれたアンドロイドだと思っている。
昔の私は今の私よりも強かったのかもしれないが、だからと言って仲間たちに感謝の気持ちを伝えなくてもいいなんて、そんなことはある筈がない。
この場にはいないエリアスも、ちょっと不器用だけどカノンだって、それに──他の隊員たちにだって、私は毎日感謝している。
だけど思い返せば、こうして改まって感謝の気持ちを伝えることは、それほどなかったのかもしれないな。
*
訓練場を後にした時、外は既に暗くなっていた。点々と灯る街灯の光が照らし出す寮までの道のりを、ユリサと肩を並べて歩く。
「最近は陽が落ちるのが随分と早くなったわね」
「うん、そうだね……」
「いつも言ってるけど、訓練もほどほどにね?アンドロイドと言えど、疲れは溜まるんだから」
「うん。ありがとう」
続く言葉は無かった。私たちは無意識のうちに歩幅を合わせ、なるべくゆっくりと歩く。
きっと、ユリサは待っているのだろう。私の口から次の言葉が出てくるのを。
私の口数が少ない時、なにか大切なことを言おうとしているのだと、明晰な私の親友は理解しているのだ。
伝えるべきか、ずっと悩んでいた。ユリサに余計な心配をかけたくはないし、不安を抱かせるつもりもない。
けれど、ユリサにだけは隠し事はしたくない。それに黙っていたところで、聡明で勘の良い彼女にはきっとすぐに気付かれてしまうだろう。
「ユリサ」
私より数歩前に進んだところで、ユリサが足を止めて振り返る。薄暮れの中で、二つの瞳が真っ直ぐに私を見つめている。
「あのね、言っておきたいことがあるんだけど」
ユリサは少し不思議そうな、不安そうな顔をして頷いた。
「うん。どうしたの?」
簡単なことなのに、どうして伝えるのが怖いと思ってしまうんだろう。ユリサを裏切るわけでもない。約束を破るわけでもない。それなのに、どうしてこんなに胸が鈍く痛むんだろう。
「……あのね、私、今度総統に話を聞きに行くんだ」
暗がりの中で少し見開かれた大きな目は、隠し切れない動揺の色を湛えて震えているように見えた。
「総統に?……そうなんだ。だけど、話を聞きに行くって、一体なんの話を?」
「シュガードールに関することや、昔の私について、かな。メルティは私と同じシュガードールだと言っていたけど、私とは比べ物にならないくらい強かった。ユリサやみんなを守るためにも、私はもっと強くならなくちゃいけないから……その為に、まずは自分が何者なのかを理解しておきたいと思ったんだ」
ユリサの言葉を待つ時間は恐ろしいほど長く、そして静かで。やっとのことで発せられたその声は、ひどく冷たく端的で、僅かな嘆きさえもを孕んでいるように思われた。
「……だめだよ」
暗がりの中で、ユリサの瞳は透明な涙に濡れていた。
「だめだよ。総統は……あいつは危険なの!今のフランと二人きりにさせるわけにはいかない。行くなら私も一緒に行く」
ユリサの声が思いの外大きく響いたので、驚くと同時に少しヒヤッとさせられた。マザーボードで総統のことを悪く言えば、それだけで処罰を受ける可能性だって十分有り得るのだ。それが軍事基地内となれば尚更──
ユリサは普段、総統と顔を合わせた時も不遜な態度を取るけれど、私はそれが心配でならなかった。総統は気にしていないようだからまだ良いものの、周囲のアンドロイドからすれば、良い感情は抱かないだろう。
ユリサのことだから、なにか理由があるに違いない。わかっていても、今まではそれを聞くことが怖くて、私は目を背けていた。
「ユリサ、どうして総統のことをそんな風に言うの?なにか理由があるなら、まずは話してよ。それに、総統との約束だから……悪いけど、ユリサを連れて行くことはできない」
その時のユリサの顔を見て、私はすぐに自身の発言を後悔した。だけど、もう遅かった。
血が滲みそうなほど唇を強く噛み締めて、涙を溜めた眼差しは、夜の中で静かな憤りに震えていた。
「ユリサ、ごめ──」
「フランにはわからない!!」
ユリサが発したとは思えないような甲高い叫びは、私の言葉を切り裂き、夜の静謐をも搔き乱した。傍にある街灯の白い光が明滅する。その明かりが再び彼女の顔を照らし出した時、それは別人のように憔悴し、深く嚙み過ぎた唇からは赤い筋が伝っていた。
「フランはアンドロイドだから……AIだからわからないのよ……人間の私の気持ちなんて。フランは何度生まれ変わったところでやっぱり、マザーボードの、この国の味方なんだ!」
「ユリサ!!」
突如背を向けて走り出したその背中を、どうしてかすぐに追いかけることが出来なかった。
ユリサの言葉が何度も何度も頭の中で再生される。その度に深く傷口を抉る。
ごめん、ユリサ……
私、最低だ。
人工感情と人間が持つ感情は違う。そんなこと、わかっていたはずなのに。
私はユリサの、唯一の理解者を気取っていただけだった。
だけど。だけどね、ユリサ。
私にとってあなたは一番大切で、かけがえのない存在だってこと。
それだけは絶対に変わらない、不変の想いなんだよ。




