59 : フランの覚悟
「それで、僕に聞きたいことって何だろう」
黒く澄み切った綺麗な瞳は、眠るユリサの上を通って真っ直ぐに私だけを見つめる。
私は未だ緊張しているのだろうか。途端に頭の中が真っ白になり、言おうとしていた言葉がどこかへ飛んで行ってしまった。
「あっ、はい……その……マザーランドのチケット!本当にありがとうございました……!お礼を言うのが遅くなってしまい、申し訳ありません……」
咄嗟に出た言葉は、これはこれで伝えなければいけないことだった。
「楽しんでもらえたなら良かった。けど、返って大変な目に遭わせてしまったね」
メルティたちの襲撃のことを言っているのだろう。総統は苦々しい顔をした。
「そんな!総統の所為ではありません!それに、私の力不足で……ご心配とご迷惑をおかけしました。他のヴァイスリッターも巻き込んで、ユリサにも怪我を負わせてしまって……」
言いながら、込み上げてきそうになる涙をぐっと堪えた。総統の前で泣く馬鹿があるか。
泣くのはせめて、自分の部屋で一人きりでいる時だけにしろ。
「いや、フランは悪くない。知っての通り、メルティはとんでもなく厄介な相手だからね。だけど、いずれは必ず倒さなければいけない相手だ」
総統は少しだけ残念そうな、不満を押し殺したような顔をして、眠るユリサへ視線を落とした。再び顔を上げた時、その目は先ほどまでとは打って変わって、険しい軍人の目つきになっていた。
その眼光に当てられた瞬間、恐ろしいほど冷たい感覚が背中を走った。慄然とする、とは正にこういうことを言うのか。
私には心臓など無いはずなのに、動悸が激しく息が苦しい。あまりの不甲斐なさに、一度は堪えた涙が滲みそうになる。
フランは悪くないと、たった今総統は仰られたが、それは総統の慈悲であって事実ではない。私はメルティに負けて軍に迷惑をかけた挙句、あと少しのところで彼女を逃がしたのだ。
謝らなければいけないとわかっていながら、頭の中が真っ白になってしまい、謝罪の言葉が浮かばない。それに、声も出せそうになかった。
メルティと対峙した時とは全く別物の恐怖が、私を掴んで離さない。
しかし、それは五秒にも満たない時間だった。
総統は小さな子供に笑いかけるように、目を細くして柔らかな笑みを浮かべた。
「フランはよくやってくれている。期待しているからね」
「えっ……あ、はい……!ありがとうございます……」
思いがけぬ誉め言葉に、なにか考えるよりも先にこう答えていた。
それが本心なのかどうかはさておき、叱責を受けなかったことには安堵した。……いや、本当なら怒られて当然のことなのだが、今この場で総統に叱られたら……情けない私は、ユリサの前で涙を堪えられる自信がない。
「さて!それで、僕に聞きたいことがあるんだよね?」
総統は時間を気にしているような素振りは一切見せないが、手短に済ませなければいけない。何しろマザーボードの頂点に君臨する統治者だ。総統と私とでは、時間の流れる速度も一秒の価値も、全く以て異なる。
私は頷いた。
「はい。単刀直入に申し上げます。私、シュガードールやメルティのこと、それから私自身のことについて、もっと知りたくて……本来であれば、私が自分の力で思い出さなければならないことなのですが、どうしても、思い出すことができないでいます。
ウイルスやメルティの襲撃もあった今、悠長なことを言ってはいられません。総統ならご存じなのではないかと思いまして……どうか私に、シュガードールについてのことや私が記憶を失う前のことを、出来る限りで結構ですので、教えていただけないでしょうか?」
張り詰めた静寂が室内を満たし、あまりの息苦しさに自分がアンドロイドであることも忘れて、窒息してしまいそうになる。
言い終えた瞬間に、言わなければよかったかもしれないと少し後悔した。けれど、もう遅い。
総統の顔から一瞬にして微笑が消えたが、その表情は怒っているようにも見えない。真剣な顔つきで、なにかを思案している様子だ。
私は立ち上がり、総統に向かって深く頭を下げた。
「お忙しいとは思いますが……ほんの少しだけでいいんです!お願いします……!」
「ちょっとフラン、そんなことしなくていいよ。顔上げて」
苦笑の混じった声に恐る恐る顔を上げると、そこには穏やかな微笑を浮かべる、普段の総統がいた。
「時間は大して問題じゃないんだよ。こう見えて僕は優秀だから、大抵の仕事はすぐに片付けられちゃうんだ」
「は、はい……」
今の発言にはもっと笑った方がよかったのだろうか。総統の表情はにこやかだが、余計に空気が不穏になったような気がする。
総統のことは断じて嫌いではない。それどころか、総統という地位に立ちながら腰が低くて優しくて、心から尊敬している。総統が総統であるからこそ、輝かしく荘厳な、今のマザーボードがあるのだろう。
だけど、やっぱりまだ緊張してしまう。うっかり失礼なことを言ってしまいそうで、無意識に話すのが怖いと感じていたのだ。
総統に座るよう促され、私はおずおずと丸椅子に腰かけた。ユリサはというと、私たちの間で相も変わらずぐっすりと眠っている。寝ている間に私と総統の間でこんなやり取りが交わされたとは、きっと夢にも思わないだろう。
「いいよ。今度時間を取るから、そこでゆっくり話してあげよう。きっと、君の知りたがっていること全てを」
「ほ、本当ですか!?」
ここが療養所の一室であることも、すぐ傍でユリサが眠っていることも忘れて、つい大きな声を出してしまった。
総統はそれに対して嫌な顔をするどころか、にこやかに頷いてくれた。
「ああ、僕は嘘は吐かないよ。だけど、ちょっと心配なこともあってね」
「心配なこと……?」
まただ。一瞬にして総統の顔が別人のように色を変える。眼差しが鋭利な光を帯び、先ほどまでと同様に口元は微笑を湛えているにも関わらず、その笑みの裏側に何かあるように見えてしまうのだ。
どっちが本当の貴方なのですか。
総統相手に、口が裂けてもそんな無礼なことは言えないけれど。
「迷っていたんだ。君に話すべきか」
そう語る表情、その声は、抱えきれなくなった悩み事を打ち明けようとしている、潮らしい青年の姿そのものだ。
「シュガードールである君の正体や過去を話して、君が僕の味方でいてくれなくなったらどうしようってね」
そう言って、弱々しいとさえ感じられる眼差しで私を仰ぐ。
「私が総統の味方でなくなるって、どういうことですか……?少なくとも、私はヴァイスリッターとして、これからも戦い続けるつもりです。その為にも、自分の過去やシュガードールについてのことをもっと知っておきたいんです……!」
思いの強さに比例して、抑え気味に話していた声も自然と大きくなっていった。
総統はなにかを思案するかのような表情で、私をじっと見た。それは一秒にも満たないくらいのほんの僅かな時間だったが、「おまえに本当にその覚悟があるのか」と、問いかけられているかのようだった。
声には出さず、眼差しだけでその問いかけに答える。覚悟なら出来ている、と。私はこの身を犠牲にしてでも、必ずユリサを──みんなを守り抜くだろう。
口元にふっと笑みを浮かべると同時に、私を真っ直ぐに見つめていた視線が逸らされた。
胸の内で明言した「覚悟」は、視線に込められた熱を通して伝播したのかもしれない。
総統は、部屋のドアの方へ向かってゆっくりと歩き出しながら言った。
「フランは本当に変わったね。昔の君と今の君、一体どっちが本当の君なんだろう?」
ドアの前で足を止め、振り返った総統は穏やかな微笑を浮かべていた。
どちらが本当のあなたなのか。それは先ほど、私が総統に対して抱いた疑問だ。
私たちは、互いが何者なのかを知らない。それどころか、私は自分自身が何者なのかさえよくわからないのだ。
総統が言う、「昔の私」がどんなアンドロイドだったのかも──
わからないことだらけだ。けれど、確かに言えることが一つ。
「わかりません。ですが、どちらも本当の私……本当の『フラン』です」
小さな寝息を立てて眠っているこの子が──ユリサが私を迎えに来て、私の名前を呼んでくれたから。それだけで、私は『フラン』でいられる。
「……そうだね。その芯の強さは、昔から一貫しているよ。本当に頼もしい。恐ろしいまでにね」
恐ろしい……?
「それじゃあ、僕はもう行くよ。時間のある時に、また声を掛けさせてもらうね」
「は、はい!よろしくお願いいたします!」
総統の姿が見えなくなると、室内には妙な静けさが残された。
本当に不思議なお方だ。すごく優しいのに、どうしてか長い間総統と話していると、息苦しさや拘束感を覚えてしまう。穏やかな微笑の奥に、決して触れてはいけない冷たい核のようなものがあるように感じてしまうのだ。
──駄目だ!なにを考えているんだ、私は!
総統は私なんかの為に時間を取ると言ってくれて、すごく良くしてもらっているというのに……!
それなのに、私は失礼なことばかり考えて。
相手は一国の頂点に立つお方なのだ。多少の息苦しさなどは感じて当然だろう。
その時、ベッドが微かに軋んだ。
「……ん」
白い頬がぴくりと動き、伏せられた長い睫毛がゆっくりと持ち上がる。蕾が開花するかのように、艶を帯びて煌めく黒い瞳が私の姿を映し出した。
「ユリサ!!」
大好きなその名前を叫ぶと同時に、起き上がろうとする華奢な上体を両腕で抱きしめる。
「フラン……?あれ、私……」
「うわああんユリサーー!!よかったよーー!!」
「ち、ちょっとフラン……苦しいってば……」
久々に発せられたユリサの声は、ほんの少し掠れている。ユリサの身体は温かくて、胸の奥では心音が一定のリズムで鳴っている。
ユリサが生きていてくれてよかった。
ふわりふわりと視界の端から現れたなにかが、長い黒髪に着地した。指先でそっと摘んだそれは、薄桃色の花弁だった。
どこから落ちてきたのか……
視線を巡らせて、すぐに合点がいく。花瓶に活けられた花々は、ユリサの目覚めを祝福するかのように色鮮やかに咲いていた。




