58 : 少女と花束
シュガードールとは、一体なんなのだろう。
私は、何者なんだろう。
考えて考えて……いくら考え続けても、その答えは一向に見えてこない。
忘却の中にある筈のそれは、時が経ち過ぎた所為で既に私のものではなくなってしまったのかもしれない。
私は誰だ。私とは何だ。
私は私がわからない。
確かに言えることがあるとすればそれは、私はユリサやみんなを守りたい。ただそれだけだ。
私もメルティも、同じ使命を課せられたシュガードールである筈なのに、どうして私たちは戦わなければならないのだろう。わかり合うことはできないのだろうか。
本当は誰とも戦いたくない。AIだろうと人間だろうと、誰も傷つけたくない。
時々わからなくなる。私は何と戦っているのか。
そんな時はなによりも大切な存在のことを思い出す。ユリサに危害を加える者には、誰であろうと容赦しない。
眠っている時のユリサの顔はどこかあどけなくて、普段の凛とした顔つきからは想像できないほど無防備だ。薄く開いた唇からは小さな寝息がこぼれ落ちて、上下する漆黒の長い睫毛はその下にある瞳の耀きを隠している。
頭部にぐるりと巻かれた白い包帯に、指先でそっと触れた。黒い前髪を額の端に払い除けると、ユリサの頬がほんの少しだけ動いたような気がした。
メルティとの戦いから三日が経過したが、ユリサは未だ目を覚まさない。
あの日──私とユリサがマザーランドへ行った日、私たちは、メルティとポニーテールのガイノイドから襲撃を受けた。
私がメルティと、ユリサがもう一体のガイノイドとそれぞれ一対一で戦闘する形となったが、私はユリサを助けに行くどころか、メルティによって戦意喪失させられ、気が付いた時にはあの手術室のような部屋で寝かされていた。
あとで聞いた話によると、他の隊員がマザーランドへ救援に駆けつけた時、私とメルティは既にあの場から姿を消していたらしい。
恐らく人間の手によって取り込まれたウイルスにより、戦力を増強されたガイノイドとの厳しい戦いを強いられていたユリサだったが、駆けつけた仲間たちの協力もあって、なんとかあの場を収めることができたようだ。
ユリサと戦ったガイノイドは、現在はシオンと同じ、基地内にある療養所の分館で保護されている。通常、隊員が負傷した場合は療養所の本館で処置を受けるが、分館では主にウイルスの被害を受けたアンドロイドが生活しているのだ。
分館にはシオンに会う為に何度か足を運んでいるが、暗くてどこか侘しい場所だ。
ユリサと戦ったガイノイドの名前はクレアというそうで、最近人気の出てきたファッションモデルなんだそうだ。「知らなかった」と言ったら、アムやカノンにはひどく驚かれた。
彼女は数カ月前から行方不明になっており、軍にも捜索願が出されていたらしい。
マザーランドで見たクレアの顔ははっきりとは覚えていないが、背が高くてすらっとしていて、立ち姿がとても美しかったことは覚えている。顔だって、ウイルスによって目が真っ赤に見開かれていなければ──私は彼女の顔を、もっと真っ直ぐに見られただろう。
モデルとして活躍していたクレア。AIだって人間と同じように、毎日必死で生きているのに……!
それを知ろうともしないで、戦争しているからって簡単に踏み躙る人間のことを、私は絶対に許すことはできない。
人間全員が悪いわけじゃない。それはわかっている。
かつて私が働いていた人間界の工場──嫌な思い出もあるけれど、あそこで一緒に仕事をしていた仲間たちは、人間もAIも関係なく、みんな優しかった。
だけど、体内にウイルスを取り込まれたアンドロイドは、元の状態には戻らないのだ。コアが破壊されていなかったとしても、それまでのことを思い出すのは不可能に近いと言われている。
それがどれだけ辛いか……
私だって。私だって、ユリサやみんなとの大切な思い出を思い出せなくて、自分が何者かわからなくて、もう何が何だかわからなくなっておかしくなってしまいそうな時がある。
私は少しだけ、人間が嫌いだ。
戦争さえ起こらなければ、ユリサが傷付くこともなかった。
サイボーグであるユリサの身体は、私たちAIのように替えが効くものではない。手足は一度失ってしまえば二度と生えてはこないし、内臓が潰れたら死んでしまうかもしれないのだ。
ユリサが目を覚ましたら、私は謝らなくてはいけない。メルティとの戦闘にユリサを巻き込んでしまった。
メルティはユリサが戦う相手ではない。ユリサだけじゃない。アムやマックス、エリアス、ヴァイスリッターのみんな。メルティを相手に互角に戦える者など、誰もいないだろう。
いるとすれば──同じシュガードールである私だけだ。
その時、部屋のドアをノックする控えめな音が聞こえた。私が何か言うよりも先にドアが開かれる。現れたのは、小さな花束を持ったナヌーク総統だった。
「総統……!」
まさか総統がユリサのお見舞いにやって来るとは思わず、ベッドの前にある丸椅子に腰かけていた私は咄嗟に立ち上がり、敬礼しようとしたが、総統は柔らかな笑顔でそれを制した。
「やあ、フラン。もしかしたら君もいるんじゃないかと思ったよ」
「はい。総統……席を外しましょうか?」
「いや、いい。寧ろここにいてもらいたい。きっとユリサも、その方がいいって言うだろう」
総統はそう言って苦笑した。
「それに、僕は君と話がしたいと思っていたからね」
穏やかな青年のようだった目が、突如として鋭い光を帯びる。総統の笑顔は何種類あるのだろうと思わずにはいられない。普段の優しい微笑が、総統の本来の顔なのだろうか。どうしてかはわからないが、そうだとは思えなかった。私がまだ見ていない──もしくは私が忘れてしまった過去に、総統の本当の顔はあるのかもしれない。
少し怖いような気もするけれど、私は総統のことをもっと知りたい。思い出したい。
総統は以前、私とは長い付き合いだと言っていた。もしかしたら、総統はシュガードールのことやメルティのこと、私のこと……私が今知りたいことを、全部知っているのかもしれない。
本当は、それらのことは私が自分の力で思い出さなければならないことだとわかっているけれど、ウイルスを製造する人間たちやメルティからの襲撃を受けた今、マザーボードの安寧を揺るがす脅威は、まだ他にも潜んでいる可能性が高い。
だから私はもうこれ以上、立ち止まってはいられないのだ。
「私も……私も総統に、お伺いしたいことがあります」
思い切ってそう口にすると、総統は驚く素振りは一切見せず、いつもの柔らかな笑みを浮かべながら頷いた。
「なんだろう。僕に答えられることならなんでも答えるよ」
そう言うと、眠っているユリサの頭の横を通って、花瓶に花を活け始めた。淡いピンクのガーベラやバラなどを組み合わせた、フラワーショップでよく見るようなオーソドックスな花束だ。花弁から落ちた透明な水滴が、長い指を伝っていく。総統の手は病弱な少年のように色白だが、肌の色とは不釣り合いなほど、その形は大きく骨張っている。
なんとなくその手を見ていると、不躾な視線に気付いたのか、総統が手を止めてこちらを見た。慌てて目を逸らそうとしたが間に合わず、行き場を失くした視線は総統の顔や手のあたりを行ったり来たりして、奇妙な動きを繰り返した。
総統は目を細くしてにっこり笑うと、何も言わずに再び手を動かし始めた。少しだけ、ほっとした。
それにしても、総統がユリサの為に花束を持ってお見舞いにやって来るなんて、正直言ってかなり意外だった。何があったかは知らないが、ユリサは総統のことをかなり敵視しているようだし……
だけど、総統は総統なりにユリサのことを心配しているのだろう。でなきゃ、お見舞いになんて来ない筈だ。花束の明るい色合いからも、ユリサの回復を望んでいることが察せられる。
ユリサがどうしてあれほどまでに総統を嫌っているのかはわからないが、私は総統を信じたい。だって、立場の違いはあれど、総統だって一緒に戦う仲間だもの。
私は部屋の奥から丸椅子をもう一脚持って来て、総統に掛けるよう勧めた。
どこか気まずい空気が漂う部屋の中、総統が来ているとも知らず、ユリサはぐっすりと眠っている。少なくとも今は──総統がいる間は、起きないでいてくれた方が良いかもしれない。




