57 : 一撃に花を
甲高い金属音を撒き散らしながら、凄まじい速度で回転する強靭なドリルの刃。あんなもので切りつけられたら、そりゃあ痛いに決まっている。
尋常でない速さで繰り出されるメルティの攻撃を避け切れず、右肩に鈍い痛みが走った。切りつけられた瞬間は、それほど深手ではないように感じたが、二秒後も経つと右肩から腕にかけて、痺れるように動かなくなっていた。
頭の中が真っ白になるような感覚。目の前に立つメルティの姿がぐにゃりと歪み、テレビ画面に現れるような不穏な砂嵐が視界を遮った。両膝に力を込め、崩れ落ちそうになる身体を奮い立たせる。
メルティはそれ以上攻撃を仕掛けてくることもなく、動きを止めて、冷徹な眼差しを私に向けていた。その顔には何の感情も浮かんでいない。同じシュガードールでありながら、私があまりにも弱いから、メルティをガッカリさせてしまったのかもしれない。
左側の手で動かなくなった右肩を抑えると、肌ではなく、その中にある角張った金属の感触に当たった。
「……あはっ」
なんだかもう、一周回って可笑しくなって笑えてきた。
喉の奥が焼けるように痛む。
メルティ。私もう絶対に、あなたには負けたくない。
「……うああああああああああ゛あ゛あ゛!!!!!」
訳もわからず狂ったように咆哮しながら、左手でメルティの細い首に掴み掛かった。黒い装甲に覆われた華奢な身体を、反対側の壁に叩きつける。壁が深く陥没し、隣の部屋まで突き抜けるかと思ったが、途中で止まった。
首筋を握る左手に力を込める。……おかしい。呼吸などしていない筈なのに、息が苦しい。
長い睫毛に伏せられたメルティの目が開く。そこには苦しんでいると言うよりも、「驚いた」だとか「見直した」だとか、どちらかと言うと爛々とした耀きを湛えていた為に、私は愕然とした。左手に更に力を込める。人工の皮膚の中に人工の爪を食い込ませる。
それなのに、それなのにメルティはちっとも痛そうな顔をしない。なんで。何でそんなに楽しそうなの。
メルティの首筋を握る手が小刻みに震え出した。宥めるように優しく、「もういいよ」とでも言うかのように、メルティの手が私の左手首に重ねられた。
その瞬間、左手は呆気なく彼女の首を解放してしまった。指先が燃えるように熱いと思ったら、爪は粉々に砕け散っていた。粘ついた感触が残る掌に視線を落とすと、メルティの皮膚の破片が付着していた。
白い首周りは私が握っていた所だけ、中の部品が剥き出しになっていた。
「フラン……」
一瞬、それがメルティの発した声だとわからなかった。ひどく弱々しい、助けを求める少女の嘆きのような声。誰もいない劫火の中に取り残された、淋しそうな、悲痛な声。
白い貝のような瞼が伏せられているのは、涙が落ちてしまいそうだから?
「メルティ……あなたは一体……」
その時だった。何かが凄まじい速度で接近してくる──いや、降りてくると思い、顔を上げかけた瞬間、突如目の前に現れたユリサがメルティに向かって剣を振り下ろした。
どうしてだろう。もう少しだけ、メルティの指に触れていたいと思ったのは。
吹き飛ばされたかに見えたメルティは、吹き荒ぶ砂塵の中から恒星のような二つの瞳を真っ直ぐにこちらへ向けていた。戦うことを目的として造られた彼女のその目は、あまりにも冷たくて恐ろしい。憎悪と狂気を滴らせる、私が知っているメルティの目だった。
その目を見た瞬間、左手に触れたメルティの指先の感触は、私の勘違いであったのだろうと悟った。あんな目をする奴の手が温かいだなんて──優しいだなんて、そんなこと絶対にあるわけないじゃないか。
「ユリサ!!」
気付けばユリサは私の隣に立っていた。メルティの放つ禍々しい圧力に怖じ気づく様子は一切見せず、燃えるような眼光で相手を睨み返している。しかし、長時間の戦闘で少し疲れてきたのか、僅かに息が乱れているように見えた。
本来人間であるユリサは、私たちと共に戦う為に息を殺して生きているのだ。
「フラン、大丈夫?」
ユリサの視線はメルティに固定されたままだ。
どれだけ辛くても、どれだけ苦しくても、どれだけ痛くても、ユリサは弱音を吐かない。機械の癖に逃げ出したくなってばかりの私とは違い、気丈で凛々しい。その魂の美しさが、あまりにも眩い。
「大丈夫!だけど私だけじゃ厳しいから、ユリサ、一緒に戦ってくれる?」
本当は今だって怖い。メルティが縦横無尽に振り回す腕のドリル、あれに当たったら滅茶苦茶痛いんだよ。だけど、ユリサはもっと怖いはずだ。だから私も、恐怖は胸の内側に仕舞い込んだ。
ユリサの僅かな驚きが、空気を通して伝わった。言葉を用いずとも、私たち、一緒にいるだけでお互いの感情がわかるんだ。
「当たり前でしょ!」
そう言った時のユリサの顔を見られなかったことは、ちょっとだけ残念だ。
微細な空気の振動を通して伝わる、ユリサの呼吸を感じ取る。合図を待つユリサ。待ち受けるメルティ。大丈夫だ。たとえ相手がメルティだとしたって、なにも怖いことなんてない。私たちが一緒にいるのだから。
「行くよ!!」
叫ぶと同時に、ほとんど同じタイミングで飛び出した。なにも考えるな。ただ、ユリサの呼吸を、その鼓動の音を聴け。
「あはっ、あははははははっ!」
戦闘の恍惚に歪んだ笑みを浮かべたメルティが、踊るようにして両腕のドリルを振り回す。間一髪のところで跳躍しながら身を翻し、桃色の頭を両断する勢いで剣を振り下ろすユリサ。しかし、メルティの右腕の刃がそれを受け止めた。
ロイドギアを身に着けず、武器も持たない私は生身の身体一つで戦うことしかできない。おまけに右肩から腕にかけてはほとんど使えない状態だ。
それでも、私たちは一緒に戦ってこそ、本当の力を発揮できるのだ。
握った拳に沸々と煮え滾るエネルギーを注ぎ込み、咆哮と共にメルティの顔を目掛けて穿つ。腕のドリルが私の身体を切り裂こうと迫り来る。裸足で跳躍すると床が粉々になって砕け散り、大地が大きく陥没した。舞い上がりながら互いの視線を掠め合わせ、その瞬間、透明な糸が私たちの間をたしかに繋いだ。
「「あああああああああああ゛あ゛あああ゛あ゛あ゛!!!!」」
身体の奥底から湧き出る魂の焔を叫びに変えて、重ね合わせて一つに束ねる。絶対に守り抜く。憎しみや嘆きではなく、愛おしい感情を花束にしてぶつけてやる。そうすれば、メルティにだって思いが伝わるかもしれない。
私たちを繋ぐ糸は七色の煌めきを纏いながら、ある一瞬でピンと張った。
魂が砕け散る一撃を、とくと味わえ。左の拳は鋼鉄の弾丸と化し、陶器のような柔らかい肌を、中の金属の塊諸共粉砕した。
ユリサの剣は黄金の火花を撒き散らしながらメルティの腕のドリルを掠め、装甲に包まれた体躯は刃が頬に触れる寸前のところを潜り抜けると、露出した腿を斬りつけた。腿は切断されるされるかのように見えたが、固い金属で出来た部品に当たったのか、破片を飛び散らせながら剣を弾き返した。
「があああ゛ああ゛アアア゛ア゛ぁ!!!ああっ、ああああ゛あ゛あ゛アア!!!!」
それは叫び声と言っていいのかさえわからない。壊れた機械の悲鳴だった。痛いよね。メルティ。でもさ、私だってドリルでお腹に穴を空けられたんだから、これで御相こだよ。
「うああぁ、あああああああああ゛あ゛ああ゛あ゛あ゛!!!!縺?◆縺?>縺溘>縺?◆縺繝輔Λ繝ウ繝輔Λ繝ウ繝輔Λ繝ウ!!!!!」
叫びでさえない、言語化できない音を吐きながら、それでも腕のドリルを振り乱して足掻くメルティ。文字列を成さないバラバラな音の断片が意味するところはわからない。意味なんて無いのかもしれないが、どうしてか私には、メルティが助けを求めているように聞こえた。
壊しはしない。ここで戦意を喪失させて基地へと連れ帰る。ユリサと、ヴァイスリッターのみんなと一緒に帰るんだ。
暴走するドリルを交わしつつ、砕け散りそうな左手に再び力を込める。先ほどの一撃で左手の皮膚はほとんど剥がれてしまった。構わない。全身の力を寄せ集め、魂が砕け散る一撃をもう一度。もう一度穿て!
放たれた弾丸は流星の如く、銀色に煌めきながら凄まじい速度でメルティの鳩尾を突き上げた。気が付けば、空を覆っていた暗雲は消え去り、何事もなかったかのように飄々とした青空が広がっていた。
身に纏っていた装甲は砕け散り、空へ向かって吹っ飛んでいくその身体を受け止めようと、地面を蹴り上げたその時。
まるで別次元から現れ出たかのように、光の速さでやって来た何者かが、メルティの身体を上空で掠め取った。
艶光りするシルバーの体躯に繭型のフォルム。マザーボードの最先端技術を駆使して造られたモビリティ、サテライトフルークに形状はよく似ているが、その移動速度は圧倒的にサテライトフルークのそれを凌駕している。どこから現れたのかさえわからなかった。まるで、瞬間移動をしてきたかのようだった。
ぐったりとしたメルティは、車体の中から伸びた何者かの片腕に抱かれながら、一瞬で空の彼方へと姿を消した。
車体の中にいた者の姿は確認できなかったが、あの腕の主は、メルティと一緒に部屋にいた男だろう。メルティを抱き上げたその腕も、白衣のような衣服を身に着けているように見えたから。
……え?
逃がした?
ユリサと一緒に戦って、あそこまでメルティを追い詰めて、ようやく──ようやく──
それなのに……それなのに……!
その時、背後でどさりとなにかが倒れるような音がした。振り返った私は、死闘の末の受け入れ難い結果に慄然とした。
「ユリサ!!」
瓦礫の中で倒れ伏すユリサ。サイボーグであるその身は、メルティと戦う前にとっくに限界を超えていたんだ。
「ユリサ!ユリサ!!ごめん……ごめんえ、ごめんねユリサ……」
ユリサの綺麗な顔も身体も傷だらけで、額からは赤い血がどくどくと流れ出ていた。
いやだ。いやだ。いやだよ。
「いや……いや……」
いや。嫌。嫌。
「いやあああああああああああああああああああ!!!!!!」
戦いの果てに得られるものなど、この世界にあるのだろうか。




