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シュガードール×エンドロール  作者: nami
メルティ戦
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56/63

54 : 脆弱性sugar doll

 もし私が戦うことを目的として造られたのだとしたら、恐怖という感情は重い枷になるのではないかと思っていた。けれど違った。

 戦うことを目的として造られたからこそ、いち早く危険を察知し回避するために、恐怖は必要不可欠な感情だと気がついたのだ。

 桃色の長い髪、大きな碧い瞳。不敵に微笑む甘い顔立ち──

 彼女を見た瞬間、全身を冷たい感覚が駆け巡り、無いはずの毛穴から生温い汗が噴き出しているかのような錯覚を覚える。私は彼女が怖い。認めてしまった方が、冷静になれるような気がした。


 メルティは獲物を嬲る猫のような嗤いを浮かべながら、ゆっくりとこちらへ近付いて来る。半ば反射的に、右足が一歩後退した。

「もー、ダメだよフラン!せっかく治してもらったばかりなのに暴れちゃ。それに、あんまりその人苛めないでくれる?体はデカい癖に弱っちいんだから」

「弱っちい言うな!それよりなんとかしてくれ、出来るだけ穏便に」

 メルティはけらけらと愛くるしく笑った。鈴の音のような笑い声が冷たい部屋の中に反響した。

「あーおっかしい!やっぱり弱っちいんじゃん!仕方ないなあ……そういうワケだから、フラン。もう一回そこで寝ててくれる?」


 メルティは華奢な白い人差し指を、先ほどまで私が横になっていた固いベッドへ向けた。天井に取り付けられた円盤型の無影灯は、誰もいないベッドの上を寒々しく照らしていた。

「……なんで。私はまださっきの質問に答えてもらってない。あんたたちの目的はなんなの?ユリサは……ユリサはどこ」

 そう言った声は私の恐怖に呼応するかのように、小さく弱々しい響きしか持たなかった。より人間に近付けるよう、名も知らぬ誰かによって精巧に造られたこの身を呪った。


 メルティの笑顔が制止し、長い睫毛の下からぞっとするほど冷ややかな双眸が覗いた。

「……いいから。早くそこに寝てって言ってんの」

 風も吹いていないのに桃色の髪がふわりと舞い上がり、細い首筋に刻まれた、『sugar doll』の赤い文字が目についた。

 全身から異様なまでの強烈な圧を発散する、邪神の如きその立ち姿を目の当たりにし、いくら科学技術が劇的な発展を遂げたといえど、一介のアンドロイドがどうしてここまで畏怖される存在となったのか、考えずにはいられなかった。

 同時に、同じ『sugar doll』の刻印が首に刻まれているにも関わらず、どうしてこうも力の差が大きいのだろうかと、顔には出さずに自嘲した。


 それでも、私は逃げ出すわけにはいかない。負けるつもりは毛頭ないが、負けるよりもっと質が悪いのは逃げることだ。「はいわかりました」と言って大人しく降伏するのは簡単だ──いや、私にとっては、それはメルティに勝つことよりも遥かに難しい。

「イヤ。私に何をするつもりなの?少なくとも、答えるまではあなたたちの言う通りになんて、絶対にならないから」

 震える声に力を込めて言い放つと、メルティは露骨に機嫌を悪くした。


「うわぁ……なんかデジャヴみたいだ」

 壁際で静かに私たちのやり取りを見ていた男がぼそりとそう呟いた。

 ──デジャヴ?

 そう言われてみるとたしかに私も、どこかで同じようなことを経験した気がしてくる。やっぱりその時にも、この男とメルティがいたような気がする。


 メルティは鋭い視線の矛先を私から男へと移し替えた。初めから余計なことを口にしなければよかったものを。男が小さく肩を震わせ、聞こえないくらいの小さな声で「ゴメンナサイ」と短く言うのが聞こえた。

 しかし、男が口にした「デジャヴ」というこの言葉……少なくとも私にとっては余計どころか、むしろ貴重な一言だ。私はたしかに、これと同じようなことを以前にも経験した。

 これは憶測でしかないが、私が記憶を失って人間界の山奥で倒れていたのも、メルティたちが関係しているのではないか。だったら尚更、言う通りになどできるはずがない。


「……そっか。それじゃあ仕方ないね。せっかくの()()()()()を傷付けちゃうかもしれないけど、許してね?」

 そう言い終わるよりも早く、漆黒の装甲に包まれたメルティの腕が私に向かって伸ばされた。顔を逸らして数センチのところで回避する。

 攻撃が来ることを予測していなければ、交わせていなかっただろう。メルティの拳は壁に深く突き刺さり、神経細胞のような亀裂が広がっていた。


 私はベッドの上に飛び乗り、メルティの背後に立つ。いつの間に避難したのか、白衣の男は部屋から姿を消していた。

 甲高い金属音が湧き起こり、鼓膜を刺す。壁に陥没していたメルティの腕はドリルに華麗なる変貌を遂げ、高速で回転しながらコンクリートの破片と騒音を撒き散らしていた。

 壁を削って腕を引き抜いたメルティは、狂気的な笑みを浮かべながらこちらを振り返った。


 言っておくが、露出部が多いとは言え、メルティがロイドギアに似た形の装甲を身に付けているのに対し、私は一糸纏わぬ姿である。生まれたまま──いや、造られたままの姿でベッドの上に悠然と立ち、こうしてメルティを見下ろしてはいるが、内心ではどうしたものかと頭を抱えていた。

 私を見上げるメルティの、獲物を見つけた猫のような、嬉しそうなその顔よ。

 その豊かな表情からも、彼女が戦うことを目的として造られたアンドロイドなのだということが容易に察せられる。

 それに対して私はどうだ。sugar dollが戦闘用のアンドロイドだとしたら、少なくとも()()()は設計ミスだ。本当は誰も傷つけたくない。メルティだって──

 

「どうしたの?ハダカで突っ立っちゃって」

 甲高いドリルの騒音の中で、メルティがそう言ってけらけらと笑う声が聞こえた。

 聞こえたが、それは私の耳を空気のようにすり抜けていく。

 この後どうすればいいか。今この場で考えて考えて、どんなルートを辿ろうとも、私は敗北の壁に突き当たった。そしてまた考えて……それを繰り返し、疲れ果てた思考は既に動きを止めていた。

 何も答えられない。何と答えたらいいのかもわからない。もう何をしようと無駄なような気がした。

 だけど、逃げることだけはできない。それは私に課せられた、最優先プログラムだ。


「私もね、別にフランを苛めたいワケじゃないんだよ?覚えてないかもしれないけど、私たちは同じ使命を託された姉妹みたいなものだしね。だけど、フランがユリサを守ろうとするように、私にも守らなきゃいけない人がいる。約束がある。だから、私たちの邪魔をしようって言うんなら容赦しない」

 メルティは言い終わるなり床を蹴り上げて跳躍し、強靭なドリルと化した右腕を私に向かって振り下ろした。仰け反って間一髪のところで交わしたが、長い髪が刃に触れて宙を舞い、その後無惨に床に落ちた。左側の髪がごっそりと切られてしまった。

 だが、今はそんなことを気にしている場合じゃない。寧ろ切れたのが髪の毛だけで幸運だったと思うべきだ。


 攻撃を回避してベッドから床に降りるも、間髪入れずにメルティの容赦ない追撃が降り注ぐ。いつの間にやら左腕もドリルに変わっていた。高速で回転する両腕の処刑器具を振り回しながら、メルティが私を追ってくる。それほど広くはない手術室のようなこの部屋の中を、私たちは猫とネズミのようにくるくると追いかけ、追いかけられていた。

 決して遊んでいるわけではない。機械同士の殺し合いである。……いや、今の状況は一方的な殺戮と言った方がいいかもしれない。

 恐ろしいのは、メルティがさも楽しそうな、恍惚とした笑みを浮かべていることである。sugar dollとは、本来彼女のように在るべきなのだろうか。──だとしても、私には到底真似出来そうもない。

 

「フラァン!ねえどうしたの?逃げてばっかじゃ私は倒せないよ?まあ向かってきたところで倒せるワケないんだけどぉ。鬼ごっこもいいけど飽きてきちゃった。ねえフラン、もっと楽しませて?互角に戦える相手なんて、同じsugar dollの()()()くらいしかいないんだから!」

 ロイドギアを着用した状態だったならまだ勝機があったかもしれないが、武器も持たず、一糸纏わぬ今のこの状況では、正直言って太刀打ちできそうにない。

 逃げ惑う間にも鋭利な刃が皮膚を掠め、取り換えてもらったばかりらしいこの身は無惨に傷付けられた。


 背後から髪を掴まれる。先ほどの攻撃で切られることのなかった、長い髪の束を。

 突如身体が浮き上がる。掴まれた髪が痛い。天井と床が反転したと思ったら、背中から床に叩きつけられる。

「……ぐあっ」

 とても自分の声とは思えない、首を絞められた鳥の鳴き声みたいな呻きが糸を引いて口からこぼれた。

 目を開けると、ドリルの先端が目の前で音も無く静止していた。

 ……ここまでか。


 苦悶に身を横たえるようにして目を閉じた。

 同じsugar dollのメルティと戦って、自分の弱さを痛いほど実感した。悔しい。悔しい。情けない自分に腹が立つ。

 

 私はまた記憶を消されてしまうんだろうか。

 ユリサとの思い出も。みんなのことも。

 ……いやだ。いやだ。


「……いや」

 閉じられた目から湧き出た雫は声にならない叫びをのせて、頬を伝って流れていった。


 

 その時だった。

「今だ!」

 誰かの叫ぶ声がした。

 殆ど同時に、ドアが突き破られるような凄まじい音が静寂を打ち破り、幾名もの足音が室内に流れ込んできた。

 ゆっくりと目を開く。

 ……あれ。暗くてよく見えない。先ほど思いっ切り床に叩きつけられたからだろうか。頭を打ったのかもしれない。それさえも覚えていない。

 煤がかかったかのように視界が黒ずみ、その中で多くの人影が揺らめいていた。


「フラン!!」

 それは私が待ち望んでいた声だった。凛とした、よく通る声が私の名前を呼んだ瞬間、暗雲の立ち込める空に一筋の光が差し、一瞬にして澄み渡る青空が広がったかのようだった。

 何度も何度も──そうだ。いつもあの子は「フラン」「フラン」と私の名を呼び、夢の中まで捜し続けてくれていたんだ。


「フラン!!フラン!!!」

 凛とした声は嗚咽と発狂の混じった悲痛な叫びに変わり、それでも尚、私の名前を呼び続けた。

 私は本当に弱い。これではあの子を守ることなど到底できまい。今回だって、私はとうとう助けに行けなかった。

 なのにあの子はこうして、また私を見つけてくれる。

 それが嬉しくて胸が痛くて、壊れそうなほど愛おしい。

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