50 : 特別な一日 後編
遠くの空に見える夕陽の色が溶け出し、空を朱色に染めている。胸が苦しくなるほど美しい夕映えを見上げながら、今日という特別な日が終わりを迎えようとしていることの残酷さに目を背けたくなる。
「……それじゃあ、最後はあれに乗って帰ろうか」
ユリサも同じようなことを思っていたのか、少し寂しそうな顔をして、観覧車を指差した。
「……そうだね。そうしよ!」
精一杯笑みを浮かべて、私は頷いた。
基地へ帰ったら訓練漬けの日々が再開する。それは当たり前のことであり、私たちの日常だ。今日が特別だったのだ。
訓練が嫌なわけじゃない。ただ、ちょっと──今日をあともう少し、続けていたかっただけ。
園内を歩くAIはまだ多いが、それでも昼間と比べるとかなり減っている。観覧車の中から見下ろすと、AIたちの動きがよく見えた。殆どが入退場ゲートの方へと流れていく。
「楽しかったね」
物憂げな表情で外を眺めていたユリサは、はっとした様子で私の方を見ると、切なそうな微笑を浮かべた。
「うん。楽しかった」
今日のことは絶対に忘れない。またユリサとマザーランドへ──いや、なにもマザーランドだけじゃない。この世界には、楽しい場所や美しい景色がもっと沢山あるはずなんだ。だから、私はユリサと一緒に見に行きたい。
「また来ようね」
ユリサは優しい笑みを浮かべながら頷いた。
「ええ、もちろん」
陽が落ちるのは早いもので、夕映えに宵が溶け合い、薄闇の中でアトラクションの電色が明滅していた。
観覧車はゆっくりと下降し、もう間も無く地上に帰り着く。
「……ねえ、どうしたんだろう」
乗降口を指差しながら、ユリサが不安げな声で呟いた。その指先に視線を向けると、スタッフたちの様子がやけに慌ただしい。なにか不足の事態でもあったんだろうか。その顔には不安や動揺といった感情が滲んでいる。
地上へ目を向けると、AIたちもなにやら慌てているように見えた。友人や恋人と手を取り合い、入退場ゲートの方へ向かって走っている。
厭な予感がした。
乗降口へ辿り着き、スタッフによって外側から扉が開けられる。ユリサに続いて降りた瞬間、騒ぎ立つAIたちの声が耳に届いた。
距離がある為はっきりとは聞き取れないが、悲鳴にも似た声に混じって「ヤバい」「どうしよう」といった言葉が聞こえた。
何かあったのは間違いない。
すかさずユリサがスタッフに問いかける。
「なにかあったんですか?」
青年型アンドロイドのスタッフは、ひどく怯えた様子で答えた。
「ウイルスが出たみたいなんです……!メリーゴーラウンドの近くで!」
どうやら、厭な予感は当たってしまったらしい。
私とユリサは顔を見合わせた。その時、園内にアナウンスが響き渡る。
「お客様にお知らせいたします。園内南東、ファンシーエリアにて、ウイルスの出現を確認いたしました。繰り返します。園内南東……」
メリーゴーラウンドのあるファンシーエリアは観覧車から程近い。
その時。突如爆発音のような音が轟き、衝撃を受けて観覧車が激しく揺れた。響き渡る悲鳴。恐れを露わにするAIたち。バランスを崩しその場に倒れる者もいた。
爆発があったのはファンシーエリアだろう。二階建てのメリーゴーラウンドから立ち昇る黒煙を目視で確認した。
「フラン!」
「わかってる!」
私とユリサは殆ど同時に駆け出した。飛ぶように走りながら買ったばかりのワンピースを脱ぎ去り、ロイドギアを起動する。本当ならワンピースは丁寧に畳みたいところだけど、とてもじゃないが今はそんな余裕は無い。
ロイドギアが完全に起動するまで4秒もかからない。白銀の装甲に身を包み、翼を広げて爆発のあった方へと向かった。
メリーゴーラウンドからは黒煙が立ち昇り、その中には燃え盛る赤色の炎が見えた。
玉葱のような形をしたドーム状の屋根の上に誰かが立っている。どうやら、その者もこちらを見ているようだ。悠然とした立ち姿は、向かって来る私たちを待ち構えているようにも見える。
全長160センチ程度といったところだろうか。宵闇の中で長いポニーテールが揺れている。恐らくガイノイド──女性型アンドロイドと思われる。
ウイルスの特徴とも言える見開かれた赤い目が、こちらを真っ直ぐに見据えていた。
「フラン、気をつけて」
「うん……」
ユリサは剣を、私は機関銃をそれぞれ構え、臨戦態勢を取る。
次の瞬間、ウイルスは凄まじい速さで空を切り裂き目の前までやって来ると、長い脚でユリサの身体を蹴り上げた。凄まじい衝撃を受けて強固なロイドギアの装甲が歪む、鈍い音が響く。
「ユリサ!!」
今、何が起きた!?全く気が付かなかった……!まるで、瞬間移動でもしたみたいだった。
ユリサの身体が空を舞う。ウイルスはポニーテールを風に靡かせながらユリサを追うと、背部から取り出した二本のバールのような武器を両手に持ち、ユリサに向かって振り翳した。
「やめろ──!」
ウイルスに掴み掛かろうとした私だが、その直後、何者かにロイドギアの片翼を掴まれた。
「フラン、あなたの相手はこっち」
そこにいたのは、蠱惑的な笑みを浮かべた桃色の髪のガイノイド。どうしてかその姿を見た瞬間、強烈な恐怖心に囚われ思考が動きを止めた。
この子もウイルスに感染して──?いや、だけどこの子の目は赤くない。それに、妙な違和感を覚える。
私はこのアンドロイドをどこかで見たことがある──?
「やめろ、おまえは……フランに、フランに近付くなぁあぁあっ!!!」
ユリサが発したとは思えない、苦悶に満ちた断末魔の叫び。こちらに向かって来ようとしたユリサだったが、ウイルスに動きを封じられた。
「ユリサ。悪いんだけど、私はフランと話があるの。あなたの相手はそっちのウイルスにしてもらって」
そのアンドロイドはそう言って無邪気にウィンクした。その愛らしい笑顔を向けられた瞬間、全身が凍りつくような恐怖に駆られた。圧倒的な力。私の本能が「逃げろ」と警鐘を鳴らしている。
ツーサイドアップに纏められた桃色の長い髪、長い睫毛に縁取られた碧い瞳。整った顔立ちはフランス人形のように愛らしいが、その笑顔は禍々しい残虐性を秘めているように見えた。
身長は155センチ程度と小柄で華奢だ。全身を真っ黒い装甲に覆われているが、腹部や腿は大きく露出している。
怖い。なぜだかわからないが、怖くてたまらない。逃げようにも、身体が震えて思うように動かせない。
そんな私を見透かすように、そのアンドロイドはくすりと笑った。
「どうしたの?フラン。迎えに来てあげたんだよ?」
迎えに来た……?さっきからこの子は何を言っているの?それに、私だけでなくユリサのことも知っているような口振りだった。
「フラン!だめ……!逃げ、て……!!」
ユリサの叫ぶ声が聞こえるが、ウイルスの攻撃に苦戦を強いられているらしい。
私の方を気にかけながら戦っていた為に攻撃を避け切れず、腹部に強烈な一撃を喰らい、地上へ落ちていくのが見えた。ウイルスが追随し、落ち行く身体に空中でバールを叩きつける。
凄まじい衝撃波と共に砂塵が舞い上がり、大地が陥没した。
「ユリサ……っ!!」
慌ててユリサの元へ向かおうとするも、またもや翼を掴まれて、桃色の髪のアンドロイドに引き止められた。
「ダメ。迎えに来たって言ったでしょ?」
「迎えに来たって……あなたは何?私のことを知ってるの?」
私はそのアンドロイドを睨みつけた。
怖がっていてどうする。この子がいくら強かろうと、勝たなければユリサを助けに行けない。
「そっかぁ……記憶も全部失くしてるんだね。ま、それもそうだよね。アナタを初期化したの、私なんだし」
私を、初期化──?この子は──いや、コイツは一体なにを言ってるんだ……?
躰の奥で黒い感情が沸々と燃え上がる。焔は次第に大きくなり、全身を黒く塗り潰していく。なんだこの感じ。以前にもこんなことがあったような、不吉な予感に苛まれる。
「じゃあ再会のご挨拶として、自己紹介するね。私はメルティ。アナタと同じ──」
メルティと名乗ったそのアンドロイドは、口元に不敵な笑みを浮かべながら桃色の髪をかき上げ、そしてこう言ったのだ。
「シュガードールだよ」
白い首筋には私と同じ「sugar doll」の文字が刻まれていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
複数話まとめての投稿となる為、次回投稿時期は7〜8月頃を予定しています。




