48 : 幸福なAI
特別な日の朝はいつもと何ら変わらぬ装いで、それでも私の目には、部屋の中に差し込む光も、窓を開けると吹き抜ける風のそよぎも、全てがきらきらと輝いて見えた。
軍事基地へ来てからと言うもの、訓練を怠ったことのない私だけれど、今日は特別な日。訓練をしなくても許される日なのだ。
私はテーブルの上に置かれた封筒を手に取り、中からマザーランドの招待チケットを取り出した。何日も前から──思えば、ユリサにこれを貰った日から、私はずっと今日の訪れを待ち焦がれていた。
胸が高鳴って、じっとしていられない。こんな状態が昨日からずっと続いている。
一日でも訓練を休むことについて多少の不安はあったが、今はそれさえも些細な問題のように思える。上からの許可は下りているんだし、今日はたまの休日を目一杯楽しむことだけを考えよう。
私は踊るような足取りで、鼻歌交じりに身支度に取り掛かった。いつもの癖で、思わず軍服に手を掛けそうになったが、すぐに気が付いてはたと手を止めた。
普段あまり開けることのない、クローゼットの戸を開く。だが、中には簡単に着られるようなものが数着しか入っておらず、お世辞にも可愛いと言えるようなものはなかった。
若干気を落としながらも、まだマシだと思える衣服に袖を通す。紺色のパーカーに、至って普通のグレーのズボン。姿見に映る自分の格好を見て、愕然とした。
これでは、基地内にある売店へ行くのが限界だ!今までは、クローゼットの中の服に気を留める間もないほど忙しかったから気が付かなかったが、とてもじゃないがこれは遊びに行くような服装ではない。
その時、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「フラン、おはよう!もう準備できてる?」
「おはよう、ユリサ!ねえちょっと見てよ!私の持ってる服、こんなのしか無いんだけど……」
ユリサは部屋に入って来るなり私の格好と、開かれっぱなしのクローゼットの中を交互に見て、少し驚いたような表情を浮かべた後、弾けたように声を上げて笑い出した。
「あはははっ、ダメだ。可笑し過ぎる……」
「ちょっと笑い過ぎだよユリサ!」
「ごめん、だって……今までのフランは、私がいくら言っても服に気を遣ったりなんてしなかったから。なんだか可笑しくって」
普段、基地の外に出ることは滅多にないとは言え……仮にも私は女性型。性別的には女子なのだ!ああ、なんでもっと早く気が付かなかったんだろう。
「ユリサ、今日は何時までに戻って来ればいいんだっけ?」
「え?夕方の6時までだけど?」
「それなら、まだ時間に余裕はあるよね」
私はユリサの手を取ると、半ば叫ぶようにして言った。
「先に服を買いに行こう!!そうと決まったら早く行かなきゃ!今日は短いんだから!」
「え!?ちょっ、フラン!」
ユリサの手を取り、部屋を飛び出した。廊下を走り抜け、澄み渡る快晴の空の下、ユリサと共に基地の外へ──
*
見慣れているはずの自分の部屋が、今朝は何故だかいつもと少し違って見えたように、ノースリッジの街の景色も巡回の時に見る景色とは色合いが異なって見えるのだから不思議だ。
ニューロンのように複雑に入り組んだ街の中。密集した高層ビルは、青空を鮮明に映し出す鏡のよう。遥か頭上には高速道路が何重にも重なり合い、その更に上では、気球や飛行船がのんびりと泳いでいる。
忙しなく行き交うAIたち。スクリーンから流れ出す、華々しい映像と電子音。工場から湧き立つ、入道雲のような排気ガス。それはやがて空へと昇り、鮮やかな虹に変わるだろう。
なんて美しい街。なんて美しい世界。
視界に飛び込んでくるありとあらゆるものに目を奪われそうになるが、それら一つ一つをじっくりと立ち止まって見ている時間は、残念ながら今日はない。
私とユリサが最初に向かったのは、ノースリッジの中心部にある大型ショッピングモール。アパレルに食品、雑貨、家具、電子機器などのショップはもちろん、映画館に水族館までもが備わっていて、正しく「何でもある」休日の憩いの場。
私たちがこの後訪れることになっているマザーランドも、此処からすぐ近くの所にあり、ショッピングモールからはマザーランドの名物である巨大観覧車が見えた。
施設内は多くのAIで賑わっている。みんな私たちと同じように、貴重な休日を謳歌しているのだろう。AIにだって休息と娯楽は必要だ。
「見て見て!ユリサ、これ可愛くない!?」
ショップの入り口付近に、目立つように飾られていたワンピースに視線が吸い寄せられた。淡い水色を基調としたワンピースで、所々にあしらわれた黒のレースやリボンがなんとも女の子らしく、心奪われるデザインだ。
私はすかさずワンピースを手に取ると、ユリサの身体に宛てがった。
「ちょっとフラン」
「可愛いー!ユリサ、めちゃくちゃ似合う!お人形さんみたい!」
ユリサは困惑した表情を浮かべているが、それがまた何とも愛らしい。私が男だったら確実に惚れてるな。ファンクラブが出来そうなレベルだ。
「こちら大人気のアイテムで、最近再入荷したんですが、もう残り少なくなっているんですよー」
愛想の良い笑顔を浮かべた店員さんが、どこからともなくやって来た。
ユリサは相変わらず困惑した様子だが、その表情は褒められて満更でもないように見える。
やや俯いてもじもじとしているユリサの代わりに私が答えた。
「そうなんですかっ!?やっぱり、めちゃくちゃ可愛いですもんね!」
「はい。お姉さん、とってもよくお似合いです!凄く可愛い。よかったら着てみますか?」
「良いじゃん!ユリサ、着てみたら?」
「う、うん……それじゃあ、着てみようかな」
「かしこまりましたぁ!」
店員さんに案内され、ユリサは試着室へと消えていった。
その間、私は店内の洋服を見て回ることにした。流行りのポップスが流れる華やかな店内を、女性客たちが蝶のように飛び交いながらひらひらと移動する。
一体のマネキンが目に留まった。正確に言えば、目に留まったのはそのマネキンが身に付けているワンピースだったのだけど。白のブラウスと、赤を基調としたチェックのスカートが組み合わさったかのようなデザインで、胸元には赤いリボンがあしらわれている。ブリティッシュな雰囲気で、このワンピースからは英国の純朴な少女をイメージする。
果たして自分がその「英国の純朴な少女」なのかはともかくとして、私にはそのワンピースが、店内にある他の洋服とはどこな一線を画しているように見えた。
「そちら、可愛いですよね〜。お姉さんの綺麗な金髪がよく映えそうです。試着されますか?」
先ほどの愛想の良い店員さんが、にこやかな笑みを浮かべながらやって来た。私は迷わず頷いた。
「ええ、お願いします」
私とユリサはそれぞれ試着した服を購入し、その服に身を包んで店を出た。
「もう、買うつもりなかったのに私まで買っちゃったよ」
店内を後にした直後、ユリサはそう言って、がっくりと項垂れながら苦笑した。けれど、その表情はどこか満足そうにも見える。
「良いじゃない?服を買うことなんて滅多にないんだから。ユリサ、すっごく似合ってるし」
「それはこっちのセリフ。フラン、本当にお人形さんみたい。映画とかに出てきそう」
ユリサがまじまじと私を見ながらそう言うので、なんだか恥ずかしくなって、思わず吹き出してしまった。
「もう、大袈裟だよ」
「全然大袈裟じゃないよ。金髪によく合ってる。ほんとに可愛い」
「可愛い」だなどと真顔で言われて照れないでいられるほど、私は容姿を褒められることには慣れていない。
「いやいや、可愛いのはユリサでしょうよ」
決まりが悪くなって視線を泳がせると、ユリサは不満げな目をして私を見た。私たちは付き合いたてのカップルか何かだろうか?
ユリサも同じようなことを思っていたのか、私たちはほとんど同時に吹き出した。
こんな時間が、いつまでもずっと続いてほしい。まだ目的地であるマザーランドにも行っていないのに、頭の中で今日の終わりがちらついて、どことなく心細い気持ちになる。不穏な思いを追い払うように、顔を上げて笑顔を作る。
「さあ!服も買ったことだし、マザーランドへレッツゴーだよ!」
「ハイハイ。……って、ちょっと!そんなに走らなくてもまだ時間はあるって!」
弾む視界に合わせて輝きを増す、色鮮やかな街の風景。私は今、とてつもなく幸福だ!そう世界中に向けて叫びたいくらいに。
だけど、私は心のどこかで気付いていた。
人工知能にとっての幸福ほど、エラーの生じやすい、脆いものなど無いということに。




