47 : 掌に伝わる振動
受付で手渡されたカードを解除器に通して扉を開けると、中から噎せ返りそうになるほど重々しい、その空間に入るだけでも病気になってしまいそうな空気が流れ出した。
分館の中へ一歩踏み出すことを、思わず躊躇ってしまったが、ユリサが一緒にいるから何も恐れることはない。
ユリサもそんな私の思いを察したのか、いつものように柔らかく微笑んでくれた。胸の中に渦巻いている不安を溶かす、強くて優しい微笑み。
本館とは打って変わって、分館の中はひどく伽藍としている。時折、職員と思しきアンドロイドに擦れ違うことはあったが、皆ちらりと私たちの方に視線を向けるだけで、話しかけてくることはなかった。然程興味のなさそうに、それとも単に忙しいだけなのか、すぐに顔を背けて行ってしまった。
エレベーターで、シオンがいるであろう地下2階へと降下する。此処のエレベーターは本館とは違い、かなり旧いもののように思えた。厳しい顔つきをした老人のように、時折こちらの不安を掻き立てるような鈍い音を立てながら、苦しげに稼働する。
エレベーター内の白んだ電灯は切れかかっているのか、チカチカと不穏な明滅を繰り返した。
「……なんか、分館ってちょっと怖い感じだね」
降下するエレベーターの中で、私はユリサに言った。
「そうね。まあ此処は、あまり表沙汰には出来ない存在のAI達が憩んでいる所だから」
「表沙汰には出来ない存在……?」
「……たとえば、マザーボードで犯罪を犯した者や、自らの使命に背いた者。そして、シオンのように、人間が製造したウイルスに感染してしまった者」
姿の見えないAIの無機質な声が「地下2階です」と一言そう告げて、エレベーターの扉が開いた。
どこか哀しそうな目をしたユリサの後に続いて、私はエレベーターを降りた。
仄暗い廊下を進んだ先に、分館の入り口にあったものと同じような白くて重々しい扉があり、その前に一体のAIがいた。アンドロイドではなく、箱型の身体に明滅する目と口が取り付けられたAIである。
そのAIは私たちの姿を認めると、誰かが来るのを待っていたかのように威勢良く喋り出した。
「こコから先は許可さレた者しか立ち入りでキません。名前ト所属を言ってくださィ。ソレに、カードも見せてくだサい」
AIの口調にはどことなく違和感があったが、私とユリサは言われた通りにカードを見せた。
「ヴァイスリッター、フランです」
「同じくヴァイスリッター、ユリサ」
「確認中です……シバラクお待ちくださイ」
ものの4秒足らずで、確認は完了したようだ。
「確認できましタ。ロックを解除しマス。どうぞお通りくださイ」
カチャリ、とドアのロックが解除される音がした。
「ありがとう」
私とユリサはそのAIに一言礼を言い、扉の奥へと足を進めた。
あのAIは、いつからこの扉の前で働いているんだろう。ここを訪れる者は、そう多くはないだろう。たまに誰かが現れたら確認を行い、許可された者であればドアのロックを解除する。反対に、許可を得ていない者であれば通さない──これがあのAIの「使命」なのだろうか。あのAIは、分館の外へ出たことはあるのだろうか。
マザーボードで、自らの「使命」を果たさないAIは淘汰される。だけどこれでは、仮にマザーボードではなく人間の世界にいたとしても、大して変わらないのではないか。
扉の奥へ続く廊下を少し進むと、軍服を着た一体のアンドロイドが現れた。人間で言うと40、50代の男性型アンドロイドで、顔はあまり似ていないが、雰囲気はヴォルフガング総司令官と近いような気がする。
そのアンドロイドは私たちの姿を認めると、淡々とした低い声で言った。
「話は聞いている。フランとユリサだな。こっちへ」
それだけ言うと、私たちが言葉を返す間も与えずにこちらへ背を向け、歩き出してしまった。どうやら、かなり寡黙な性格のようだ。
私とユリサは言われた通り、そのアンドロイドの後に続いて薄暗い廊下を進んだ。両側の壁には等間隔で扉が取り付けられている。私がイメージする「廃病院」の光景にかなり近い。基地内にある建物の中に、こんなにも寂れた場所があるとは思いもしていなかった。
廊下の突き当たりにある部屋の前で、案内役のアンドロイドは足を止めた。扉には目の位置の高さに小さな横長のガラス窓が取り付けられていて、中の様子がわかるようになっている。これでは病院と言うよりも、留置所に近いのではないか。或いは、精神病患者の閉鎖病棟か。
案内役のアンドロイドは、ジャケットの内ポケットからカードキーを取り出すと、ドア横に取り付けられた解除器にそれを通した。更に暗証番号を入力した上、マザーボードではなかなか見る機会のない金属製の鍵を取り出し、部屋の扉を開錠した。
部屋の扉を開ける前に案内役のアンドロイドが振り返り、険しい目つきで私とユリサを見た。
「言っておくが、今のコイツに以前のことをいくら話しかけたって無駄だ。コアは破壊されていないとは言え、プログラムの殆どがウイルスによって書き換えられている。残念だが、記憶や人格が取り戻されることはない。それに、ものを喋ることだって出来ないんだ。昔のことを話しかけても混乱させるだけだから、何も言わない方がいい。それだけ忠告しておく」
その忠告に対して、私もユリサも何も答えることはなく、頷きもしなかった。
だが、案内役のアンドロイドは私たちの返事など期待していなかったらしい。すぐに部屋のドアを開けた。
部屋の奥に設置されたシングルベッドに、シオンは項垂れるようにして腰掛けていた。頭を掻き毟りでもしたのか髪はボサボサで、アンドロイドの髪が伸びることなど有り得ないのに、以前戦った時よりも伸びているように見えた。それに、電灯の光の加減によるものなのか、黒髪の中に白髪が数本混じっているようにも見える。
変わったように見えるのは髪型だけじゃない。過度の肉体労働を終えた後のように、肩も、脚も、腕も、全身から力が抜き取られたかのように弱々しい。
身体の所々に、以前戦った時に見られた負傷の名残がある。断裂した皮膚の中にある部品が剥き出しになっていて痛々しい。身体には無数のコードが取り付けられ、それらはベッド周りを囲む歪な形状の装置に繋がっている。
そして背部からは、削ぎ落とされたかのように細くなった黒翼が、ベッドの上に横たわっていた。
シオンの姿を見て、すぐに言葉が出てこなかった。言葉の代わりに涙が込み上げてきて、頬を伝い流れた。
静謐。凍りついたかのような静謐の中に、シオンに繋がれた装置から響く、規則的な機械音だけが鼓動している。
私たちが来たことに気付いているのかいないのか、シオンは顔を上げず、微動だにしない。それは私もユリサも、それからドアの側に立つ案内役のアンドロイドも同じで、静止した時が流れた。
「…………シオン」
口から零れた声はか細く、そして震えていた。気付いた時には私はシオンへ駆け寄り、彼の身体を抱き寄せていた。
背後でユリサや案内役のアンドロイドが慌てて動き出す気配がしたが、止めに来る気配はない。
腕の中にあるシオンの身体はか細く、背中に当てた掌からは、機械の動く微かな振動が伝わってきた。紛れもない、シオンが生きている証。彼の身体は薄くて冷たいのに、身体から伝わる振動は温かく、そして愛おしくて、涙が溢れて止まらない。
「シオン……ごめんね……苦しいよね……」
私の頭の横で、シオンの頭が微かに動いたような気がした。背中に当てた掌を滑らせると、か細い機械の翼に指先が触れた。
シオンの頭が僅かながらに動く。もしかしたら、シオンは泣いているのかもしれない。
「実は私もね、昔の記憶がないの。きっとあなたと同じ……でもね、ここにいるユリサやみんなが、そんな私のことを信じて一緒に戦ってくれているの。だから、私もシオンを信じてる。辛くても、苦しくても、一緒に戦うの。思い出すの。一緒に……」
腕の中でシオンの頭が動き、ゆっくりと顔を上げた。夕陽を宿したような紅い目に、透き通ったガラスの雫が美しく滲んでいた。




