45 : 変わらない思い出
白銀の装甲に光が反射し、演習場は白鳥たちの泳ぐ湖のようにきらきらと淡く煌めいて見えた。
これからヴァイスリッターの全体訓練が行われる。訓練の開始時刻まではまだ少し時間があるが、6、7割の隊員は既に集まっているように見受けられる。演習場にいる隊員たちの多くは、親しい者とお喋りをするか、簡単な準備運動をするなどして時間を潰していた。
隊員たちが口々に話す声で周囲は騒がしい。私は誰と話をするでもなく、また、全体訓練の準備をするでもなく、目の前の平和な光景を眺めていた。
本当に平和だ。つい此間あんな恐ろしいことが起きたというのに、みんな何事もなかったかのようにお喋りに夢中になっている。何も知らない者がこの光景を見たら、これがマザーボードの軍隊だとは思うまい。
みんな、あの恐ろしい出来事から目を背けるように、敢えて何事もなかったかのように振る舞っているのかもしれない。だけど、あれは決して忘れていいことなどではない。人間たちは必ずや次の手を打ってくる。今この瞬間もマザーボードの何処かに潜み、粛々と計画を練っているに違いない。
それなのに──ここは臆病者の集まりか?なんと呑気なことだろう。
……そこまで考えて、ふと我に返った。
少し前の私なら、今の演習場の光景を見ても何とも思わなかったはずだ。私は一体いつから、こんなにも軍隊に染まっていたのだろう。
数ヶ月前の私は、如何にして基地から逃げ出すかについて真剣に思い悩み、ぐずぐずと泣いていたというのに。
一体、どちらの私が「フラン」なのだろう。
「フラン!」
背後から名前を呼ばれて振り返ると、そこには深刻そうな顔をしたカノンがいた。
「……カノン」
隊員たちの声で満ちた騒がしい演習場の中で、私たちの周りだけが、結界でも張られているかのように静かに感じられた。
シオンの一件以来、カノンとは顔を合わせていなかった。カノンはあの日の、最初の被害者だったのだ。
ロイドギアを身に付けているということは、今日の訓練にも参加するのだろう。あの時、カノンはひどく痛めつけられていたようだから、怪我の具合はどうかと心配していたのだが、今のカノンの姿を見て少し安心した。
気不味い沈黙が私たちの間を流れる。お互いが相手の言葉を待っているように思えた。
カノンは小ぶりな朱色の唇を真っ直ぐ結び、時折何か言いたそうに真紅の瞳でちらりと私を見ては、またすぐに視線を逸らすのだった。
「あのさ……!」
「あの……っ!」
ついに沈黙に耐えられなくなり、私が口を開いた瞬間、カノンもまた口を開き、私たちの声は綺麗に重なった。私たちは初デートの恋人同士みたいに、ぴたりと黙ってまた視線を逸らした。
正直言って、私はこの子がそれほど得意ではない。
ユリサに連れられて、私が初めて基地へやって来た時も、カノンだけは歓迎の意を示さなかった。それどころか、私はこの子に「あんたなんかがフランだとは認めない」とまで言われたのだ。
私のことはまだいいとしても、カノンはユリサがサイボーグだからといって、彼女のことを悪く言って笑っていた。それは断じて、許すことはできない。ユリサの悪口を言われるのは、私自身の悪口を言われるよりも遥かに辛い。
あの時のことを思い出すと、忘れていた怒りの感情が込み上げてきて、私はカノンをきっと睨んだ。
いつもなら、カノンは挑発的な目つきに悪戯な笑みを浮かべて憎まれ口を叩くだろうけど、今日は違った。叱られた子供みたいにしょんぼりと俯いて、真一文字に結ばれた唇は何か言いたそうに、微かながら震えている。その姿になんだか拍子抜けしてしまった。これじゃあ側から見れば、私がカノンを虐めてるみたいじゃない。
「……がと」
「え?」
カノンが俯いたままなにか言ったが、よく聞こえなかった。それに腹を立てたのか、カノンは勢いよく顔を上げると同時に、威嚇する猫のように叫んだ。
「ありがとう!って言ってるのよ!助けてくれて!」
カノンの顔は真っ赤になっている。アンドロイドでもコアの動きに応じて恥ずかしい時は赤くなったり、悲しい時は涙を流したりするように、なるべく人間と変わらぬ感情表現ができるように造られている。
カノンは今、恥ずかしいんだ。だけど……どうして?私にありがとうって言うことが恥ずかしいの?
そう考えると、目の前のカノンがなんだかとても愛おしく思えてきた。ついさっきまで、ユリサの悪口を言っていたことを思い出してムカついていたのに。今の言葉一つで苛立ちなど何処かへ吹き飛んでしまった。
私はカノンの元へ駆け寄り、その両手を握りしめた。
「ちょっ、何!?」
「こちらこそありがとう!カノン!ありがとうって言ってくれて!」
カノンは先ほどよりも更に顔を赤くして、私に握られた手をぶんぶんと振り回し、解こうとする。だけど私は決してその手を解かなかった。カノンの手は、機械とは思えないほど温かい。
「意味わかんないわよ!ていうか離しなさいよ!ああもう……これだから、これだから、私はあなたなんかをフランだと認めたくなかったのよ!私が知っているフランは……」
握られた手を解こうと必死に暴れ回っていた手がぴたりと静止し、力なくだらんと垂れ下がった。お人形のように長い睫毛は物憂げで、俯いた時の方が美しく見える。
睫毛が持ち上がり、その中から燃えるような真紅の瞳がじろりとこちらを見上げた。
「もっと孤高で、もっと気高く、もっと強かった。敵は情け容赦なく始末した。それがあなたでしょう?ねえ、あなたは本当にフランなの?私のこと、本当に覚えてないの?」
その目は痛々しいほど必死に、なにかを訴えかけているように見えた。真っ赤な瞳──ルビーの宝石みたいに綺麗な──
その時、思考の片隅で記憶の残照が脳裏を掠めたような気がした。だけど、思い出せない。分厚い壁に阻まれていて、壁の向こうに確かに「記憶」は存在しているはずなのに、どうしたって届かない。
「……本当に、綺麗な目ね」
何気なく呟いた言葉に対して瞳孔は僅かに見開かれ、真紅の瞳が透明な真珠を纏った。頬を伝う水滴は、日差しに照らされて虹色の光を宿した。
「フラン……!」
それは一瞬の出来事だった。私は気付いた時には、カノンに強く抱きしめられていた。
「ち、ちょっとカノン……!?」
カノンは小さな頭部を私の胸に擦り付けて、顔を埋めて子供のように泣いていた。一体どうしてしまったというのか。周囲から視線が注がれるが、カノンは私から離れようとしない。
「フラン、ごめんね……!ごめんなさい……!覚えていてくれたんだね……!それなのに、私は……」
「え!?ち、ちょっとカノン!?どういうこと!?」
カノンが何の話をしているのか、私にはさっぱりわからない。私の困惑などお構いなしに、カノンの頭の中では話が進められているようだった。
カノンはようやく、私の胸から顔を上げた。涙の滲む目でにっこりと微笑んでみせるその表情は、今まで散々憎まれ口を叩いていた時とは別人のようでギョッとした。
「私の目のこと、ウイルスみたいで気持ち悪いってみんな言ってた……ウイルスと間違えられて、街中で攻撃されることだってあった。でも、私が軍隊に入ったばかりの頃、フランが言ってくれたんだよ。『綺麗な目ね』って。怯えて俯いてばかりいた私に、あなたは戦う勇気をくれた。あなたが──あなたが、いつだって前を歩いてくれているから、私も進むことができるの」
真っ直ぐな視線と熱い想いを耳にしても尚、その時の記憶が私の中に蘇ることはない。それでも、カノンの言葉がたまらなく嬉しくて、なんだか私まで泣きそうになってきた。そう思った時にはもう、涙で視界が滲んでいた。
「フラン、あなたが帰って来た時……嬉しいと思うと同時に、信じられなかった。だってあなたは、別人のような性格になって帰って来たんだもの!ユリサのことだもの、きっと姿が似ているだけの、別のアンドロイドを連れ帰って来たんだろうと思った。
だけど、少し悔しいけど……あなたは紛れもなく、私がよく知っている『フラン』ね!たとえ性格が変わっていても、記憶がなかったとしても……思い出だけは、変わらないもの」
思い出だけは変わらない、か──
私の記憶からこぼれ落ちてしまった思い出。だけどそれは、カノンやユリサ、みんなの心の中には存在している。私はその暖かな想いを座標にして、大切な思い出を取り戻して行かなければならない。




