42 : テセウス
気を失っているカノンを抱き抱え、漆黒の夜空へ翼を広げて跳躍した。頬に触れる夜風は冷たく、カノンの前髪が浮き上がってあどけない寝顔がはっきりと見えた。こうして見ると、本当に可愛い顔をしているのに。
「撃てえぇえ!!!」
鬼気迫る野太い叫び声が響いた直後、無数の機関銃から大量の弾丸が放出され、その間だけは昼間のように辺りが明るくなった。
銃口は全てシオンに向けられているはずだが、それはカノンを抱えて飛ぶ私の身にも容赦なく降り掛かる。自分だけならともかく、カノンを守りつつ銃弾を交わして飛行するとなると、相当難しい。
いくつかの銃弾が私の装甲を掠め火花が散ったが、全速力で弾丸の間を掻い潜り、隊員たちが集まっている所まで辿り着くことが出来た。その中に、ユリサの姿を見つけた。
「ユリサ!」
「……フラン!」
ユリサは私の方を振り返ると、驚きと心配の入り混じったような表情を浮かべた。
ユリサの側にはアムやマックス、エリアス、ヴォルフガング総司令官までもが集まっていた。
力なく私に抱えられているカノンを見て、アムの顔は青褪めた。
「カノン!大丈夫なの!?」
「大丈夫。気を失っているだけだよ。大きな怪我もしていないはず。それよりも……」
地面に着地すると、私はたった今自分が通り抜けてきた夜空を見上げた。
隊員たちは機関銃を乱射し続けているが、シオンはまるで遊んででもいるかのように、ひらりひらりと上空を漂いながら優雅に弾丸を交わしている。あれでは当たるはずがない。
指示出しをしている隊長の野太い声には次第に焦りの色が見え始め、それが隊員たちにも伝わっているようだった。
「このままではマズいな……マックス、エリアス、我々も行くぞ」
「了解!」
総司令官の呼びかけに、マックスたちは声を揃えて答えた。
だけど次の瞬間、「下劣なコンピューター風情がぁああぁ!!!!調子に!!乗るなぁあぁあ!!!!」──と、耳をつん裂くような発狂に大地が揺れ、再び地面は断裂した。
「フラン!」
ユリサの声が聞こえ、差し出された手を取った。私たちはなんとか離れ離れにならずに済んだようだ。
「フラン、大丈夫……?」
「う、うん……なんとか」
私は咄嗟にユリサの手を取り、カノンに覆い被さった。辺りは砂塵が舞い上がり、暗がりの所為でひどく視界が悪い。
「ぶち殺してやる。お前ら全員。マザーボードなんてのはなァ、存在しちゃならねぇ世界なんだよ。だからお前ら全員ぶち殺して、元の平和な世界に戻してやる。お前らAIは所詮、人間様の奴隷に過ぎねえんだよ!!!」
花火でも打ち上がったかのように、途端に背後の空が明るくなった。これはマズいと直感した私はユリサの手を解き、再び跳躍した。
「フラン!!」
シオンの身体を蹴り上げた脚は、あと少しのところで交わされた。その直後、凄まじい膂力を以てして振り下ろされる街灯。機関銃の引き金を引こうと指を掛けるが、腕を蹴られて危うく落としそうになった。
夜に紛れて視界が悪い。にも関わらず、シオンはまるで私の動きを予測しているかのような動きをする。高速で繰り広げられる肉弾戦に、いつまで持ち堪えられるかわからなかった。
「どうした、シュガードール!!動きが鈍っているぞ!まさか、もう疲れたのか!?」
シオンの口を使って人間が吠える。その声には明らかに嘲笑が混じっていた。攻撃速度は少しも緩められず、振り下ろされた街灯が私の身体を強打した。
右半身に鈍い痛みが走り、羽を捥がれた蝶のように、真っ逆さまに夜の底へと落ちていく。
地面に叩きつけられるかと思ったこの身は、上空でふわりと受け止められた。痛みを堪えながらゆっくりと目を開けると、心配そうに微笑むユリサと視線が重なった。
「ユリサ……」
「フラン、大丈夫?」
「うん……それよりも、なんとかしてシオンの動きを止めないと……」
視線を上へ向けると、「もう終わりか」とでも言いたげな退屈そうな顔をしたシオンが、赤い目で私たちの方を見下ろしていた。
「大丈夫。フランなら──私たちなら、きっとシオンの動きを止められる!」
ユリサは力強くそう言って笑うけど、どうしてそう断言できるのか。どこにその根拠があるのか──と、つい私は悲観的なことばかり考えてしまう。
だけど、私たちが今置かれている状況は、楽観視できるほど甘くはない。
不安が顔に出ていたのか、黙っている私をユリサは突然抱きしめた。互いのロイドギアが擦れ合い、固い金属の感覚が装甲を通して伝わってくる。だけど、顔のすぐ近くにユリサの息遣いや体温を感じた。
「ちょっ、ユリサ!?」
「フラン。私たちで、シオンを救おう」
先ほどシオンから受けた攻撃で、身体はバラバラになって今にも崩れ落ちそうだ。翼を広げて飛ぶだけでも刺すような痛みが襲い来る。
ユリサの黒い瞳が真っ直ぐに私を見据える。そこに映る私は、情けない臆病者の顔つきをしていた。こんな顔では、誰も救えない。
私は表情を引き締め、不安や恐怖といった感情を出来る限り振り払った。それでもまだ、瞳に映る顔には恐れが滲んでいるけれど。
「……うん。シオンは絶対に助ける」
ユリサは言葉を返す代わりに微笑んでみせた。
その時、頭上で気の狂ったような甲高い咆哮が響き、抱擁は自然と解かれた。
「もう終わりかよ!!おまえら全員粉々にして、此処を廃品置き場にしてやる!!!」
シオンの身体が歪に仰け反り、痛々しく形を変えた。背中や腕、腿などを覆っている装甲に裂け目が生じ、そこから強靭な刃が突き出した。
その拍子に、街灯は凄まじい勢いを以てして、地上にいる隊員たちへ向かって放たれた。街灯が叩き付けられた所は大きく陥没し、何体かの隊員は地の底へ落下してしまったかもしれない。
「撃てえぇえ!!!」
叫び声と共に、銃が乱射される音が響き渡った。夜の闇が昼間のように明るくなり、シオンへ向かって飛んでいく白翼が見えた。それはアムとマックス、エリアスだった。
3体でかかってもシオンの動きは止められない。底無しと思われるような膂力に翻弄され、こちら側の体力だけが削られていく。
マックスが引き付けている隙に、エリアスの長槍がシオンの脇腹を突き刺した。装甲の裂け目に槍は深く突き刺さり、シオンは一瞬、苦しそうな声を上げたが、エリアスは顔面を殴打されて地上へと落ちていった。
「エリアス!!」
構わずアムとマックスが攻撃を続けるが、二体の表情もかなり苦しげだ。強固なロイドギアが破られて装甲は剥がれ落ち、皮膚の中の部品が露わになっている。
地上からは絶えず機関銃やバズーカが撃ち上げられ、戦況は混沌としていた。驚いたことに、アムやマックスが上空で戦っているにも関わらず、地上から銃弾が浴びせられている。
アムとマックスに当たることなど気にも留めないといった様子で、私はかつて、演習場で初めてユリサと模擬戦を行った時のことを思い出した。
あの時も、暴走した私を抑える為、銃弾がユリサに当たっても構わず撃ち続けられた。
攻撃を受けてアムが落下したが、それがシオンからの攻撃によるものだったのか、地上から無差別に浴びせられる銃弾の為だったのかはわからない。
体力が削られていたのか、徐々に動きが鈍くなっていたマックスも、攻撃を受けて続けて落下した。
「……やめて」
ウイルスを撃つ為なら、味方の命さえも簡単に捨ててしまえるというのか。たしかに、私たちAIはコアが破壊されない限り「死んだ」とは言えないかもしれない。コアさえ無事なら、別の身体に移し替えることで何百年も人格を保ち続けることができる。現に、私だってそうしてきたのだろう。
だけど、それをすれば確実に私たちの心は擦り減っていく。コアは摩耗し、次第に巧く感情が働かなくなってくる。記憶に誤差が生じ始める。
「やめてええぇええ!!!!」
我を忘れ、リミッターが外れる音が聞こえたが、シオンに向かっていこうとした私の手をユリサが繋ぎ止めてくれた。
「フラン、落ち着いて。リミッターを解除してはいけない。解除しなくとも、フランならシオンを助けられる。私がいる」
「ユリサ……」
その微笑みは、澄み切った無辜なる目は、純粋な信頼を示していた。ユリサの言葉は暖かい福音のようにいつも私を光の方へ導き、私を私でいさせてくれる。
繋がれた手を強く握り返し、頷いてみせた。
「そうだね。私たちで、シオンを助けよう」
シオンの姿は原型を留めておらず、人間に掌握されている。それでも、私たちは諦めない。絶対に救ってみせる。




