35 : 私の肩で泣かないで
視界が白く霞んだと思ったら突如として暗転し、何も見えなくなった。青空が遠退いていく。猟銃で撃たれた鳥は、最期の時にこんな景色を見るのだろうか。
翼があれば飛べるはずなのに、飛ぶための翼を持っているはずなのに、空へ向かって舞い上がる力は残されていない。
身体の中が焼け爛れているかのように熱い。痛いを通り越して熱くなって、それさえもやがて感じなくなる。「まだ戦える」と叫ぶ心と対抗するように、身体は悲鳴を上げている。いっそのこと、もう壊れてしまいたい、と。
落ちて、落ちて、落ちて。どこまでも落ちて、マザーボードから人間たちの暮らす世界まで、私は落ちていくのかな。
例え特別な力を持っていたとしても、それを使いこなせなければ宝の持ち腐れだ。やっぱり、私は「フラン」にはなれない。
その時、真っ暗な世界に光が差し込んだ。雲の切れ間から注がれる、白くて眩い、神聖な光。
「フラン」
その声は私の名前を知っていた。優しくて、どこかで聞いたことがあるような声。
「あなたはまだ戦える。あなたにはやるべきことがあるでしょう」
やるべきこと……?
朦朧とする意識の中でか細い思考の糸を巡らせる。
……そうだ。私は記憶と使命を取り戻す為にマザーボードへ来た。
「でも、頑張ったって勝てっこない。あんな……」
悍ましいウイルスの顔が鮮明に浮かび上がる。強靭な鉈のような両腕に火炎を纏わせて、鬼気迫る勢いでこちらへ真っ直ぐに向かって来るのだ。
あんなのに勝つなんて、絶対ムリだ。あれはアンドロイドじゃない、化け物だ。化け物──
……化け物?
悍ましいウイルスの影が徐々に薄れていき、弱々しい声が再生される。
「タス、ケ……逃ゲ、ロ……」
あのウイルス──いや、違う。あのアンドロイドは、助けを求めていた。まだ生きていたいと叫んでいた。
それを私は「化け物」だなんて──本当に最低だ。それに彼が「化け物」なら、私だって似たようなものじゃない。
天から溢れ出す、暖かな光。光に満ちた、福音のような声。
「そう。あなたはまだ戦える。あなたには戦う理由がある」
私には、戦う理由が──
目の前にユリサの顔が現れた。ユリサ、私はもう、あなたを独りにしないって決めたんだ。
落ちる。落ちる。手を伸ばせば伸ばすほど、白き天の光は遠ざかり、重力の腕に掴まれて落ちていく。
「戦え、フラン!」
私は叫んだ。私は戦う。臆病でどうしようもないほど弱いけど、それでも絶対に負けはしない。守るべき友だちが、仲間が、世界があるから──!
重力に引き寄せられ、地上へと吸い寄せられていく私の躰。落ちていく最中は時間が何倍にも引き伸ばされているように感じ、視界に映る景色は不思議とスローモーションで脳裏に刻まれた。
地面が近付くにつれ、地上の騒がしさがはっきりと耳に届き始めた。無数の脚がドタバタとこちらへやって来て、落ち着きのない物々しい声が彼方此方から聞こえる。
「お、おい!あれ!!」
誰かがそう叫んだ途端、辺りは急に静かになり、地上の視線が一斉に私へと向けられるのを感じた。
「フラン!!」
誰かが私の名前を叫んだ。だけどその時、私の頭の中は聞きたくもない機械音で満たされていて、周囲の声は薄らとしか聞こえなかった。
私を狂わす機械音を止めたくて、獣のようにありったけの声で叫びながら、私は翼を広げた。
機械の翼が鈍い動作で苦しげに開き、私は地面へ叩きつけられる直前で体勢を立て直した。地面に陥没する右足を踏ん張って、私は空を睨みつけた。
赤眼のアンドロイドの恐ろしい顔からは、一切の感情が見えないが、見方によっては楽しんでいるようにも怯えているようにも見える。
リミッターは外さない。「フラン」ではなく私の力で、あのアンドロイドを救うんだ……!
大地を蹴り上げ、持てる力をありったけに注ぎ込み、私は空へ向かって滑走した。上空で旋回しながら、ウイルス──赤眼のアンドロイドへ向けて機関銃を乱射する。
赤眼のアンドロイドはダンスでも踊っているかのように華麗な動きで全ての弾丸を交わす。そうしながらも私との距離を詰めてきて、攻撃のタイミングを伺っていた。
強靭な鉈が振り下ろされるその瞬間を、私はずっと待っていた。私は相手よりも高い位置へ舞い上がり、振り返った瞬間、腹部に全力の蹴りを撃ち込んだ。
隕石でも落下したかのような轟音と砂塵に周囲が包まれ、大地は大きく陥没した。
再起不能にしたと思ったのに、赤眼のアンドロイドは穴の中で苦しげに身体を起こして立ち上がると、血走った目に憎悪を込めてぎろりと私を睨みつけた。
他のヴァイスリッター達は固唾を呑んで私たちの動向を見守っている。
かなりのダメージを負わせたはずなのに、赤眼のアンドロイドは物凄い速さでこちらへと向かってきて、鉈と化した両腕を縦横無尽に振り回した。
いくらウイルスと言えど、長時間に渡る戦闘で疲弊してきたのか、先程よりかは動きが落ちているように見える。繰り出される攻撃も数打ちゃ当たるといった感じで、冷静さに欠ける。
──まあ、ウイルスに冷静さを求めるなんて、そもそもおかしな話なのかもしれないけれど。
撃ち込んだ弾丸は腿へ命中し、鱗のような肌が破れて中の部品が弾け飛んだ。グアア、と苦しそうな声がウイルスの口から漏れた。
私はすかさずその顔面を殴り、ウイルスが地上へ落下するのを防ぐように、今度は腹部を深く蹴り上げた。
天へ向かって無惨な身体が舞い上がる。罪人が太陽神の前へ突き出されるかのように。私は機関銃の照準を合わせた。
その時、凄まじい勢いで何かが私へと突進してきた。手から機関銃がこぼれ落ち、地上へと沈んでいくのが見えた。
私は抱きしめられていた。強く、強く──身動きも取れないほどに強く。
……あれ?私は今まで、何をしてたんだっけ……?
つい先程までのことがはっきりと思い出せない。そして温かい腕に抱かれながら、自分でも気付かぬうちに私が私でなくなっていたのだと悟る。次に絶望する。
地上から何体かの白翼が飛んできて、とっくに戦意を喪失していたウイルスの動きを封じるのが見えた。
私は──私はまた、同じ過ちを繰り返して──
温かな腕はいつまでも私を離そうとしない。右肩にかかる微かな重み。柔らかい髪が頬に当たってくすぐったくて、花のような匂いがする。
どうしてこれほどまでに、胸が痛むのかわからない。胸が締め付けられて、苦しくてたまらない。今すぐに消えてしまいたいような衝動に駆られる。
それを抑え込むように、彼女はいつまでも私を強く抱きしめている。華奢な肩を微かに震わせながら泣いていた。
私は誰も傷付けたくない。ウイルスであっても──元はアンドロイドなのだから。いつか人間と戦う時が来たとしても、私は彼らも殺したいとは思わないだろう。
それなのに、私の身体はみんなのことを殺そうとする。ウイルス、人間、大切な仲間でさえも──
自分が造られた理由を知りたい。そう思ってマザーボードへ来たけれど、その答えは未だにわからない。だけど今、はっきりとわかったことがある。私はきっと、造られるべきではなかった。
ユリサ、お願い。もうこれ以上、私の肩で泣かないで。これ以上泣かれたら私本当に、自分を壊してしまいそうだから。




