34 : 白翼、落ちる
建物内は煙が充満していて、視界が悪い。燃え盛る炎は弱まるどころか、先ほどよりも更に勢いを増しているように見える。
ロイドギアはあらゆる環境下に耐えられるように設計されている為、耐熱性にも優れており、熱を吸収する。熱さは感じにくい──はずなのだが、全身が焼けるように熱い上、煙の所為か、頭がクラクラとしてくる。
アンドロイドである私でさえこのような状態なのだから、ユリサはもっと辛いだろう。ユリサはサイボーグで、身体の半分は人なのだから。
いつウイルスが暗闇から姿を現すかわからないこの状況で、私とユリサは手を繋いで炎の中を進んだ。
「ユリサ……大丈夫?」
「大丈夫よ。それよりも、周囲を警戒して。ウイルスもそうだけど、もしかしたら逃げ遅れたAIがいるかもしれない」
ユリサの声ははっきりとしていて、辛さなど微塵も感じさせない。私もしっかりしなければ。これくらいのことで参っていては、これから先、ヴァイスリッターとしてみんなの役に立つことなど出来ないだろう。
「そ、そうだね。頑張ろう」
その時だった。ユリサにいきなり突き飛ばされて、私は炎の中で回転したが、なんとか着地した。
「ユリサ!」
ユリサは答えない。今、何が起こった。
「ユリサ!大丈夫!?」
やはり、ユリサは答えない。
落ち着け。こういう時こそ落ち着いて、周りをよく見るんだ。そうしなければいけないとわかっていても、充満した煙と薄暗い視界の中、思考が乱されていく。
その時、黒煙の向こうでゆらりと人影が動いた。明らかにユリサではない。全長170センチ程度。影の形から推測するに、筋肉質の逞しい体格をしている。
闇の中で、炎とはまた違った色合いの紅が目を開いた。次の瞬間、黒煙の中から物凄い勢いでなにかが飛び出してきて、気が付いた時、私は機関銃で鋭利な刃を受け止めていた。
あと数センチのところで、切先は私の鼻先を掠めただろう。
燃え盛る炎よりも獰猛で、残虐性を秘めた赤い瞳。目玉が転がり落ちるんじゃないかと思うほど、その目は大きく見開かれている。
赤黒い血のような液体が両目から流れ出し、頬を伝った。
この赤い目を見れば、誰だって一目見ただけでわかるだろう。このアンドロイドは、ウイルスだ。
ウイルスは片手で鉈のような武器を握っているが、その力は凄まじいもので、機関銃を持つ手の力をほんの少し緩めた瞬間、鉈のような凶器が顔の目の前まで迫りくる。
「タス、ケ……逃ゲ、ロ……」
地響きのような機械の駆動音に混ざり、その声は微かにではあるがはっきりと聞こえた。
驚いて機関銃を持つ手の力が緩む。その瞬間鉈が振り下ろされ、即座に後方に飛び退いたが、右肩から胸にかけての部位を装甲の上から切り付けられた。
ゆらゆらと燃え盛る炎の奥から、片手に鉈を持ったウイルスがゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。
人間が生み出したウイルスに感染すると、それまでの記憶や自我を失ってしまうことが殆どだが、どうやらこのアンドロイドは、自我を完全には失っていないようだ。
なるべく痛みが少ないようにして、戦意喪失させてあげなければならない。
先ほどの攻撃で受けた痛みを堪えながら、私は立ち上がった。そして、機関銃を構える。ウイルスは立ち止まり、赤い目でこちらの出方を伺っていた。
リミッターは解除できない。解除したら、私はウイルスだけでなく、味方であるユリサやヴァイスリッターの皆までもを攻撃してしまう可能性がある。私までもが自我を失って暴走してしまえば、事態は収拾のつかないことになるだろう。
みんなに迷惑はかけられない。だから、時間をかけずに仕留めてみせる。
どれくらいの間、私たちはその場に立ち尽くし、互いの様子を伺っていただろう。
私は地面を蹴り上げ、ウイルス目掛けて跳躍し、空中から機関銃を乱射した。信じがたいことに、殆どの弾丸が鉈で弾かれた。
このウイルス──本当に強い。気を抜いたらいつ殺されたっておかしくない。私がマザーボードへ来たばかりの頃、街でユリサが撃退したウイルスとは桁違いの戦闘能力を保持している。
ウイルスは鉈を大きく振り上げて、物凄い速さで切り掛かってくる。一見、めちゃくちゃに武器を振り回しているように見えるが、私の動きを予測して攻撃を繰り出していることがわかる。
鉈を交わすことに精一杯で、体力と時間だけが少しずつ削り取られていく。
ウイルスの動きに現れたほんの一瞬の隙を突き、私は右脚で鉈を持つ手を蹴り上げた。鉈は天井目掛けて炎の上を舞い上がる。ウイルスの視線が逸れたその隙に、腹部に弾丸を撃ち込んだ。
部品が砕けるような鈍い音が響き、ウイルスは手で腹部を抑えながら苦しそうな表情を見せた。カラン……と、闇の中に鉈が落ちる音が響く。
勝負ついたか。私もそろそろ限界に近い。これ以上戦いを続けたら、自動的にリミッターが外れてしまうかもしれない。
ウイルスが弱っている今のうちに、早くトドメを刺さなくては。そう思い、ウイルスの方へ歩き出したその時。
「危ない!!」
突如として視界が真っ赤に染まり、その後暗転した。凄まじい轟音と衝撃、爆風に弾き飛ばされ、気付いた時にはユリサに抱かれて上空を舞っていた。
……今、何が起きた?私はビルの中で戦っていたはずなのに、どうして今は外に出ているんだ。
朦朧とする意識の中でユリサの顔を見上げて、言葉を失った。
ユリサの額から左頬にかけて、赤いペンキを頭から被りでもしたかのように、血で真っ赤に染まっている。首筋に血の滴が伝い、純白のロイドギアまでもが赤黒い血に濡れていた。
「ユリサ……」
ユリサは私の方は見ようとせず、ウイルスがいるであろうビルの中に視線を向けたまま、口元だけで軽く微笑んでみせた。
「大丈夫よ。私はサイボーグ。身体の半分は人間だから怪我をすれば血が出るけど、もう半分はあなたたちと同じ機械なのだから、そう簡単に死にはしないわ」
「で、でも……っ!早く手当てしないと……!」
「これくらい平気。それより、今は中にいるアイツを早くどうにかしなくちゃならないわ」
ビルから立ち昇る黒煙で、晴れているはずの空が厚い雨雲で覆われているかのように辺りが暗くなった。
外壁は更に崩れ落ち、最早建物は原型を留めていない。
その時、ぐおおおおおおお!!!!という恐ろしい咆哮が響き渡り、大地が震え、ビルの外壁は更に崩れ落ちた。
「い、今のは一体……!?」
「これは……」
頭の上で、ユリサが独り言を言うように呟いた。
「これはちょっと、不味いかもしれないわね」
私はこの先に起こることを想像し、嫌な予感に苛まれた。考えたくないと思いながらも、目を背けていては何も解決しない。
誰かが戦わなければ──ウイルスに感染したあのアンドロイドを助けなければならないんだ。
恐る恐る、視線をビルの方へと向ける。
ビルの外壁に空いた大穴から、黒煙と炎を纏った一体のアンドロイドが姿を現した。
その姿を見て、言葉を失った。
あれはもう、アンドロイドと呼んでいいのかさえわからない。
化け物──そんな風に思いたくはないけれど、その言葉が真っ先に頭に浮かんだ。
先ほど戦った時は全長170センチメートルほどであったが、現在は遠目で見ても2メートルを遥かに超えている。
肩から腕にかけて、先端の尖った鋭利な突起が突き出ていて、背部には細長い形状の鉄骨のようなものが刺さっているようにも見える。肌は鱗のように赤黒くひび割れ、顔面は原型を留めていない。見開かれた二つの目は光を失い、ぽっかりと真っ赤な穴が空いているだけで、眼球が入っていないかのようだ。
私は背部の翼を広げ、ユリサの腕を離れた。私とユリサは隣り合って上空に立ち並び、少しの間、何も言わずにウイルスの動きを注視していた。
ウイルスの方も、ビルの外壁に空いた大穴からこちらの様子を伺っているようだ。暫しの間、膠着状態が続いた。
その時、街中に響き渡る大音量で、緊急事態アナウンスが流れ出した。
「緊急事態です。緊急事態です。ノースリッジ中央500番街にて、ウイルスが出現。住民は直ちに安全区域まで避難してください。繰り返します──」
アナウンスがまだ終わらないうちに、少し離れた場所で避難誘導を行ったり、他の部隊に応援を呼んだりしていたマックスから通信が入った。
「ユリサ、フラン!聞こえるか!?住民の避難誘導は完了した!第2部隊の隊員には、引き続きこっちで住民の安全確保を行わせる。俺は今からカノンたち第4部隊と一緒にそっちへ向かう!」
マックスの声は頭の中に直接響く。これは、マザーボードの軍隊でのみ配布されているイヤホン型の特殊通信装置のお陰だ。
「りょうか──」
了解、と答えようとした私をユリサが手で制したが、気付いた時には遅かった。
ほんの一瞬、私たちの気が逸れた瞬間を狙ってか、突如としてウイルスがこちらへと跳躍してきた。燃え盛る火炎を全身に纏い、その両腕は巨大な鉈のような形状に変化している。
私とユリサは即座に別方向へと散り散りになって退避した。
……が、ウイルスの移動速度は先ほどまでとは桁違いに上昇している。
「ユリサ!!」
「余所見しないで!!今策を練るから、なんとか持ち堪えて!!」
そう言われても、ウイルスは私のすぐ目の前まで迫り、鉈の形状をした炎の両腕を振り下ろしてくる。ビル内での戦闘で多少なりとも手傷を負わせたからか、どうやらユリサではなく、私のみを狙っているらしい。
ウイルスは攻撃を避けることに精一杯の私を翻弄し、楽しんでいるようにも見えた。縦横無尽に繰り出される素早い攻撃に体力が削られ、私はとうとう胸のあたりを切りつけられた。
「フラン!!」
体内の部品が砕け散るかのような強烈な痛みが走り、ユリサの叫ぶ声が遠く聞こえる。
猟銃で撃たれた鳥のように為す術もなく、私は地へと落ちていった。攻撃を受けた胸が焼けるように熱い。痛みを通り越して、次第に感覚が薄れてくる。
白くぼやける視界の中、ユリサが私に向かって手を伸ばす。その顔は今にも泣きだしそうなくらい必死で、見ているこちらの方が辛くなる。




