23 : 紅茶の香りと夜の静けさ
合同演習が終わった頃には、辺りは既に薄暗くなっていた。休憩を挟みながらではあるが、昼間から4時間以上も訓練を続けていた為、隊員たちは皆疲弊した様子だ。
かく言う私も、今日はかなり疲れた。本来アンドロイドに睡眠は必要ないのだが、今すぐにでもベッドの上に横になりたい気分だ。
「フラン!お疲れ!」
アムがそう言って手を振ってくれた。その笑顔は夕方の薄闇の中でも、真昼の太陽のように明るい。
「お疲れ様!」
「お疲れー!」
アムやマックス、エリアス達と「お疲れ様」の挨拶を交わして、私は一人演習場を後にした。その後もすれ違う隊員たちがみんな「司令長官、お疲れ様です」と言葉を掛けてくれた。
司令長官という役職名にはまだ慣れないけど、ヴァイスリッターのみんなと少しずつ距離が縮まっているような気がして嬉しい。
カノンともいつか仲良くなれたらいいのにな。ちょっと怖いけど、悪い子には見えないし。
ユリサはもう、部屋に戻っているだろうか。
*
寮のエレベーターを降りると、誰かの話し声が聞こえた。声のボリュームは小さいが、甲高い笑い声が廊下にまで響いている。
「ちょっとカノン、言い過ぎー!」
「だってホントのことだもん!」
「あはは、ひっどいなぁ」
カノン!?そう言えばカノンもこの階に住んでるって、前にユリサから聞いたような……
どうやら、カノン達は廊下の途中にあるロビーで話をしているらしい。私の部屋へ行くには、カノン達のいるロビーを通り過ぎなければならない。どうしよう、通りにくいなぁ……
「だって、人間となんて関わりたくないでしょ?」
人間……?何の話してるんだ?
盗み聞きするつもりはなかったが、部屋へ戻るのを躊躇っているうちに会話の内容が自然と耳に入ってきた。
「あいつが一緒にいる所為で、フランも頭がおかしくなっちゃったのよ」
カノンの声ではっきりとそう聞こえた。一緒にいるアンドロイドの高い笑い声が響いていたが、そんなもの聞こえないくらい、カノンのその言葉だけが耳の奥で執拗に繰り返される。
「半分は人間なんだよ?サイボーグなんて、信じられるわけないじゃない」
鋭利な言葉は胸の奥に突き刺さり、抉るように私の心を掻き乱す。
カノン、これ以上あなたの言葉は聞きたくない。
私のことはいくらでも悪く言ってくれて構わない。だけどユリサを侮辱することは、それだけは絶対に許せない。例えあなたが、仲間だったとしても──
「カノン!」
気付いた時には飛び出して、カノンの胸ぐらを掴んでいた。我ながらよくもまあ、こんなに大胆なことが出来たものだ。
見開かれた深紅の目に、自分でも引いてしまうほど恐ろしい形相の私が映っている。
「私のことはいくら悪く言ってくれてもいいわ。だけど、ユリサを傷付けたら招致しないから」
凍りついた静寂がこの場を包み、勢いで強気なことを言ったはいいものの、この後どうしようかと私は必死で思考を巡らせていた。
ないとは思うけど、カノンが落ち込んでしまったらどうしよう。いや、ユリサのことを悪く言ったんだから、ちょっとくらいは落ち込んでもらいたいんだけど!
だけど、どうやらそんな心配は一切無用だったらしい。
カノンは私に胸ぐらを掴まれたまま、挑発的に口角を緩めた。
「……フラン。あなた、本当に落ちたわね」
まるで私よりも私のことを知っている、とでも言いたげな顔だ。その目には蔑みと失望の色が浮かんでいた。
なにか言い返したいのに、頭の中が真っ白になって咄嗟に言葉が出てこない。
私が何も言わないでいると、カノンは呆れた様子で小さく溜息を吐き、迷惑そうに私の手を振り払った。
「何も言い返さないのね。私はあなたを尊敬していたのに、残念だわ」
カノンは取り巻き達に「行きましょ」と小さく言って、自分の部屋の方へと去っていった。この場には私と、後味の悪い不穏な静寂だけが残された。
ユリサの部屋はここから一番近いところにある。私は、どうかカノン達の会話がユリサの耳に届いていませんようにと願った。
部屋の扉をノックしても、すぐには反応がなかった。
「ユリサ、いる?」
声を掛けて少しすると、内側からそっと扉が開けられた。
ユリサはいつもの穏やかな微笑を浮かべながら、パジャマ姿で私を出迎えた。
「お疲れ。どうしたの?」
「いや、特に何もないんだけど……寝るところだった?」
「ううん、大丈夫。入る?」
軍事基地へ来てから一ヶ月以上経つけど、ユリサの部屋に入ったのは今日が初めてだ。ユリサは毎朝、隣室の私の部屋まで迎えに来てくれるけど、それ以外の時間は寮以外の場所にいる為常にバタバタとしていて、私がユリサの部屋を訪れる機会はなかなか訪れなかった。
「うん。じゃあちょっとだけ、お邪魔します」
家具やカーテンなどは全て白系で統一された、すっきりとした清潔感のある部屋だ。ユリサらしいといえばユリサらしい。部屋の作りや家具の位置は私の部屋と殆ど同じだ。
「待って。今お茶淹れるから座ってて」
「お茶?」
ユリサははっとした表情で私の方を振り返ると、胸が締め付けられそうになるくらい、寂しそうな目をして笑った。
「……そっか。マザーボードにこの習慣はないものね。自分の部屋に誰かが来るなんて久しぶりだったから忘れてた。でも、飲めなくはないでしょ?美味しい紅茶があるの」
ユリサはそう言ってキッチンの方へ向かった。間もなく、カチャカチャと食器類に触れる音が聞こえてきた。
そういえば、人間の世界では来客があった際にお茶を出して持て成す習慣があるようだ。
工場にいた頃、来客があった際にデンジさんに頼まれて何度かお茶を淹れたことがある。
アンドロイドは飲食を必要としないが、気遣いや歓迎の気持ちが感じられるその習慣はとても素敵だ。なんだか嬉しくなる。
「お待たせ」
「わあ、良い匂い」
繊細な模様の施された茶器はとても可愛らしい。ユリサの華奢な白い手は、ティーカップにお茶を注ぐ仕草がよく似合う。
「……おいしい」
甘酸っぱさの中にある適度な苦味が上品で、甘く華やかな香りで身体の中が満たされた。
「よかった」
ユリサはティーカップを口元へ運びながら、そう言って微笑んだ。温かな紅茶の香りと夜の静けさが部屋の中に漂っていた。
ティーカップを手に取る音以外には、ほとんど何も聞こえない。
……あれ?いつも何話してたっけ?
ユリサの部屋でこうして二人で向かい合っていると、何を話せばいいのかわからなくなってくる。
「き、今日のお仕事は大変だった?」
「そうね。まあ、いつも通りよ」
「そっかぁ。ユリサは凄いよね。強いだけじゃなくて仕事も出来るんだから」
「そんなことないわよ。フランだって、もうあれだけ戦えるようになって凄いじゃない」
「そんなことないよ!私なんてユリサの足元にも及ばないし……」
ユリサは何も答えず微笑み、ティーカップを口へ運んだ。
……駄目だ。会話が続かない。
考えないようにしていても、先程のカノンとのやり取りがどうしても思い出されて、何も言い返すことが出来なかった自分が悔しくて仕方がない。
「……フラン。私のことなら、気にしなくていいわ」
その言葉にはっとして顔を上げると、ユリサは長い睫毛を伏せてティーカップの中に視線を落としていた。永い眠りから目覚めるようにゆっくりと黒い目が開き、私の姿を映した。その瞳はオニキスのように力強く艶やかで、どこか陰鬱な光を帯びている。
ユリサはテーブルの上にティーカップを置くと膝を立て、細い指先で私の首筋にそっと触れた。その指は「sugar doll」のある場所を慈しむようになぞった。
「あなたには力があるの。誰にも負けない強さを持っている。だから顔を上げて、どうか自信を持って」
ユリサはそう言って微笑んだ。
その時、以前にもこんなことがあったような、瓦礫に埋もれた記憶の破片が光り出したような気がしたけれど、それがいつのことだったか、結局わからなかった。
「さあ、明日も早いし、そろそろ休んだ方がいいわよ」
ユリサは私の背中を軽くたたいた。
「そうだね」
私は頷き、ティーカップの中に微かに残っていた紅茶を喉に流し込んでから立ち上がった。紅茶はすっかり冷たくなっていた。
ユリサは部屋の前で私を見送ってくれた。
「ユリサ、今日はありがとう」
「こちらこそ、私の部屋にフランが来ることってなかなかないから、なんだか新鮮で楽しかったわ」
「私も。それじゃあ、おやすみ」
「ええ、おやすみ」
背後で扉が閉まる音が聞こえた。明日もまた会えるのに、すぐ隣の部屋にいるのに、なんだかユリサが物凄く遠いところにいるように感じられて寂しい。何故だかわからないけれど、そんな風に思う。
本当はもっと一緒にいたいけど、ユリサも疲れているだろうから、休ませてあげなければいけない。いくらユリサがサイボーグでも、私たちアンドロイドと違って人間の身体はあまりに脆く、疲労も蓄積しやすいのだ。
「だって、人間となんて関わりたくないでしょ?」
カノンの言葉が頭の中で繰り返し響く。
たしかに、ユリサはサイボーグと言えど半分は人間だ。私たちアンドロイドとは身体の構造も違うし、寿命も違う。違うところだらけかもしれない。
だけど、それでもユリサは私たちの仲間だ。ヴァイスリッターとして一緒に戦っているんだ。
人類に死を、AIに栄光を──
AIにとって人間は忌むべき存在だ。だから、カノンの考えも理解はできるし、カノン以外にもユリサを人間だからという理由で嫌う者が多くいるだろう。
本当はわかり合えるはずなのに。AIも人間も、争いは負の感情しか生まない。そうだとわかっていても、私たちは戦いに勝つ為に身を投じなければならないんだ。
ユリサは私が守る。
理想論だって嘲られるかもしれないけど、こんなくだらない戦争は早く終わらせて、AIも人間も笑って暮らせる世界が欲しい。私はその為に戦う。
誰にも負けない強さは、誰かを守る為に使うんだ。




