第45話:息子が、連れてきた人
新年が明けて、健二さんから澄江さんに電話があった。
私は澄江さんの隣で、その電話を聞いていた。
「母さん、今月、会わせたい人がいるんだけど」
澄江さんの顔が、ぱっと明るくなった。
「まあ」
澄江さんが言った。
「いつでもいらっしゃい」
「ほころび庵に行ってもいいか。あそこの方が、母さんらしいから」
「もちろんよ」
電話が終わった。
澄江さんが私を見た。
「ムギちゃん、聞いてた?」
私はそっぽを向いた。
聞いていた。
「健二が、連れてくるって」
澄江さんが言った。声が、少し弾んでいた。
「どんな人かしら」
私は澄江さんを見た。
澄江さんの糸が、今日は特に温かかった。
白い糸が、健二さんの方向へ、明るく伸びていた。
隣に、女性がいた。
三十代前半だろうか。落ち着いた雰囲気で、でも目に温かみがあった。緊張しているのが、少しだけ伝わってきた。でも、堂々としていた。緊張しながらも、背筋が真っ直ぐだった。
そういう人だ、と思った。
「母さん」
健二さんが言った。
「いらっしゃい」澄江さんが立ち上がった。
「紹介するよ。西川神楽さん。職場で知り合って、付き合ってる」
神楽さんが頭を下げた。
「西川神楽と申します。健二さんから、澄江さんのこと、たくさん聞いていて。お会いしたかったので、今日来られてよかったです」
澄江さんが「まあ」と言った。
にこにこしていた。でも今日のにこにこは、いつもより少し違った。
嬉しそうだった。
本当に、嬉しそうだった。
私は神楽さんの糸を確認した。
赤い糸が、健二さんの方向へ、太く、真っ直ぐに伸びていた。
迷いのない糸だ。木村さんの糸に似ていた。
一本に絞れている。よそ見をしていない。
白い糸も、豊かだった。家族や友人との縁が、温かく輝いていた。
そして、細い金色の糸が、頭上にふわりと浮いていた。
守られている人だ。
いい糸だ、と思った。
澄江さんがお茶を出した。
三人がカウンターを囲んで座った。
私はカウンターの端で、三人を見ていた。
「お仕事は、何をされているんですか」澄江さんが聞いた。
「健二さんと同じ会社で、ただ部署が違って」
神楽さんが言った。
「私は人事で、健二さんとは、社内の研修で知り合って」
「研修で」
澄江さんが健二さんを見た。
「去年の春から転職しただろう」
健二さんが言った。
「入社してすぐの研修で、隣になって」
「隣になったのは、たまたまで」
神楽さんが続けた。
「でも、その後も、何度か話す機会があって」
「神楽さんから声をかけてくれたんですよ」
健二さんが言った。
「健二さん、研修中もずっと真面目な顔をしていて」
神楽さんが笑った。
「話しかけたら、実はすごく話しやすい人だったから」
澄江さんが「そうでしょう」と言った。
「口数は少ないけど、根は真っ直ぐな子だから」
「そうなんです」
神楽さんが頷いた。
「根が真っ直ぐな人って、わかるんですよね、なんとなく」
私は健二さんを見た。
健二さんが少し照れていた。
澄江さんの笑顔に、似ていた。
「ここ、素敵なお店ですね」
神楽さんが店の中を見回した。
「四十年、ここにいるから」
澄江さんが言った。
「健二さんから聞いていました」
神楽さんが言った。
「澄江さんがここで、ずっとたくさんの人の話を聞いてきたって」
「大げさよ」
澄江さんが笑った。
「大げさじゃないと思います」
神楽さんが言った。
「四十年、同じ場所で続けることって、すごいことだから」
澄江さんが少し目を細めた。
「ムギちゃんは、いつからいるんですか」
神楽さんが私を見た。
「五年前から」
澄江さんが言った。
「この子が来てから、色々変わったのよ」
「どんなふうに変わったんですか」
「なんでしょうね」
澄江さんが少し考えた。
「前より、踏み込めるようになった気がして。この子が背中を押してくれることが多くて」
神楽さんが私をまじまじと見た。
「触ってもいいですか」
私は少し考えた。
悪い糸ではない。
私は動かなかった。
神楽さんが、そっと私の頭を撫でた。
温かい手だった。
「かわいい」
神楽さんが言った。
「なんか、ちゃんと考えてる顔をしてますね」
私はそっぽを向いた。
考えている。いつも考えている。
健二さんがお手洗いに立った隙に、澄江さんと神楽さんが二人になった。
私はカウンターの端で、二人を見ていた。
「健二のこと、よろしくお願いします」
澄江さんが静かに言った。
「こちらこそ」
神楽さんが言った。
「健二さん、不器用なところがあって。でも、そこが好きで」
澄江さんが「そうでしょう」と笑った。
「澄江さん」
神楽さんが言った。
「一つ、聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「健二さん、お父さんのことを、よく話すんですよ。亡くなって、随分経つのに、今でもよく夢を見るって」
澄江さんが「そうなの」と言った。
「お父さん、どんな人でしたか」
澄江さんが少し考えた。
「頑固で、不器用で」
澄江さんが言った。
「でも、根は真っ直ぐで」
神楽さんが、少し笑った。
「健二さんと、そっくりですね」
「そうなの」
澄江さんが言った。
「本当に、そっくりで。健二がそういう子に育ったのは、お父さんのおかげだと思って」
神楽さんが頷いた。
「だから」
澄江さんが続けた。
「夢を見るのは、いいことだと思う。ちゃんと、お父さんが残っているから」
神楽さんの目が、少し潤んだ。
「ありがとうございます」
神楽さんが言った。
「そう聞けて、よかったです」
健二さんが戻ってきた。
「二人で何話してたんだ」
健二さんが言った。
「秘密よ」
澄江さんがにこにこした。
「お父さんのこと」
神楽さんが言った。
「神楽」
健二さんが苦笑いした。
「秘密じゃないから」
神楽さんが笑った。
三人が笑った。
私は、その笑い声を聞いていた。
ほころび庵に、こういう笑い声が響いたのは、久しぶりだった。
しばらくして、神楽さんが言った。
「そういえば、澄江さん。芹奈さん、ご存知ですか。日向芹奈さんという方」
澄江さんが「もちろん」と言った。
「よく来てくださる方よ」
「実は、芹奈さんの先輩で」
神楽さんが言った。
「芹奈さんから、ほころび庵の話を聞いていて。それで、来たいと思っていたんです」
私は、神楽さんを見た。
芹奈さんの先輩。
夏月未来さんとも、仲がいい先輩、と健二さんが言っていた。
縁は、つながっている。
芹奈さんがほころび庵に来て、未来さんと縁が戻って、その先輩が健二さんと付き合って、今日ここに来た。
糸は、見えないところで、ずっと繋がっていた。
「まあ」
澄江さんが言った。
「そうだったの。芹奈ちゃんの先輩だったのね」
「ここの話を聞いて、来てみたかったんです」
神楽さんが言った。
「来られてよかった」
澄江さんが「こちらこそ」と言った。
二人が帰り際、神楽さんが私を見た。
「ムギちゃん、また来てもいいですか」
私はそっぽを向いた。
でも、○を作った。
神楽さんが「よかった」と笑った。
「母さん、また来ます」
健二さんが言った。
「いつでもいらっしゃい」
澄江さんが言った。
「神楽さんも、一人でも来ていいのよ」
「来ます」
神楽さんが言った。
「絶対来ます」
二人が出て行った。
澄江さんが、しばらく窓の外を見ていた。
私は澄江さんの隣に座った。
「いい人ね」
澄江さんが静かに言った。
私は澄江さんを見た。
「根が真っ直ぐで、温かくて」
澄江さんが続けた。
「神楽さんが健二に似ているのか、健二が神楽さんに似てきたのか」
澄江さんが私を見た。
「ムギちゃん、どう思う?」
私は○を作った。
澄江さんが笑った。
「そうよね」
澄江さんが言った。
「よかった。本当に、よかった」
窓の外に、一月の空が広がっていた。
健二さんと神楽さんの赤い糸が、冬の光の中で、静かに輝いていた。
太くて、真っ直ぐで、迷いがなかった。
澄江さんの白い糸が、今日は今まで見た中で一番温かかった。
家族が、増えた。
そういう糸の色だった。




