第44話:美羽さんが、戻ってきた
十二月の半ば、美羽さんが来た。
両親と鉢合わせた日から、一ヶ月ほど経っていた。
今日の美羽さんは、あのときと全然違う顔をしていた。
あのときは、両親が来た瞬間に固まっていた。
今日は、自分の足で、自分の意思で、暖簾をくぐってきた顔だった。
糸を確認した。
白い糸の絡まりが、前回よりほどけていた。
完全には解けていない。でも、確かに緩んでいた。
赤い糸が、今日は前より輝いていた。
「澄江さん、こんにちは」
美羽さんが言った。
「いらっしゃい」
澄江さんが顔を上げた。
「顔色がよくなったわね」
「そうですか」
美羽さんが少し照れた。
「報告があって来ました」
「通帳、返してもらいました」
美羽さんが言った。
「まあ」
澄江さんが言った。
「お父さんが、お母さんを説得してくれて。先週、返ってきました」
澄江さんが「よかったじゃないですか」と言った。
「お父さん、あの日から変わって」
美羽さんが続けた。
「実は前から気になっていたみたいで。でも、言えなかったって」
私は美羽さんを見た。
白い糸の絡まりが、ほどけている部分を確認した。
母親への糸は、まだ少し絡まっていた。
でも、父親への糸は、前回よりずっと温かくなっていた。
父親が、美羽さんの側に立った。
その縁が、糸に出ていた。
「お母さんは、今も少し複雑で」
美羽さんが言った。
「そうね」
澄江さんが言った。
「お母さんも、悪気はなかったと思うから」
「わかってるんです」
美羽さんが言った。
「心配してくれていたのは、本当だと思って。ただ、やり方が違っただけで」
美羽さんが湯呑みを持った。
「先週、少しだけ話して。お母さん、泣いていて。私を信用していないわけじゃない、ただ心配で、って言って」
「そうだったの」
「なんか、私も泣いてしまって」
美羽さんが苦笑いした。
「喧嘩じゃなくて、ちゃんと話したのは、初めてで」
澄江さんが「よかったわ」と言った。
「まだ、全部解決したわけじゃないんですけど」
美羽さんが言った。
「でも、話せるようになってきた気がして」
私は美羽さんを見た。
母親への糸の絡まりが、少しほどけていた。
話したから、だ。
言葉を交わすと、糸は変わる。
切れることもある。でも、ほどけることもある。
「あの、もう一つ報告があって」
美羽さんが少し照れた。
「なに?」
澄江さんが聞いた。
「彼氏に、ちゃんと話しました。うちの親のこと、全部」
「まあ」
澄江さんが言った。
「今まで、言えなくて。恥ずかしくて。でも、先月のことがあって、話せて」
「どうだった?」
「怒らなかった」
美羽さんが言った。
「ただ、聞いてくれて。それから、一緒に考えようって言ってくれて」
美羽さんの赤い糸が、話しながら輝いた。
「一緒に考えよう、って言葉が、なんか、すごく嬉しくて」
美羽さんが続けた。
「一人で抱えなくていいんだって、初めて思えて」
澄江さんが「それは、いい人ね」と言った。
「はい」
美羽さんが笑った。
「収入とか、安定とか、そういうことより、この人と一緒にいたいって、今は思えて」
私は美羽さんの糸を見た。
赤い糸は、冬の日差しを受けて静かに光っていた。
太くて、真っ直ぐで、迷いがなかった。
美羽さんが帰り際、私を見た。
「ムギちゃん」
私はカウンターから降りて、美羽さんの前まで歩いた。
「あの日、手帳を落としてくれたでしょう」
私はそっぽを向いた。
たまたま、足が当たっただけだ。
「でも、あれがなかったら、お父さんが気づかなかったと思う」
美羽さんが続けた。
「お父さんが気づかなかったら、私は言えなかったと思う」
美羽さんがしゃがんで、私と目線を合わせた。
「ありがとう」
私はそっぽを向いた。
でも、美羽さんの目が、真っ直ぐだった。
逃げなかった。
美羽さんが立ち上がった。
「また来ます」
美羽さんが言った。
「今度は、もっと明るい話を持ってきます」
「待ってるわよ」
澄江さんが言った。
美羽さんが出て行った。
澄江さんが窓から美羽さんの後ろ姿を見送りながら言った。
「美羽さん、変わったわね」
私は澄江さんを見た。
「最初に来たとき、固まっていたじゃない。今日は、自分の言葉で話していたから」
私は窓の外を見た。
美羽さんが商店街を歩いていた。
白い糸の絡まりは、まだ完全には解けていない。
でも、今日の美羽さんの足取りは、軽かった。
一人で抱えなくていい、とわかった人間の歩き方だった。
「ムギちゃん」
澄江さんが言った。
私は澄江さんを見た。
「この仕事をしていて、こういう瞬間が一番好きよ」
澄江さんが窓の外を見た。
「来たときと、帰るときで、顔が違う人を見るのが。毎回、そこだけは変わらないのよね」
私は澄江さんを見た。
四十年、ここにいた。
たくさんの人が来て、話して、帰っていった。
その一人一人の顔を、澄江さんは見てきた。
それが、この人の四十年だった。
十二月のクリスマスの飾りが、窓の外で光っていた。




