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ほころび庵のムギ〜縁の糸が見える猫〜  作者: ゆもニャ
第四章 商店街の未来

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第41話:私の人生は私が決める

 十一月のある午後、二十代の女性が来た。


 細身で、髪を後ろで束ねていた。

 服装は地味だった。

 でも目が、何かを決めてきた目をしていた。


 糸を確認した。


 赤い糸が一本、細いが真っ直ぐだった。


 白い糸が何本か。でも、その中の二本が、妙に絡まっていた。


 絡まり方が、健二さんが最初に来たときの糸と似ていた。


 でも、健二さんのは自分で絡まらせていた。


 この女性のは、外から絡まらせられていた。


「いらっしゃいませ」


 澄江さんが顔を上げた。


「あの」


 女性が言った。


「相談があって。でも、急いでいて」


「どうぞ」


 澄江さんがハーブティーを出した。


 女性が座った。


「私、好きな人がいて。付き合っていて。でも親が反対していて」


 澄江さんが「どんな方ですか、お相手は」と聞いた。


「同い年で、今就職活動中で。親は収入が安定していないから反対していて。でも、私は一緒にいたくて」


「あなた自身は、どう思っているんですか」


 澄江さんが聞いた。


「一緒にいたいです」


 女性がはっきり言った。


「でも、親が」


 女性が続けた。


「私のお金、全部親が管理していて。通帳も印鑑も、全部親が持っていて。アルバイトの給料も、一度親の口座に入れて、月に決まった額だけもらう形で」


 私は女性を見た。


 白い糸の絡まりが、よく見えた。


 外から絡まらせられている。


 この女性は、自分で絡まらせているわけじゃない。


「それは」


 澄江さんが少し声のトーンを変えた。


「いつからそういう形なんですか」


「ずっとです。高校のころから」



 女性が話し始めて、十五分ほど経ったころだった。


 ほころび庵の暖簾が、勢いよく開いた。


 五十代の夫婦だった。


 母親が先に入ってきた。父親が後ろに続いた。


「美羽、やっぱりここにいた」


 母親が言った。


 美羽さんが、固まった。


「お母さん、どうして」


「心配したのよ。急にいなくなるから」


 母親が店の中を見回した。


「ここは何? 占い?」


「お邪魔します」


 父親が一応頭を下げた。でも、目は笑っていなかった。


 私は両親を見た。


 糸を確認した。


 母親の糸が、美羽さんの方向へ伸びていた。白い糸だ。でも、太すぎた。太すぎて、絡みついていた。


 父親の糸も、同じだった。


 二人とも、愛情がないわけじゃない。


 ただ、太すぎる。


「美羽、帰るよ」


 母親が言った。


「お母さん」


 美羽さんが言った。


「話している途中で」


「占いなんかに頼るから、変な考えになるのよ」


 母親が澄江さんを一瞥した。


「すみません、娘が迷惑かけて」


 澄江さんがにこにこしたまま言った。


「迷惑ではないですよ。美羽さんは、ちゃんとした相談をしてくださっていたから」


「相談って」


 母親が言った。


「どうせ、あの男のことでしょう。あの子はダメよ、収入もないし、将来性もないし」


 父親が「そうだ」と言った。


「美羽の将来を考えたら、あんな男と付き合わせるわけにはいかない」


 私は動くことにした。



 母親がバッグを持ち直した。


 そのバッグから、手帳が少し顔を出していた。


 私はカウンターから、音もなくテーブルへ降りた。


 母親が「うわ、猫」と言って、一歩引いた。


 私は母親のバッグに近づいた。


 手帳が、もう少し顔を出していた。


 私は肉球で、手帳をそっと引っ張った。


「ちょっと、何するの」


 母親が手帳を取ろうとした。


 手帳が床に落ちた。


 ページが開いた。


 父親が拾おうとして、目が止まった。


「これ」


 父親が言った。


 母親が「何?」と言った。


 父親が手帳を持ったまま、動かなかった。


「美羽の口座、ここに書いてある」


 父親が言った。


「前から気になっていたんだ。お前、残高を見せたがらなかっただろ」


 母親が「そうよ、管理してるから」と言った。


「残高、これだけしかないのか」


 父親が言った。


 母親が黙った。


「美羽のアルバイト代、毎月いくら渡してるんだ」


「必要な分だけよ」


 母親が言った。


「余計なお金を持たせると、変なことに使うから」


「でも、これは」


 父親が手帳を見た。


「美羽のお金だろう」


 母親が「あなたは黙っていて」と言った。


「黙れない」


 父親が言った。


「これは、おかしい」


 店内が、静かになった。



 美羽さんが立ち上がった。


 母親を見た。父親を見た。


 それから、静かに言った。


「お父さん、お母さん」


 二人が美羽さんを見た。


「私のお金、返してください」


 母親が「美羽」と言った。


「私、ずっとお母さんに褒められたくて従ってた」

 

 美羽さんが言った。


「でも一度も、自分で決めさせてもらえなかった」


 母親が固まった。


「大学も、バイトも、服も、友達も。私の人生なのに。今まで言えなかった」


美羽さんが続けた。


「心配してくれているのはわかってた。でも、私のお金を管理するのは、違うと思う」


「あなたのためを思って」


 母親が言った。


「私のためなら」


 美羽さんが言った。


「私に決めさせてください」


 母親が口を開いた。


「だって失敗したらかわいそうじゃない。私みたいになってほしくなかったの」


 父親が「待て」と言った。


「美羽の言う通りだ」


 父親が言った。


「俺も、お前が機嫌悪くなるから、何も言わなかったがお前が管理しすぎていた」


「あなたまで」


 母親が言った。


「美羽はもう二十四だ」


 父親が言った。


「自分で決める年齢だろう」


 母親が黙った。


 長い沈黙があった。


 私はカウンターに戻って、毛繕いを始めた。


 仕込みは、手帳を落としただけだ。


 あとは、全部、人間がやった。



 しばらして、母親が言った。


「……わかった、通帳は返す」


 声が、少し小さくなっていた。


「でも、あの男のことは」


「それも」


 澄江さんが穏やかに言った。


「美羽さんが決めることじゃないかしら」


 母親が澄江さんを見た。


「霊感もないのに占い師をしているあなたに」


 母親が言った。


「娘のことを、何がわかるんですか」


 澄江さんがにこにこしたまま言った。


「霊感はないですけど」


 澄江さんが言った。


「四十年、人の話を聞いてきたから。それだけはわかります」


「何が」


「美羽さんが、ちゃんと考えているということが」


 澄江さんが言った。


「親御さんを心配させたくないから、今まで言えなかった。でも今日、自分の言葉で言えた。それは、立派なことだと思います」


 母親が黙った。


 父親が「行こう」と母親に言った。


「美羽、また話す」


 父親が言った。


「ちゃんと、話す」


 両親が出て行った。


 暖簾が、静かに揺れた。



 店内が静かになった。


 美羽さんが、ゆっくりと椅子に座り直した。


 しばらく、動かなかった。


 それから、小さく笑った。


「言えた」


 美羽さんが言った。


「初めて、ちゃんと言えた」


 澄江さんが「よかった」と言った。


 美羽さんが私を見た。


「猫ちゃん、手帳落としてくれたでしょう」


 私はそっぽを向いた。


 たまたま、足が当たっただけだ。


「ありがとう」


 美羽さんが言った。


 私は毛繕いを続けた。


 美羽さんの糸を確認した。


 白い糸の絡まりが、少し緩んでいた。


 完全には解けていない。でも、今日、自分の言葉で言えた。


 それで、十分だ。


 そして、赤い糸が、今日は前より輝いていた。


 細いが、真っ直ぐだった。



 美羽さんが帰り際、言った。


「また来てもいいですか」


「いつでも」


 澄江さんが言った。


「今度は、もう少し落ち着いた状況で来ます」


 美羽さんが少し笑った。


 美羽さんが出て行った。


 澄江さんが窓から美羽さんの後ろ姿を見送りながら言った。


「ムギちゃん、今日も手帳を落としたのね」


 私はそっぽを向いた。


「たまたまでしょうけど」


 澄江さんがくすくす笑った。


 たまたまだ。


 いつも、たまたまだ。


「でも」


 澄江さんが続けた。


「美羽さん、自分で言えたわね」


 私は窓の外を見た。


 美羽さんが商店街を歩いていた。


 白い糸の絡まりは、まだある。


 でも、赤い糸が、今日一番きれいだった。


 前を向いていた。


 自分で決める、と言えた人間の糸は、こういう色をする。


 律子さんも、健二さんも、彩音も、美羽さんも。


 みんな、自分で決めた。


 その瞬間の糸が、一番きれいだ。


 私はそれを、何度見ても、飽きなかった。


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