第37話:芹奈さんと友達と祭りの夜
夏祭りの日が来た
去年の祭りの夜、芹奈さんがほころび庵に逃げ込んできた。一人で来られなくて、窓から祭りを眺めていた、あの夜から一年が経った。
木村さんが今年もアーケードに提灯を下げた。磯田さんがイカ焼きを焼いた。各店が軒先に屋台を出した。
去年と同じ景色だった。
でも、違うことがあった。
美咲が今年は店番をしていなかった。
春に赤ちゃんが生まれて、今年の祭りはお休みだった。木村さんが一人で冷やしトマトを売りながら、時々スマートフォンで写真を確認していた。家族の写真だろう、と思った。
そういう夏だった。
芹奈さんが来たのは、祭りが始まる少し前だった。
今年は、浴衣を着ていた。
薄い水色の浴衣だった。去年のグレーのワンピースとは、全然違った。
「澄江さん、こんにちは」
芹奈さんが言った。
「まあ」
澄江さんが顔を上げた。
「浴衣ね、似合ってるわ」
「ありがとうございます」
芹奈さんが少し照れた。
「去年、来年は浴衣で来たいって言ったから」
私は芹奈さんを見た。
糸を確認した。
透明だった糸は、今日は確かな色をしていた。
まだ何色とはうまく言えないけれど、去年の祭りの夜とは全然違った。
「友達が来るんです」
芹奈さんが言った。
「一緒に祭りに来ることになって」
「まあ」
澄江さんが嬉しそうに言った。
「ストーカーの問題が解決した、あの子?」
「はい」
芹奈さんが頷いた。
「先月、一度会って。なんか、二年間のことを色々話して、泣いて、笑って」
「よかったわね」
「はい」
芹奈さんが笑った。
「会う前は怖かったんですけど、会ったら全然普通で。なんか、時間が戻った感じがして」
私は芹奈さんを見た。
白に近い糸が、芹奈さんから伸びていた。
先月より、太くなっていた。
二年間、音信不通だった間も切れていなかった糸が、今は温かく輝いていた。
「どんな子なんですか」澄江さんが聞いた。
「なんか、私と正反対で」
芹奈さんが言った。
「私が内向きなら、あの子は外向き。私が迷うなら、あの子は即決。でも、なんかずっと一緒にいる」
「そういう友達、いいわね」
澄江さんが言った。
「そうなんです。正反対だから、助かることがたくさんあって」
芹奈さんが窓の外を見た。
「今日、商店街に連れてきたくて。私の好きな場所だから」
しばらくして、暖簾が開いた。
三十代くらいの女性だった。
芹奈さんと同じくらいの年齢だろうか。
浴衣ではなく、夏のワンピースを着ていた。
「芹奈、ここだったんだ」
女性が店の中を見回した。
「雰囲気あるね」
「でしょう」
芹奈さんが言った。
「澄江さん、友達の夏月未来です」
「いらっしゃいませ」
澄江さんが言った。
「よく来てくれたわね」
「芹奈からよく話聞いてました」
未来さんが言った。
「ほころび庵って、なんか特別な場所みたいで」
未来さんが私を見た。
「あ、猫いる」
「ムギちゃんよ」
芹奈さんが言った。
「この子も、特別な子だから」
未来さんが私に近づいた。
「触っていいですか」
私はそっぽを向いた。
未来さんが「触らせてくれないか」と笑った。
私は未来さんの糸を確認した。
赤い糸が、複数の方向を向いていた。活発な人間の糸だ。
白い糸も、太くて温かい。
家族や友人との縁が、豊かだ。
芹奈さんとの白に近い糸が、未来さんからも伸びていた。
同じ糸が、二人の間を繋いでいた。
澄江さんがハーブティーを出した。
三人でしばらく話した。
未来さんが「芹奈、この商店街気に入ってるんだね」と言った。
「うん」
芹奈さんが言った。
「最初は知り合いもいなくて、一人で窓から祭りを見てたんだけど」
「今年は浴衣で来たじゃん」
未来さんが笑った。
「それはあなたが来てくれたから」
「私が来たのは、芹奈が呼んだからでしょ」
二人が笑った。
「だって、一人じゃ行きたくなかったし」
芹奈さんが言った。
「またそういうこと言う」
未来さんが笑った。
「芹奈が迷ってるときは、私が決めるの」
「勝手に決めるんだよ」
「だって待ってたら来年になるじゃん」
芹奈さんが吹き出した。
「それは否定できない」
私は、その笑い声を聞いていた。
去年の祭りの夜、芹奈さんは一人だった。
今年は、浴衣を着て、親友を連れてきた。
糸は、こういうふうに増えていく。
一本が二本になって、二本が三本になる。
「行こうか」
未来さんが立ち上がった。
「うん」
芹奈さんが立ち上がった。
芹奈さんが暖簾の前で、私を見た。
「ムギちゃん、去年もいてくれたね」
私はそっぽを向いた。
「ありがとう」
芹奈さんが言った。
二人が出て行った。
澄江さんが「今年も外に席を出しましょうか」と言った。
去年と同じように、軒先にテーブルを出した。
私もついていった。
商店街に、祭りの光が広がっていた。
提灯の橙色、浴衣の色とりどり、イカ焼きの煙、太鼓の音。
去年と同じ光景だった。
でも、去年と違うことがあった。
芹奈さんが、未来さんと並んで歩いていた。
磯田さんがイカ焼きを「お嬢さんたちも食べなさい」と声をかけた。
未来さんが「ありがとうございます」と受け取った。
芹奈さんが嬉しそうに笑った。
しばらくして、美咲と木村さんが通りかかった。美咲が赤ちゃんを抱いていた。春に生まれたばかりの、小さな命だ。
「澄江さん、こんばんは」
美咲が言った。
「まあ」
澄江さんが立ち上がった。
「見せて見せて」
美咲が赤ちゃんを澄江さんに向けた。
澄江さんの顔が、柔らかくなった。
「かわいい」
澄江さんが言った。
「本当に、かわいいわね」
木村さんが照れた顔をした。
私は、その光景を見ていた。
夜が更けてきたころ、芹奈さんと未来さんが戻ってきた。
「楽しかった」
芹奈さんが言った。
「来てよかった」
「来年も来ようよ」
未来さんが言った。
「今度は浴衣で来る」
「来年は揃えて来ましょう」
芹奈さんが笑った。
来年、という言葉が、去年の芹奈さんと重なった。
去年の祭りの夜、芹奈さんが「来年は浴衣で来たいな」と言った。
今年、浴衣で来た。
そして今日、また来年の約束をした。
糸は、こうして太くなっていく。
芹奈さんの糸を確認した。
今夜一番の色をしていた。
何色かは、まだうまく言えなかった。
でも、温かかった。
孤独の色ではなかった。
それだけは、確かだった。
未来さんが帰り際、私を見た。
「猫ちゃん、また来てもいいですか」
私はそっぽを向いた。
未来さんが笑った。
「来ます」
夜、澄江さんが提灯を片付けながら言った。
「去年の祭りと、全然違うわね」
私は夜の商店街を見た。
「芹奈ちゃん、去年は一人だったのに」
澄江さんが続けた。
「今年は友達と来て、来年の約束もして」
私は澄江さんを見た。
「こういうのを見るのが、好きなのよ」
澄江さんが言った。
「この仕事をしていて、一番好きなことかもしれない」
私はそっぽを向いた。
私も、嫌いじゃない。
糸が増えていくのを見るのは、嫌いじゃない。
夏の夜が、静かに更けていった。




