表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ほころび庵のムギ〜縁の糸が見える猫〜  作者: ゆもニャ
第三章 それぞれの答え

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
30/51

第29話:私はどうしたいか

 九月に入って、商店街に秋の風が吹き始めた。


 夏の間、木村さんが並べていた冷やしトマトが店先から消えて、代わりに梨と栗が並んだ。美咲が手伝いながら、腹のあたりをそっと押さえるのを、私は窓から見ていた。


 新しい命の光は、先月より少し大きくなっていた。


 彩音が来たのは、そういう九月の午前だった。


 今日の彩音は、少し緊張していた。


 でも、前回とは違う緊張だった。


 前回は、何かを抱えてきた緊張だった。


 今日は、何かを決めてきた緊張だ。


 糸を確認した。


 銀色の記憶の糸は、落ち着いていた。


 細い赤い糸は、前回より太くなっていた。前を向いていた。


「澄江さん、こんにちは」


 彩音が座った。


「いらっしゃい」


 澄江さんがハーブティーを出した。


「今日は、顔が違うわね」


「そうですか」


 彩音が少し笑った。


「自分ではわからないけど」



「前回、気になる人がいると言いましたよね」


 澄江さんが言った。


「はい」


 彩音が頷いた。


「進展があって。先週、食事に行って」


「まあ」


 澄江さんが嬉しそうに言った。


「それで、帰り道に思ったんです」


 彩音が続けた。


「朱音ならこの状況で、何て言ったんだろうって」


 私は彩音を見た。


「澄江さんは、朱音がどんな人だったか、少し知っていますよね。手帳を読んで」


「ええ、少しだけ」


「朱音なら、この状況で、私に何て言ったと思いますか」


 澄江さんが少し考えた。


「直接は知らないけれど」


 澄江さんが言った。


「手帳を読んで感じたのは、朱音さんは相手の糸を確認してから話す人だったみたいで」


「そうなんです」


 彩音が笑った。


「絶対そう言う。その人の糸の色は?って」


「それで、どんな色だったんですか」


 澄江さんが聞いた。


「私には見えないんですけど」


 彩音が言った。


「でも、なんか、一緒にいると楽で。変な緊張をしなくていい感じで」


 澄江さんが「それは、いい糸の色ね」と言った。


 彩音が「そうですかね」と笑った。


「で、朱音なら絶対、その後こう言ってくる」


 彩音が少し声を作った。


「彩音、あなたはどうしたいの?って」


 店内が、少し静かになった。


「いつもそうだったんです。糸の話をした後で、必ず、あなたはどうしたいの?って聞いてくる。お節介なくせに、最後は自分で決めさせる人で」



「彩音さんは、どうしたいんですか」


 澄江さんが静かに聞いた。


 彩音が少し間を置いた。


「前までだったら、この質問が怖かった」


 彩音が言った。


「どうしたいか、って聞かれると、朱音だったらどうするかを考えてしまって。自分の答えが出てこなくて」


「今は?」


「今は」


 彩音が窓の外を見た。


「少し、わかる気がして」


 彩音が私を見た。


「もう少し、この人のことを知りたい。それだけです。朱音が何て言うかより、私がそう思っている」


 澄江さんが「それでいいじゃないですか」と言った。


「そうですかね」


「ええ」


 澄江さんが穏やかに言った。


「朱音さんが聞きたかったのも、たぶん、そういう答えだったんじゃないかしら」


 彩音が、少し目を細めた。


「そうかもしれない」



 しばらく話して、彩音が私を見た。


「ムギちゃん」


 私はカウンターから降りて、彩音の前まで歩いた。


「聞いてもいいですか」


 彩音が言った。


 私は彩音を見た。


「朱音は、幸せだったと思いますか」


 店内が静かになった。


 私は、彩音をまっすぐ見た。


 幸せだったか。


 二十八年、短すぎた。やり残したことは、山ほどあった。届けられなかった言葉も、会えなかった人も、たくさんいた。


 でも。


 好きなことをして生きていた。

 放っておけない人たちのために、走り回っていた。それは、本当のことだ。


 私は前足で彩音の手の甲を軽く叩いた。


 彩音が、少し息を飲んだ。


「そっか」


 彩音が言った。


「よかった」


 彩音の目から、涙が一粒落ちた。


「幸せだったなら、よかった」


 私はそっぽを向いた。


 答えを教えたからじゃない。


 彩音が、そう信じていてほしかったから。


 それだけだ。



 彩音が帰り際、暖簾の前で立ち止まった。


「澄江さん」


「なに?」


「次に来るとき、報告があると思います」

  

 彩音が少し照れた。


「良い報告か、そうじゃないかは、まだわからないけど」


「いつでも待ってるわ」


 澄江さんが言った。


 彩音が私を見た。


「ムギちゃんも、いてね」


 私はそっぽを向いた。


 いる。毎日いる。


 彩音が笑って、出て行った。


 私は窓から彩音の後ろ姿を見送った。


 彩音の背中に、二本の糸があった。


 銀色の記憶の糸は、今日も消えていなかった。


 細い赤い糸は、今日は前を向いていた。まっすぐ、迷いなく。


 朱音を探していた彩音が、今日、自分の答えを出した。


 朱音ならどうするか、ではなく。


 私はどうしたいか。


 その問いに、自分で答えた。


 それだけで、十分だった。


 九月の風が、商店街を静かに通り抜けていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ