第十章: 誰も覚えていない弔問者.
老人は、無言で弔問の家に入ってきた。
彼は、入り口で擦り切れた草履を脱ごうとはしなかった。誰かが無言で彼の前に室内用の草履を差し出すまで。彼は、それに足を入れ、一瞥もくれなかった。
彼は、悲しむ両親に挨拶しなかった。
家族の祭壇の前でお辞儀をしなかった。
線香を供えなかった。
慣習的な弔辞の言葉をささやかなかった。
彼は、ただ、弔問者の群れを通り過ぎ、母親に寄り添って眠る子供たちを通り過ぎ、線香の香りの下でひそひそ声で話す隣人たちを通り過ぎた。
彼は、奥の壁の近くの空いている場所を見つけた。
座った。
誰も、驚いたようではなかった。
部屋は、ろうそくの柔らかなパチパチという音で満たされていた。
部屋の正面には、家族の祭壇が立っていた。ユキの写真立てが、白い菊の花の隣に置かれている。線香の煙が、細い流れとなって立ち上る。弔問者たちが、静かに次々と近づき、一摘みの線香を香炉に入れ、黙って祈りを捧げる。
老人は、決して動かなかった。
彼は、決して祭壇に近づかなかった。
彼は、決して線香を供えなかった。
しかし、誰も気づいていないようだった。
私は、部屋の向こう側から、彼を見ていた。
彼の服は、繕われ、色あせ、何年もの旅で染みついていた。
その顔には、私が今まで見たどの人よりも、はるかに古いしわが刻まれていた。
彼の手は、静かに膝の上に置かれていた。
彼は、瞬きもせずに、前を凝視していた。
誰も、彼を見なかった。
キリが、より近づいた。
**「あの人は、誰?」**
私は、彼女の方を見た。
**「わからない」** 私は言った。
**「知ってる人だと思ったけど」** 彼女は答えた。
**「彼を見るのは、初めてだ」** 私は答えた。
彼女は、うなずいた。しかし、その目は、老人に固定されたままだった。
**「一度も、見たことがないの?」**
**「ない」**
キリは、ゆっくりと首を振った。
私は、答えたいと思った。
その代わりに、私は、再び老人を見ている自分に気づいた。
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悲しむ家族は、静かに客たちの間を動き回っていた。
腫れた目と疲れきった顔にもかかわらず、彼らは、一晩中通夜に来た全ての人に、茶碗の飯、漬物、煮物、茶、そして小さな杯の酒を供え続けた。
彼らが、老人のところに来た時、止まった。
ユキの母が、ひざまずいた。
震える手で、彼女は、彼の前に新しい茶碗の飯を置いた。
彼女の夫は、注意深く、その隣に小さな酒の杯を置いた。
どちらも、話さなかった。
彼らは、ただ丁寧にお辞儀をし、次の客へと移動した。
老人は、彼らに感謝しなかった。
うなずきもしなかった。
食べ物に、触れなかった。
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何時間もが、過ぎた。
弔問者たちは、静かにユキの思い出を語り合った。
子供たちは、やがて、親に寄り添って眠りに落ちた。
隣人たちは、祈りをささやいた。
他の者たちは、交代で祭壇に近づき、新しい線香を供え、絶えず燃え続けるようにした。
老人は、決して動かなかった。
彼の茶碗の飯は、手つかずのままだった。
彼の酒も、手つかずのままだった。
誰も、それを疑問に思わなかった。
皆、まるでこれが全く普通のことであるかのように振る舞った。
私だけが、それを不気味に感じた。
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キリは、静かに都会での話を私に語った。
普段なら、私は聞いていただろう。
今夜は、彼女の声は、遠くに聞こえた。
時折、私の目は、老人の方へと漂った。
その度に、私はすぐに視線をそらした。
最初は、ろうそくの光のせいだと思った。
彼の目の下の皮膚が、波打っているように見えた。
大げさではない。
ただ、瞬きをする程度に。
もう一度見ると、それは、動かなかった。
それから、再び起こった。
何かが、彼の皮膚の下から、優しく押し出された。
痙攣ではない。
筋肉ではない。
何か……
**外側に押し出されている。**
小さな指先。
子供のものよりも、大きくはない。
まるで、紙のように薄い皮膚の下に閉じ込められた誰かが、そっと手を当てたかのように。
瞬きした。
残ったのは、ただのしわだけ。
自分の手を見下ろした。
それから、再び見た……
彼の頬の下の皮膚が、ゆっくりと膨らんだ。
丸みを帯びた額。
そして、小さな鼻。
閉じた唇。
一つの、不可能な心臓の鼓動の間……
まるで、子供の顔が、彼の内側から現れ出ようとしているように見えた。
叫んでいるのではない。
格闘しているのでもない。
ただ……**肉と空気の境界に、押し付けられている。**
その顔の何かが、記憶を引っ張った。
目の形。
頬の曲線。
それは、誰かを思い出させた……
誰だったかを思い出す前に、その顔は、老人の皮膚の下に溶けて消えた。
彼の首の下に、もう一つの手が見えたように思った。
より小さい。
動いている。
ゆっくりと。
まるで、動かない水の下で、何かが動いているかのように。
私は、無理やり見続けた。
長く見れば見るほど……
自分が見ているものを理解することが、より困難になった。
老人の顔は、完全に穏やかなままだった。
しかし……
その皮膚の下の形は、私の目が焦点を合わせようとするたびに、変わっているように見えた。
別の手が、彼のこめかみに押し付けられた。
それに焦点を合わせる前に、皮膚は滑らかになった。
それから、何かが、彼の顎の下で動いた。
小さな肘。
肩。
また、消えた。
腹の奥が、締め付けられた。
部屋が、突然、より冷たく感じられた。
私は、視線をそらした。
心臓が、胸の中で激しく打っていた。
両手を膝に押し付け、震えを止めようとした。
それは、疲れのせいだに違いない。
ここ数日。
葬儀。
睡眠不足。
それに違いない。
キリには、何も言わなかった。
もう一度、彼を見ることができなかった。
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通夜は、続いた。
線香の香りが、部屋に重く漂っていた。
ろうそくは、より低く燃えた。
隣人たちは、より静かに話した。
誰かが、あくびをした。
別の者が、疲れた笑顔で応えた。
子供が、母親の肩に寄り添って丸まった。母親も、数息後に続いた。
会話は、囁きになった。
囁きは、沈黙になった。
ろうそくは、燃え続けた。
目が、重くなった。開け続けようとした。
ろうそくの光が、縁でぼやけた。
老人の顔が、変化し、波打ち、呼吸しているように見えた。
その時、闇が来た。
自分が倒れたとは、感じなかった。
私は、ただ、消えた。
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朝の日差しが、紙障子を通して柔らかく差し込んだ。
目を開けた。
体中の筋肉が、重く感じられた。
キリは、私を凝視していた。その手は、袖の中に隠して。
**「何か、忘れたような気がする」**
私は、彼女を見た。
**「どういう意味?」**
**「わからない」**
彼女は、眉をひそめた。
**「何か、大事なことのような気がする」**
私は、自分の思考を探った。
一瞬……
同じことを感じた。
それから、それは、消え去った。
肩をすくめた。
**「おそらく、ただの睡眠不足だろう」**
**「……かもね」**
私の周りで、皆が、ゆっくりと目を覚まし始めた。
人々は、目をこすった。
数人が、困惑して見回した。
*「いつ寝たか、覚えてない……」*
*「……俺もだ……」*
ユキの父は、眉をひそめた。
**「昨夜、誰が起きていた?」**
沈黙。
皆が、互いを見つめた。
誰も、答えなかった。
悲しむ両親でさえも。
誰も、覚えていなかった。
彼らは、単に疲れが彼らを襲ったのだと、思い込んだだけだった。
隣人たちは、静かに部屋の掃除を始めた。
新しい茶が、用意された。
空の茶碗が、集められた。
キリが、突然、止まった。
彼女は、奥の壁の方を見つめていた。
手つかずの茶碗の飯が、畳の上に置かれていた。
その隣には、小さな酒の杯。
彼女は、眉をひそめた。
**「あそこに、誰か座ってなかった?」**
誰も、答えなかった。
数人が、奥の壁の方を見た。
何も、そこにはなかった。
しかし、誰も、すぐには視線をそらさなかった。
その時、彼女は何かを見つけ、その目が見開かれた。
**そこに。**
手つかずの茶碗の隣に、きれいに積まれた**灰**の山が、置かれていた。
散らばっていない。
風で吹かれたものでもない。
**意図的に置かれている。**
近くに香炉はなく。
残った線香もない。
ただの灰。
まるで、誰かが家族の供え物を受け取り……
一晩中、留まり……
そして、夜明けと共に、静かに消えたかのように。
この謎の老人は、一体何者なのか...
この村に何が起きているのか。
なぜ、誰も彼を覚えていないのか。
なぜ、彼は黙って座り、何も語らなかったのか。
なぜ、朝になると、彼は灰だけを残して消えたのか。
ユキの死は、本当にただの病死だったのか。
それとも...
ひなたは、あの山の上で、本当は何を見ていたのか。
何を知っていたのか。
何を――忘れようとしているのか。
疑問は、積み重なる。
答えは、まだ遠い。
夜は、まだ続く。
すべてが明かされるまで...
続きは、来週も同じ時間に、同じ場所で。




