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(十六)

「パパあっちにいるよー。」

 おなかの上に座るご機嫌の次男を見上げて、顕也が浜辺の草原に寝転がっていると、向こうで元気いっぱいの長男の声がした。沙菜の声が続く。

「呼んできてー。全員(そろ)ったからもう一回みんなで乾杯だよー、って。」

 三月下旬にもなれば、与論は、夜でも半(そで)で出歩けるくらいの陽気が何かと会合好きの島人を屋外の酒盛りに誘う。この日は保育園の卒園式を終えたばかりで四月から小学校に上がる長男の同級生の家族が集まるバーベキューに参加するために、夕方からちゃばなの海岸に来ていた。島の酒盛りに集合時間などない。来られる者から適当に来て誰からともなく酒をみ交わし始めるのがならわしである。大まかに食べ物の担当になった村沢家は、六人で少し遅めに家を出てスーパーでゆっくり買い物を済ませて現場に到着したが、案の定、ざっくり飲み物の担当になった一家族だけが待ちかまえていて、さっそくバーベキューでも何でもない二家族での酒盛りが始まった。普段ほとんど飲まない顕也は、他のメンバーがちらほら登場してようやくコンロに着火された頃には、有泉ゆうせんとかいういつもの焼酎二杯ですっかり酔いが回ってしまっていた。これでは最後まで持たないと、子守りをするフリをしつつ輪を抜け、次男を連れて少し離れた草原で酔いを覚ましていたのである。火元の方から子どもたちのはしゃぎ声がする。

「パパ怪獣はどこだー、パパ怪獣をさがせー!」

「パパかいじゅー、出てきなさーい! やっつけちゃうよー。」

「パーパやーい!」

 長男は戦隊ヒーロー適齢期の只中ただなかだ。最近の戦隊ヒーローシリーズへの女性進出は目覚ましく、長女もすっかり調子を合わせている。どうやらやっつけに来るらしい。

「あたまが見えるぞー、パパ怪獣はあそこだー!」

「ほんとだ。でもリーダー、あのあたま、パパかいじゅうじゃないよ。」

「あれはひとじちだ、ひとじち。ひとじちを助けるんだ。よーし行くぞー!」

「パーパーどこー?」

 大人の事情を含む人質という言葉を使いたくて仕方がないのであろう。すっかり日が暮れていたが、市街地に近いちゃばな海岸は真っ暗闇ではない。大人のひざ下くらいまでい茂る草原に寝そべる自分の姿は見えなくても、どうやらおなかの上に座らせていた次男の頭が見つかってしまったらしい。子どもたちの気配が近付いてくる。

「よーし、ひっさーつ、グレートサンダースパークハリケーンアターック!」

 必殺技の名前を叫ぶ長男の声が近い。技の名を唱えているうちに攻撃を受けてしまいそうな必殺技ではあるが、あいにく先にアルコールアタックを喰らっている怪獣にはそれでも防戦しかない。このまま飛び乗られたりしたらダメージは大きいので、次男を抱えたまま上半身だけひょいと起こすと、にんまり笑う小さな戦隊長がすぐ横に立っていた。

「出たなパパ怪獣! えーい!」

 勇敢な戦隊長に人質を放せなどというなまぬるい交渉はない。人質の身の確保は怪獣任せにしていきなり首元に飛び付いてきたが、まあ何ということはない。必殺とは名ばかり、やや乱暴なただのハグである。とりあえず、うわーっとやられたフリをしてまたそのまま寝そべる。すると、首に長男がまとわり付いたまま胸の手前に座る次男を両手で支えるのに気を取られて、不覚にも腹部が無防備になっていた。そこに容赦ようしゃなく攻撃を加えたのは、後からやって来た伏兵たちだった。長女と次女が立て続けにドスンと腹部に馬乗りになる。

「えーいっ!」

「えいっ!」

 不意を突かれた怪獣が思わず声を上げる。

「ぐうぇっ!」

 馬乗り攻撃がいかにも有効そうな怪獣のうめき声を聞いて、戦隊長もすぐに伏兵たちに加わる。手前から次男、長男、次女、長女の四人が怪獣の胴体の上で馬乗りのまま、後ろ三人が繰り返し飛び跳ねる。怪獣にとってはいくら小さな戦隊員たちでもバラバラのタイミングで次々に落ちて来る三人のお尻を楽々受け止める余裕はないが、次男にとっては遊園地のようなものだ。アトラクションが揺れるたびにキャッキャと声を出して大喜びしている。その次男の肩越しにされた怪獣の顔をのぞき込んでいた戦隊長が、一旦いったん攻撃を中断して言う。

「まいったか! まいったらこんなとこにねてないで、向こうに来なさーい。」

 普段気になることには驚異的な集中力をみせる一方で何かと雰囲気を読まない長男にしては、ふざけ合う中でもちゃんと母親からの用件を伝えていることに感心する。さすがもうすぐ小学校に上がるお兄さんだと、本当はめてやりたい。しかし、そう簡単に引き下がる怪獣ではなかった。正義を貫き平和を守る戦いは、常に困難を伴うのである。第一、火元は大いに盛り上がっていた。保育園の行事に熱心に参加してきたわけでもない自分一人の登場が、会の盛り上がりに関係するとはとても思えない。沙菜以外の誰も自分がいないことに気付いていない自信すらある。それに、顕也は、何だかこの場所をとても気に入っていた。珍しく風が穏やかな日だったからかもしれない。暑くも寒くもない柔らかな海風の湿り気、その風が砂浜に運んで来る優しく静かな波の周期、かすかな月明かりと満天の星明かりが照らす海の群青ぐんじょう、水平線から斜めに立ち上がって頭上を越えてゆく天の川のあわいもやもや、そして時々火元から聞こえるにぎやかな笑い声。すべてが心地良い。今すぐバーベキューなんかに戻れるはずがない。

「やーだーよぉーん。」

 ふざけた言い方でも、それは本心だった。こんな素敵な場所はなかなかない。怪獣の思わぬ抵抗に、戦隊員三人の動きがピタリと止まる。唖然あぜんとする長男が、じっと見下ろして聞いてきた。

「なんでー?」

「なんでも。」

「みんなそろったって言ってたよー。」

「すぐ行ったほうがいい?」

「うーん・・・」

 長男が何と答えようか考えている時、タイミング良く、また火元からの盛大な笑い声が一帯に響き渡った。同じ保育園に通う子供たちのはしゃぎ声もいっしょだ。長女の仲良しの子も来ている。

「盛り上がってる時に邪魔しても申し訳ないから、もうちょっとしたら行くね。先に戻ってみんなと遊んでおいで。」

「ほんと? 行かなくていいの?」

「いいよ。」

「だったら、もう知ーらない。」

 そう言って長男はうれしそうにニカッと笑った。

「じゃあ、これだぁー!」

 戦隊長の掛け声と同時に、再び三人の攻撃が始まる。今度は三人でわきばら一斉いっせいくすぐってきた。これにはたまらず悶絶する。

「ウヒャヒャヒャヒャヒャヒャー。」

 体をよじって手から逃げるとそこに次の手が待ち受けているという逃げ場のないコチョコチョ地獄である。次男は片手で支えてもう片方の手で防御するが全然役に立たない。何しろただでさえ執拗しつような手が六本もある。もはやギャングだ。ヒーローどころではない。息ができない。

「イーッヒッヒッヒッヒッヒッヒー、ウィーッイッヒョッハッハッーヒィー・・・」

 怪獣はとどめを刺された。無駄な抵抗はせず、振りしぼるようなうめき声すら途絶えて大の字に横たわっている。気が付くと、次男を支えていたはずの手は何もつかんでいない。そんな息も絶え絶えの怪獣を救ったのは、意外にもその次男であった。

「あーっ!」

 長男が何かに驚いて声を上げると、ギャングたちの動きがピタリと止まった。明らかに三人の興味は瀕死ひんしの怪獣から違うものに移っている。

「立ってる! パパー、こいつ立ったよー。ほらっ!」

 長男がそう叫んで素早く立ち上がって進み出た先を、顕也は大の字のままひょいと首だけ起こして目で追った。薄暗い星明かりの下、ギャングたちの攻撃による涙で視界がぼやけていても、その姿がはっきり見えた。次男が初めて立ち上がっていたのだ。つかまり立ちの兆候すらなくいきなり立ち上がった次男の姿に、妹二人の同じような姿を目撃してきた長男でも、さすがに驚いたのであろう。

 次男は、両手を上げて星をつかもうとしていた。砂の地面は赤ん坊が初めて立ち上がるにはあまりにも不安定である。さすがに踏み出すことはできずに、足を上げようとするたびにヨロヨロしている。次男は、バランスを取るために中腰のような姿勢で両手を高く上げて、不思議そうな表情をそらに向けて立っていたのである。それはまるで、つぶりの星たちをみ取らんばかりの光景だった。

 おなかの上に座ったままの姉二人も、その姿に釘付くぎづけだった。長男がすぐにその手を取って歩こうとするのを介助する。おそらく今まで、とくにいっしょに遊ぶとなると妹二人では何かとやりにくいと感じていたのであろう。自分よりも弁の立つ妹では、戦隊ヒーローごっこなど思うようにいかない場面が何度もあったに違いない。口にしたことはなかったが、早くいっしょに言い合ったり駆け回ったりできる素直で可愛い直属の子分が欲しい長男には、待ちに待った瞬間だったのかもしれない。

 長男の行動は早かった。いきなり歩く練習である。なぜか次男も満更まんざらではない。兄に体重を預けてヨタヨタと父親の顔の横までやって来た次男は、そこでもう一度手を放してもらって自分の力だけで立ってみたが、たった今生まれて初めて立ち上がった者がそう長く立っていられるはずがない。しっとりした小さな二つの手が、顕也の視界を突然(さえぎ)る。父親の顔面がつかまり立ちの支えになったらしい。その手が規則的に揺れるのを感じると同時に、三人がケラケラ笑っている。次男のことだから、父の顔につかまり立ちの姿勢でお尻でも振って愛嬌を振りいているのであろう。それは確かに可笑おかしいが、長くは続かない。ぐらりとよろけて首元に倒れ込んできた次男をつかんで再び胸の上に座らせた時、火元の方から長男を呼ぶ男の子の声がした。

「おーい! たっくぅーん!」

 よく家に遊びに来る仲良しの同級生である。長男が負けじと大声で返事を返す。

「なあにぃー。いま行くー。」

 そう言い終わらないうちに、長男は疾風はやてのように駆け出して向こうに行ってしまった。次女と長女もその場に立ち上がるが、もちろん追い付けるはずもない。完全に置いてけぼりである。胸の上に座る弟の向こうでこちらを見下ろす次女の後ろに隠れて姿の見えない長女が、ぽつりと言った。

「パパー、ゆっくりしてっていいよ。」

 長女なりのづかいなのであろう。口調が沙菜にそっくりだ。ただ、その言葉は少し遠くから聞こえてきたような気がした。少なくともこちらを向いて言った感じではない。さっき初めて立ち上がった次男に影響されて、長女は夜空を見上げていたのかもしれない。

「パパ、星、すきだもんね。」

「星?」

 なぜそう思うのだろうか? 確かに東京のど真ん中で長く暮らした自分と沙菜にとって与論の星空は格別であるが、子どもたちの前で星について語ったことは一度もない。せいぜい夜いっしょに出歩いた時に、星がきれいだね、などという会話を交わすくらいだ。

「なんでパパが星が好きだって思うの?」

「・・・わかんない。でもそうやってたら、星、たくさんみえるよ。」

「そりゃそうだ。星しか見えない。」

「星、きれいだね。」

「うん。きれいだ、ほんとに。」

「じゃあね。あっちに行くね。」

「うん。」

 そう返事をした時に、にんまり笑った長女の顔が、寝そべったままの顕也から見えるはずもなかった。

「ぐうぇっ!」

 善良な島民はギャングから最後の一撃を食らった。小さなギャングはすきだらけの腹部に思い切り馬乗りに飛び乗ったのだ。星の話題で油断させておく手口はまさにギャング、その用意周到さが功を奏して、いくら小さくてもさすがにこれはいた。さらに、悶絶の後バタリと動かなくなった善良な島民を最前列の高みで見物する次男はキャッキャと声を出して大興奮、早くもギャングの仲間入りと言った有様ありさまだ。死んだふりをする顕也を、長女が見下ろして言う。

「あーあ、パパ、死んじゃった。」

「しんじゃったねー。」

「ウキャーウキャー。」

 何やら三人ともずいぶん楽しんでいる。酔っぱらい相手とはいえ、少し調子に乗せ過ぎたようだ。始末したはずの善良な島民がガバッと起き上がる。

「こらぁーっ!」

「きゃー、にげろー!」

「にげろー!」

 二人が一目散いちもくさんに駆け出す。転んで逃げ遅れても必死に立ち上がって真剣に姉の背中を追う次女の姿が微笑ほほえましい。そんな次女もつい最近生まれたように感じるのに、気が付けばもうこんなふうに走り回っている。この調子だと、ギャングたちの襲撃を受けなくなる日もあっという間にやってくるのだろう。その時はちょっと寂しく感じるのだろうか? それ以上に彼らの成長が楽しくてうれしくて誇らし過ぎて、寂しく感じる余裕などないのだろうか? よくわからないが、この先は皆がその時々を精一杯楽しむことが何よりなのだろう。シンプルにそれ以上考えずに、気が付けば皆立派にひとり立ちしていたというくらいの未来が相応ふさわしいと思わせる暮らしが、この島にはある。そういう意味で、こんなふうに立ち止まることは本意ではない。今はギャングたちの襲撃にありがたく応戦するのみだ。ほんのわずかな時間にふとそんなことを考えているうちに、草原の中に見え隠れしていた火元に向かって走る二つの頭は、もう見えなくなっていた。

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