(十七)
こうして顕也は新入りのギャングと二人、浜辺の草原に取り残され、辺りは静寂を取り戻した。かといって、都会から遠く離島の浜辺できらめく星空の下には波の音しか聞こえない、などということはもちろんない。あくまでも、強者のギャングたちが去ったことによる相対的な静寂である。
会は一層盛り上がっていた。どこかの兄弟喧嘩であろう。耳を劈くような男の子の泣き声が始まると、続いてその泣き声よりも大きな母親の怒鳴り声が完全に波の音を掻き消していた。たぶん手を出した兄が叱られたのであろう。二人して泣く兄弟を、今度は酔っ払って上機嫌のお父さんたちが代わる代わるなだめているが、泣き声を聞く限りではどうやら火に油を注いでいる。他のママたちは小学校の先生の噂話で大盛り上がりしているらしい。心配しなくても、その声は間違いなく小学校まで届いている。もはやバーベキューでも何でもないどころか、一体何の酒盛りなのかもよくわからない集まりになってしまっている様子は、その場にいなくてもまざまざと目に浮かぶ。子供たちがいっしょということもあって、踊っている参加者がいないだけ、まだ少しは節度が保たれていることはどうやら確かだ。
どこかのお父さんの叫び声がする。たぶん沙菜が絡まれている。それもいつものことだ。
「ちゅらめーらびと酒飲まびらぁー!」
たぶん、きれいなお嬢さんと酒を飲むぞ、みたいな感じの古めかしい現地語である。当たり前と言えば当たり前なのだが、島民にあるまじきどこかちょっと洗練された空気を身に纏いつつも酔っ払いを適当にあしらうことに頗る慣れた沙菜は、こんな酒盛りでも度々指名をもらう。それにも増してママ友連中からいつも引っ張りだこの沙菜は、こんな時には決まって彼女たちが味方に付いてくれた。さっそく、奥さんが調子に乗り過ぎたご主人を恐ろしげな声で恫喝する。
「ぬう言ちょーが? 調子ぬるなー!」
「ワハハハハハハ。」
皆の笑い声がする。
「そう言えば、センセーはどこ行った?」
「確かにおらんねー。」
「センセー!」
「ケンちゃーん! ケンちゃんセンセー!」
ようやく自分がいないことに気付いてくれたらしい。まったく気付いてもらえなくてもそれはそれで寂しいので、存在だけはアピールしておく。
「ここにいますよー! いま行きまーす!」
顕也は、座ったまま火元に向かって大声で返事をした。その声に、膝の上に座る次男が驚いてビクッと動いて、火元の方をポカンと眺める。こいつもそろそろ沙菜のところに戻りたいのだろう。
「いたいたー。」
「せんせー、こっち来ればー?」
「今来たら、まーさるイラブーあさぁー。」
「大丈夫。イラブー誰も食わらん。」
「ワハハハハハハ。」
「そう言えば、イラブーは・・・」
まったく平和な酔っ払いの会話だった。話題が自分の居場所から一瞬でウミヘビに置き換わる。結局、自分が酒盛りの席に付くかどうかはそれほど重要ではないのだ。優しい参加者の一人が、波打ち際に近付いてウミヘビにでも咬まれたりしていないか安否確認をしてくれただけのことである。現実にはそれもあまり心配ない。危険だとは聞いているが、今のところ勤務中にウミヘビ咬傷に遭遇したことがないし、抗毒素血清があるかどうかすら、専門領域であるはずの自分も実は知らない。それよりウミヘビはどんな味なのだろうか? さっそく食べに行くとしよう。そう思って立ち上がろうとした時、片膝を立てたままでふと空を見上げる。さっき寝転がってぼんやり見ていた夜空がどこか気になったのだ。
(誰かが空から見ている?)
そんなことがあるはずないのであるが、気になった辺りの星空をよく見る。すると、天の川のガスと周辺の星々が微妙に人の横顔の形をしている。少し斜め後ろから見た女性の横顔だ。
顕也はプッと吹き出した。いくらなんでも星空に誰かの顔が浮かび上がるなんて、昭和のアニメの最終回じゃあるまいし、ちょっと勘弁してほしい。さては、ギャングたちの襲撃で脳血流が一過性に低下した影響だろうか? こういうのはパレイドリア現象と言う。クイズ問題でもお馴染みの、木目や雲などが意味のある形に見える心理現象だ。学生時代に精神科の授業で習ったロールシャッハ・テストはこの現象を利用している。
恐る恐る、もう一度宙を見て、顕也はハッと息を呑んだ。斜め後ろから見た女は鏡を覗いていたのだ。鏡の中の女は、ちょうど化粧をしながら口元に笑みを浮かべている。鏡の中の女と目が合う。それは、確かに美希だった。鏡の中の美希が自分を見ていた。気の利いた台詞を咄嗟に上手く言えない自分をからかうように笑っている。確かに一瞬そう見えた。それはほんの一瞬だった。よくよく見れば斜め後ろから見た女だけが辛うじて人に見えるだけだった。鏡の所にはやや明るい星が数個、かなり暗い星を合わせても十個ほどの星がランダムに配置されるだけで、まず人の顔には見えない。
人の情念は実に複雑だ。天の川のガスならともかく、ランダムに散らばる星々に意味のある形を見出すことはどう考えてもかなり困難である。星座の起源が大昔の誰かが体験したパレイドリア現象だとしても、とてもその場で周囲の賛同が得られたとは思えない。現代医学ならあっさり精神科クリニックへの紹介状を頂ける大した病状だ。それが、時と場合によっては、現代人の自分でも、感情の隙を突いて夜空に人の顔を思い描くような境地になり得るということらしい。
やがてギャングたちの襲撃がなくなる日の空想と言い、束の間に夜空が映して見せた美希の幻影と言い、今日は随分立ち止まってしまう日のようである。これはいけない。いつしか心のどこかに美希の信条を譲り受けたと決め込んだ顕也は、立ち止まらずに駆け抜けることこそが今も生かされ続ける自分の勤めだと信じるようになっていた。それはかつて崩れ行く我が身に抗うことなく静かに時間稼ぎをしていた沙菜にも共通する、夜の世界のある種の流儀だったかもしれない。立ち止まることは、今自分に半分を預けてくれている沙菜にはもちろん、かつて自分に半分を預けてくれようとしたがために不幸にも全てを失った美希に対しても、義理を欠く愚考でしかない。
美希を映し出したこの宇宙の遥か手前で、父が立てたままの片膝を支えに次男が再びつかまり立ちをしている。沙菜と兄姉たちのところに早く戻ろうと、父を立ち上がらせようとしているのだろうか? こちらを向いて得意気に笑うその口元は、まだ口唇形成術後ニカ月半である。白唇のようにアフターケアのテープを貼ることのできない赤唇が、星明かりの下でも少し非対称なのがわかる。今もこれくらいの非対称が残っていれば、この先しばらく非対称のままである可能性が高いがそれでよい。間違いなくこれが最善の結果である。少なくとも本人がこの結果について親に不満を訴えることは決してないことを、術者は皆知っている。だからこそ徹底的に先々まで考え抜いて術者自身が最善と思える結果を追求する結果だと言える。
この口唇裂以外に、次男が何を生まれ持つのか、今は知りようがない。父親の自分を含めて、この先家族や友人たちにもたらす何かがあるのかないのか、それこそよくわからない。沙菜の言うとおり、口唇裂など意に介さず普通に生きて行ければ何よりという願いがある一方で、生まれながらに持つ何かへの期待も大いにある。もはやその感情に口唇裂など関係ない。恥ずかしながら、ただの親馬鹿である。
止しておこうと思う程に取り留めもなく巡る思いの中で、今、一つの謎が解けた。なぜ美希がとびきりの美人だったのか? なぜ彩乃が不思議な力を発揮したのか? それはたぶん簡単なことだ。美希がとびきりの美人だったのは、美希が彩乃の母だったからである。そして、彩乃が不思議な力を発揮していたのは、彩乃が美希の娘だったからである。どうやらたったそれだけのことだった。なぜこんな単純な真実に早く気付けなかったのか。よく考えれば当然のような気もする。夜空で鏡の中の美希が笑うのも無理はない。
こんな日があってもいいのだろう。
顕也は宙を見て泣いていた。表情が何ひとつ変わるわけでもなく、ただ涙が勝手に溢れて流れ落ちる、そんな涙だった。何の涙かはよくわからない。簡単に言ってしまえば、こんなことに今まで気付かなかった自分の馬鹿さ加減が実に可笑しかったということに尽きる。ただ、大きく捉えれば、遅くも美人の母と口唇裂の娘の真実に到達した馬鹿さ加減こそは、この宇宙にたった一枚しかない崇高な絨毯、美希の織り成そうとした気高い絨毯を前にして、畏れながらも少しだけ今その続きを織り進めているという自負だったのかもしれない。
もう一度夜空を見上げる。こんなにも星々が一つ一つ違う輝きを放っていると感じたことはない。星々がどれもみんなきれいだ。そろそろみんなのところに戻ろう。
都会から遠く離島の浜辺の草原を、父と息子がゆっくり歩き出す。といっても小さな息子は歩けない。あんなに歩きたそうにしていたのに、手を取ってもらってよちよちと数歩進むと、今度は抱っこしろと両手を上げる。抱き上げられた息子は、父の胸に顔を押し付けたまま、すぐに全身の力が抜けてずっしりと重くなった。さては燥ぎ過ぎて眠くなったらしい。笑い声と波の音に包まれた小さな寝息を聞きながら、父が満天の星空に笑い返す。もうどこにも顔など見えない。
まだこれからとびきりダンディな中年男に変貌するかもしれない父と、何だか知らないけど唯一無二の不思議な力を持つかもしれない口唇裂の息子の物語は、まだ始まったばかりである。
その後、会費未納で形成外科学会を自然退会になってしまったままの名もなき形成外科医とその家族が、どんなふうに島の暮らしを疾走しているのか、知る者はいない。ただ一つ確かなことは、彼が家族と島と形成外科の仕事を愛し、持てる全力を尽くしてこの島の形成外科診療を守り継いでいるということだけである。このような離島で、患者がどう死ぬかは問題にせず、どう生きるかがすべてという形成外科診療を、決して切り捨てずにうまく落とし込んだ僻地医療が展開されることは実に珍しい。それも、一般外科医には手を出しにくいが形成外科医なら誰でもできる手術手技、きっと百年後も変わらずに残っているだろうと思われるような基本的な手技だけを駆使した保守的な診療であった。そこには美容医療も臨床研究もない。島の暮らしをそのまま反映させたシンプルな診療に身を捧げる臨床家の姿がここにあった。彼にとって、時に家族は患者、常に患者は家族であった。
今日も変わらない碧い海と果てしない宙が小さな島を丸ごと包む。美人遺伝子が発見されたというニュースは今でも聞かない。




