(十五)
こうして語られた沙菜の夢は、きっと沙菜自身が心のどこかに望み続けた娘との別れの形だった。残酷なことに、別れの意味を理解しない幼児が残す最期のメッセージなどない。それだけに、記憶の範囲に留まらず、残された者が今を生きる中に起こる些細な出来事にまで、その遺志を探し求め続けることになるのであろう。今になってしまったが、これは、東京に転居して望まない夜の仕事を続けてまで最先端の治療を選択したことを悔やむ母と、イルカと泳ぐ夢だけを置き去りにして人工呼吸器に繋がれたままさよならも言わずに静かに旅立った幼い娘の最良の別れだった。これでやっと遺志は継がれる。そう信じるしかない。
それにしても、彩乃の絵には、ただ驚かされるばかりだった。手術室の看護師さんや三浦を初め、写真の撮影を申し出てくれた清掃スタッフまでもがあの絵に惹きつけられ、直接ではなくせいぜい写真の中に小さく映り込んだ絵を目にしただけであろう沙菜こそは、その印象を今宵の夢に刻み重ねることになったのである。彩乃の絵と沙菜の夢の情景が交錯しているところに三浦の粋な計らいがあったことは、今更確かめるまでもない。三浦ならやるであろう。全身麻酔に対する不安を払拭するために。そして父と子の特別な手術を祝福するために。あるいは画像を拡大して見せて、自ら描いた女児の微笑みに言及したかもしれない。論文はおろかカルテにすら記録に残らない、プロフェッショナルの陰の立派な仕事だった。
場当たり的な巡り合わせによりあの絵が沙菜の目に触れたことは、まさに奇跡としか言いようがなかった。あの時のあの絵が、まさか棺の中で美希といっしょに灰になろうとしていたあの絵が、かけがえのない娘を失ってからずっと心の整理がつかないままだった沙菜の気持ちを今漸くフッと軽くする役割を演じることなど、誰が想像できたであろうか? これまでにも彩乃の周辺の人々の心情に沸き起こる理解不能な相互作用に幾度となく遭遇してきたが、今回の出来事の発端は彩乃本人ではなく、たった一枚の絵である。絵にまでそんな作用をもたらす何かが滲み出ているということだろうか?
俄には信じがたいが、もしそんなことがあるとしても、おそらくその作用は美大に進学した彩乃の画力によるものではない。きっと絵とは別個に持つ彩乃の能力、例によって言葉少なめに要所で発揮される、人と人を磁石や接着剤のように絆ぐ特殊な能力による何かである。それが何かはわからない。わからないけれども、その不思議な力は、口唇裂を持って生まれてきたからこそ彩乃に備わった才能なのかもしれない。そう思えて仕方がない。彩乃に口唇裂がなければ、あの絵を受け取ることも、夜の街を彷徨うこともなかった。研究に衝き動かされることもなければ、沙菜と出会ってこの島で暮らすこともなかったはずである。振り返れば、すべては彩乃に口唇裂があったことに始まり、自身の人生は彩乃の口唇裂に支配されてきたような錯覚に陥ってしまう。ただ、最初の出会いが偶然である以上、それは錯覚である。そもそも、彩乃自身が自分の口唇裂がなければ自分の人生は違っていたと考えることはあっても、自分の口唇裂が一形成外科医の人生を変えたなどと考えるはずがないのである。やがて愛することになる女性の娘にたまたま口唇裂があった。それだけのことだ。吸い寄せられるように辿り着いた今に思えば、その後の道程は最初から自分に用意されていた運命だったのであろう。だからこれは錯覚である。錯覚でなければならない。口唇口蓋裂なんかが、自身はもちろん、周囲の誰かの人生に大きな影響を与えるものであってほしくはない。何事もなかったかのように育ち育てられ、振る舞い振る舞われ、幼少期に負ったかすり傷のごとく自らにも無関心に放置される何かであってほしい。それが本人や家族の願いであり、治療に関わるすべての医療者の願いでもある。
だが現実は違う。大らかな彩乃ですら、二次修正術を希望して十年ぶりに自分の前に姿を現した。口唇口蓋裂がなければ人生は違ったと悲観して傷跡や変形に執着する患者が少数派であるなら、あれほど多くの二次修正術の論文が存在するはずがないのである。傷跡や変形を完全に消し去る手術がないことをどこかで理解して諦めて、化粧や口髭で隠しながらぎりぎり何とか受け入れているのである。少なくとも自身の先天異常が周囲の誰かの人生に大きな影響を与えたなどとは考えたくもないであろうし、まして自分に口唇口蓋裂があってよかったなどと肯定的に捉えていることなどあり得ないに違いない。余程の聖人でもない限り、前向きな要素を何ひとつ持ち合わせないこの口唇口蓋裂さえなければ何もかも人生は違ったと、心から神を憎むどす黒い感情がどこにどれほど渦巻いてきたのか想像すら容易ではない。頭ではそんな厳しい現実を嫌というほど理解してきたつもりだった。
しかし、やはりどうしても、顕也は、彩乃の持つ不思議な力が口唇裂によるものだという先入観を拭い切れない。それが偏見だとわかっていても、錯覚だと気付いていても、彩乃からもらった自身の人生を変えた様々なメッセージは、彩乃に口唇裂があったからこそだと、心のどこかで頑なに信じている。大きなお世話だと言われても、迷惑だと罵られても、彼女が口唇裂といっしょに何かをもって生まれてきたとしか考えられない自分が確かにいる。しかも、そんな思いを自分だけが抱いているわけではないとも感じている。いつかのあの研究データの赤い点々の向こう側に、同じような期待にも似た偏見があちこちに燻っているのではないかと思えて仕方がないのである。それは、一途な迷信に近い。きっと彼らは不思議な力をただ一方的に信じている。あなたが自分に口唇口蓋裂がなければ全然違った人生があったかもしれないと考えるのと同じくらい、あなたに口唇口蓋裂があったからこそ私の人生はこうまで輝きを放っているのだ、と。それは、あなたに口唇口蓋裂があってよかったという意味でも、あなたが私の犠牲になってくれたという意味でもない。自覚できるはずもしたくもないであろう特別な役割、誰も取って代わることのできない唯一無二の役割を確かに担うあなたの存在そのものが、周囲を惹き付け巻き込みながら光り輝いているという意味だ。その輝きをともに享受する私の多くは、家族、友人、恋人だったりするかもしれない。彼らは知っている。優しさも大らかさも思慮深さも忍耐強さも、すべてこの不思議な力を添えて光り輝いているということを。そして見ている。生まれながらに内に宿すその何かの儚くも尊い光りを密かに放ち続けるあなたの本当の姿を。だからこれだけはわかってほしい。口唇口蓋裂とともに神が授けたあなたの不思議な力を、あなたの内側にあるあなたにしかない何かを、ひたすら馬鹿みたいに信じて疑わない誰かが、必ずどこかであなたをずっとずっと変わらず思い続けているのである。
そうまで言う自分は、彩乃にとって、家族でもなければ友人ですらない。十年間診察しなかった挙句に二次修正術まで引き受けずにやり過ごしたのであるから、主治医としても失格であろう。自分がその彼女から受け取った何かが自身の人生の中で色褪せるどころか、こんなにも輝きを増しているという真実、強く言える理由はたったそれだけである。




