(十一)
起伏のなさそうな与論島は、意外にも南西部で標高百メートル程の小高い丘になっている。頂上の城跡にはこぢんまりとした神社があり、正月には初詣客がそれなりに集まる。ぐるっと碧い海に囲まれた島全体を見下ろせる神社の周辺は、一年を通して家族連れのお出かけスポットになっており、顕也もその荘厳とは程遠い絵本の中の竜宮城を思わせる色彩の社殿をとても気に入っていた。沙菜もおそらく、ここから望む碧い海を挟んで沖縄本島が間近に迫る息を呑むような絶景をこよなく愛していたに違いない。そろそろ何度目の年越しなのか数えなくなってきたこの正月もまた、多くの島民に習うわけでもなく当然のように家族全員でその神社を訪れた。
三組ほどの先着の後ろで順番を待った後、顕也と沙菜が揃って賽銭箱に小銭を投げ入れると、賽銭箱の奥を覗き込んだまま動かなくなった長男の横で長女と次女が息を合わせて鈴緒を振り回す。沙菜に抱っこされた次男は、頭上でガランガランと鳴る鈴を見つけて目を輝かせて鈴緒に手を伸ばす。パンパンと手を打って合掌する顕也を長女が真似ると、さらにそれを次女が真似た。
「ほら、あんたも手を合わせなさい。」
沙菜にそう言われた長男がやっと前を向く。
「なーにおねがいしよっかなー?」
まだ賽銭箱の中をチラチラと覗きながらそう言う長男が、顕也に背中を押されて鈴緒の横に来る。長男だけではない。次男を抱っこしていた沙菜もまだ礼拝を済ませていない。さっきよりも順番待ちの列が長くなっていた。顕也が急いで鈴緒の横から長女と次女を引き離して沙菜から次男を受け取ると、次男の顔が順番待ちの列の方を向く。そこでまた、いつもの光景に遭遇した。次男の口唇裂に気付いた数人が、見てはいけないものを見てしまったような顔をしているのである。もう慣れてしまって然程気にもならない。驚かせて申し訳ないくらいの気持ちである。幸い、普段はクールな次男もこんな時にはいつも決まってニコニコと愛嬌を振り撒くので、重い病気を抱えているわけではないことはすぐに伝わる。何となく事情を察した見物客によっては、手を振ったり舌を鳴らしたりして構ってくれたりすることも多い。
しかし、こんな穏やかな状況は、自分が医療者、それも形成外科医だからなのだろうという気がしてならない。いくら大らかに接してくれてはいてもどこか不自然な周囲の反応に、やり切れない思いを募らせる両親は少なくないであろう。自分にはある程度先が見える。自身も口唇口蓋裂でありながら口唇口蓋裂の診療に携わる形成外科医や矯正歯科医に会ったこともあるし、彩乃が家庭を持ってどこかで幸せに暮らしていることも知っている。それを実体験として身近に知っていることと、「みんな学校行って仕事してふつうにやってますよ。」とだけ主治医から聞いて漠然とぎりぎり想像できることの間には、かなり開きがあると考えざるを得ない。今のこの目線に慣れるまで、こんな自分、こんな離島ですら、それなりの時間がかかったのだから。きっと、早めの手術が妥当なのだと思う。多少のリスクを容認して生後三カ月で口唇形成術を貫いてきた先人たちは、患児の口の状態だけではなく、両親の心の状態まで、本当に、本当によく診ていたのだと感心する。
拝殿を振り返ると、沙菜と長男が鈴緒を挟んで仲良く合掌していた。沙菜は三日後の手術の成功を願ってくれているのだろう。
(この願いが叶いますように。)
二人の背中を見ながら、顕也は島の神様にもう一度お願いする。
先に顔を上げた沙菜が、遅れて顔を上げた長男の手を取って、こちらに向かって歩いて来た。長男が、手を引かれながら沙菜を見上げて元気いっぱいに聞く。
「ママー、何おねがいしたのー?」
「ママ? ママはね、今年もみんな仲良く元気にやってってくれますように、って。」
「ふーん。それだけー? なんかふつう。」
「ふつうが一番いいのよ。だからね、こいつの手術が上手くいきますように、ってお願いしたんだ。早くふつうになりますように、って。」
近寄って来た二人を見つけて顕也の腕の中で手を伸ばす次男を受け取りながら、沙菜が答えた。その沙菜の言葉に、長女が反応する。
「しじゅつ?」
「そう、手術。もうすぐよ。」
沙菜がそう答えても、何だかよくわかっていない長女が、ぽかんとした顔で誰にともなく聞く。
「しじゅつ、ってなあに?」
確かに、子供たちを交えてちゃんと次男の手術の話をした記憶はなかった。手術日はおろか、次男が手術なるものを受けることすら、長女には初耳だったかもしれない。東部病院に連れて行った長男だけは少し理解しているようだった。
「おまえ、そんなことも知らないの? お口のわれてるとこ、切ってくっつけるんだよ。それがしじゅつだよ。」
いつも妹に口喧嘩で負けてしまうのが余程悔しいのか、ここぞとばかりに長男が知識をひけらかす。一瞬、正月早々また喧嘩が始まりそうな気配が漂ったが、長女の反応は、両親の想像を心地よく軽々と超えていた。
「えーっ。きっ、きっちゃうのー? やだよー。きったらいたいよ。こわーい・・・」
長女の顔は不安でいっぱいだった。今にも泣き出しそうである。沙菜がひょいっと次男を顕也の腕に戻すと、長女の前に屈んでその健気な手を握った。
「大丈夫。お薬で眠ってる間にやってもらうから、痛くないのよ。」
「だって、きったら血がでるでしょ? 血がたくさんでたらしんじゃうって、まえにパパがいってた。」
顕也と沙菜が顔を見合わせる。二人にとっては何にも代え難い微笑ましい光景だったが、可愛い弟が切り刻まれる姿を想像している本人は、至って真剣である。執刀医の出番だった。
「表面だけの手術だから、血なんてほとんど出ないよ。転んで擦り剥いた時と同じくらいかな。鼻血よりもずっと少ないだろうね。」
素晴らしい想像力を称えたい気持ちを抑えて、顕也が説明する。長女はまだ俯いたままだ。何となく大丈夫そうなことがわかったようでも、その顔は晴れない。切っても痛くないことが信じられないのであろう。沙菜がその顔を覗き込んで、じっと目を見る。
「心配だよね。ママもちょっと心配。でも、ぜーったいに大丈夫。」
「・・・ほんとに?」
「うん。ほんとよ。危なかったり痛かったりする手術だったら、無理にやらなくていいんだもん。でもね、大して痛くなくて眠ってる間にできちゃうんだったら、やってもらった方がいいと思うの。みんなと同じようになった方がいいもん。」
沙菜の思いを黙って聞いていた長女は、ゆっくりと頷いた。その様子は、両親には子供心にそんなものかと納得する姿にしか見えなかった。しかし、それがまったくの誤解だった。次の瞬間、長女はゆっくりとまっすぐに顕也の腕の中の小さな弟の顔を見上げて、ポツリと言った。
「なんでみんなと同じがいいの?」
悪ふざけの屁理屈ではなく純粋に疑問を感じて質問をぶつけているのは明らかだった。顔を見合わせたまま沈黙する両親に、長女が繰り返す。
「ねえ、なんでなんでー? なんでみんなと同じがいいの?」
沙菜は絶句している。顕也も、そのあまりにも核心を突いた単純明快な疑問を、ただ黙って受け入れるしかなかった。答えなどあるはずもない。誰もその答えを持ち合わせていない自信すらあった。ボーっと横に立っていた長男が畳み掛けるように言う。
「なに言ってんだよ。これびょうきだよー。きけいっていうびょうきだって言ってたよ。しじゅつすんの、あったりまえじゃん。」
長男は、いつの間にか奇形という言葉を覚えていた。保育園で上級生か誰かに吹聴されたのだろう。どちらかと言えばこの長男の意見が世間一般の感覚だと思っている顕也にとっては大した驚きではない。さすがに臨床の現場で奇形という用語はもはや死語であるが、専門的な研究寄りの医療現場ではまだまだ汎用されている立派な医学用語なので、聞き慣れてもいる。何より、一般人が次男の口唇裂を見ても、まず先天異常だと言ったりはしない。大半は、陰でこれを奇形と囁くであろう。奇形は生まれつきの病気だと考えるのはごく普通のことだ。病気だからできるだけ早めにみんなと同じような見た目に近付けてあげる治療が必要だという発想も、自然な大衆論理だと思っている。
一方では、当事者たちを中心に、長女のような意見も多く聞かれる。確かに、口唇裂が病気かと問われれば、間違いなくそうではないと顕也も答える。機能障害はなく見た目の問題しか伴わない口唇裂など、誤解を恐れずはっきり言ってしまえばチビ、ハゲ、デベソと大差ない。口唇裂のないチビよりも、口唇裂の手術を受けた長身の男の子の方が、将来彼女ができる可能性は高くなるような気もする。そういう意味で、口唇裂は病気とはちょっと違う。もっと大雑把に言ってしまえば、機能障害の有無にも関係なく、先天異常と個性にはっきりした境目はないような気もしている。ただ、そういう意識は学童期以降の倫理教育によって後天的に獲得していく善意の一種なのだと、今の今まで顕也は信じて疑わなかった。容姿に大きく左右される恋愛模様が時に非情であるのと同じように、見た目の問題を抱える先天異常に対する周囲の偏見は想像以上に容赦なく残酷なものである。とくに感情抑制のない子供の世界でその傾向は顕著で、他者の心情への配慮など一切なく、変なものは変だと平気で面と向かって口走る。相手を傷付ける意図がないことが、残酷さに拍車をかけている。残念ながら、それは人が生まれながらに持つ性質なのだと信じて疑わなかったのである。いや、顕也自身がそうだった。医師になり、形成外科医になり、一時でも小児先天異常の分野に身を置き、さらに美希と彩乃に出逢い、沙菜のもとで短い生涯を終えた娘のストーリーを垣間見なければ、奇形という疾患をみんなと同じようにする治療こそが最善だという考えに何の疑いも持たなかったであろう。「先天疾患つまり奇形だね。手術すればきれいになるよ。」口唇裂の児に遭遇して戸惑う知人が隣にいれば、耳元でそう吐き捨てているに違いない。
ところが、驚くべきことに、どうやらそうではないらしい。今の今まで心のどこかで頑なに偏見を支持していたのは顕也自身だった。長女の細やかな疑問は、諦めにも似た顕也の悲観論を鮮やかに切り刻んだ。姿形の異なる者を排除しようとする無慈悲な性質が万人の心に生まれながらに無意識に内在するという性悪説を、見事に木っ端微塵にした。もちろん、長女は沙菜の影響を強く受けてはいるであろう。そうであったとしても、この半年間弟と過ごして自身が感じてきたことを、長女が自分の言葉で表現しているのは確かである。みんなと同じがいいかどうかはさておき、他人の容姿の何が変かと思う感覚、つまり異質な容姿のどこまでを個性と感じるかという認識の幅は、教育によって押し付けられる善意よりもずっと早く幼い時期、半ば本能に訴える刷り込みでしか獲得できないような時期に後天的に形成されていることを、長女の言葉は示していた。言い方を変えれば、幼い子供に対して周囲の大人が、あれは変だこれは病気だと言い続けることで、子供たちが異質な容姿を個性と見なす認識の幅をどんどん狭めていくということである。顕也は、どの顔を美人と認識するかという感性は後天的に獲得されるという、最近ニュースで目にした興味深い研究を思い出していた。人は、幼少期に周囲の大人たちから、あんな顔が美人でこんな顔は美人ではないと言われ続ければ、後にあんな顔が美人だと思うようになるというのである。同じようなことが、おそらく長女にも起きていた。弟の口唇裂をプラスでもマイナスでもなくただの特徴、個性だと、確かに長女は感じているようだった。優劣をつけて容姿を識別する感覚は、幼少期の偏見の刷り込みによって後天的に形成されるという性善説は、どうやら確かであった。
こんな一連の分析が、科学者の一面を併せ持つ医師としての職業病の一種であることを、顕也はとっくに自覚している。世のためどころか家族のためにも大して役に立たないその習性を、今では自嘲する余裕すらある。だからこそ、この家族にとって重要なことが、あたかも丹念に描かれた手術記事のシェーマのように、今はどこまでもくっきり見える。自分よりも圧倒的に明晰な頭脳を備え、さらにその頭脳にも増して豊かな感性を滾らせる沙菜には、長女の言葉が自分とはまったく違って聞こえたに違いない。
「ありがとね・・・」
沙菜は、そう言って黙って強く長女を抱きしめた。どう考えても、沙菜にとって、長女の言葉はずっとずっと深い意味を持っていた。想像を絶する周囲からの矢のような視線と戦いながら最重症の顔面先天異常の娘と病院に通ったり水族館に行ったりした日々が、思い出されないはずはないのである。イルカと泳ぐ夢など夢のまた夢、顔面先天異常は後回し、せめて気管切開さえ離脱できればという願いすら叶わないまま旅立った娘に常に向け続けられたであろう偏見という闇に、長女の言葉が微かな光を照らしたと顕也は信じる。そんなありがとうなのだと思う。もちろん子供たちには理由が分からない。長男は何にも知らない長女が気の利いたことを言ったっぽいのが不満そうで、長女は質問に答えない両親をキョロキョロと不思議そうに見つめ、次女は自分も抱っこしろと沙菜の上着を引っ張っている。沙菜がその次女といっしょに、今度は長男を腕の中に抱き寄せる。
「そうよ。あなたの言うとおり、手術は必要なの。ケガしたら薬付けるのと同じ。だからみんなと同じになるわけじゃない。ママ、言い方まちがえちゃった。同じじゃなくていいんだもんね。ありがとね・・・」
沙菜の言う通りだった。手術で皆と同じにはならない。傷痕や変形は残る。そこが見た目を平均に近付けるだけの医療の限界でもある。
結局、見た目の問題は、見る側の心の問題である。形成外科は、その見られる側、言ってみれば被害者側に侵襲的な医療行為を施すことで、双方の心の歩み寄りを図ろうとしている。現代ではそれが当たり前、完全に正当化された治療である。見られる側も、とくにこの外科手術を問題にすることはない。しかし、そんな見られる側の身体を切ったり刺したり剥がしたりする手法で見た目の問題を解決しようとするアプローチが、病の根本を置き去りにする対症療法と位置付けされることは、少し考えれば明らかである。あろうことか、この医療行為は見る側の「こいつの見た目は変だ」とする認識を全肯定する作業に他ならない。近代社会では稀に見る蛮行とまでは言わないにしても、妥当な治療として誰も何も疑わない風潮は、医療者としても患者家族としてもどこか違和感を拭えない。
根本療法、つまり病の本質を捉えて何とかしようとするアプローチは、まったくこの逆なのではないだろうか? 見た目の問題を抱える患者の悩みを、見る側の意識にメスを入れることで解決していくというやり方は、夢物語なのだろうか? これから生まれてくる何万何億の子供たち全員が、ほんの少しでもいいから今の長女と同じような感性を獲得していったらどうだろうか? 見た目の違いをプラスでもマイナスでもないただの特徴、個性だと皆が感じる幅が、世の中全体で今より少しでも広がったらどうだろうか? いつか遺伝学の世界的な権威のロバートが言っていた、美人遺伝子を見つけることで個性の幅を広げたい、という言葉を思い出す。どんな経緯でそんな情熱を持つに至ったのか知りようはないが、この分野で世界最高峰とも言える彼の頭脳がたどり着いた研究の目論見は、どこか沙菜の思いに重なる。おそらく沙菜はとっくに気付いている。そしてその非凡な魂は、さっき手を合わせてこう願っていたのかもしれない。
(次男が生きている間は無理だとわかっています。まだずっと先になると思うけど、いつかきっとこんな手術がなくなりますように・・・)
そして、五百年後か千年後かわからない。沙菜ほどの頭脳なら、未来の医学書の総説にこんな一節があることを予見していたとしても驚きはしない。
「西暦2000年頃、まだ多くの医療介入を手術と呼ぶ手作業で行っていた時代に、個性を踏み躙り続けた信じられないような診療科があった。当時は人々の意識を変えようとする試みはなされず、人目に付きやすい個人の外見的特徴を持つ者を患者という弱者に位置付け、有無を言わせず攻撃的な手術という医療介入を繰り返していた。しかし、その後開発されたメラニン合成遺伝子抑制剤の公費導入事業に対する排斥運動とともに、やがてこのような外見的特徴に対する侵襲的医療介入もまた徐々に否定されるようになった。現在その流れを汲む診療科は美容介入科 Aesthetic Intervention と称されているが、当時は形成外科 Plastic Surgery と呼ばれ、美容介入科 Aesthetic Intervention の礎を築いた診療科であることは確かである。」
さすがにここまで具体的でなくても、沙菜の描く未来の大筋は間違っていないであろう。当然、こんな未来はただの理想、いや妄想である。しかし、それが達成されるかどうかは、現代を生きる患者にとってまったく問題ではない。個性の幅を広く捉えることのできる感性が素敵だと皆が感じてそれを次の世代が受け継いでほしいと願うならば、今やるべきこと、やるべきではないことを見出す思考を手に入れることは、然程難しくない。この思考の材料として、既成概念をぶっ壊そうとする勇気ある理想や妄想が不可欠なのである。この勇気にこそ、とりあえず今言われなき偏見に苦しむ患者が救われるのではないだろうか? 最終的に自分の仕事がなくなることを願って日々励むのが医療である。昔の患者が今の患者でなくなる未来は、いくら対症療法の外科手術を繰り返しても決してやって来ることはない。
「じゃあ、もう一度、みんなでお願いしてあげてくれる?」
沙菜が三人の子どもたちにそう声をかけて、自らもスクっと立ち上がって姿勢を正す。
「手術が上手くいきますように、ってね。」
さあさあと子供たちにお願いを促すと、沙菜はくるりと拝殿に背を向けた。
「ママー、こっちだよー。」
長男が、参拝客の並ぶ拝殿を指さす。長女は、拝殿と沙菜の背中をキョロキョロと交互に見ていたが、背を向けたままの沙菜に構わず拝殿に向かって手を合わせる長男に従って同じように手を合わせた。よくわからない次女も、兄姉を真似て薄目でチラチラと拝殿を見ながら手を合わせる。
沙菜は海を見ていた。そして静かに目を閉じると、厳かに海に向かって頭を下げた。次男を抱っこしたまま一部始終を見ていた顕也も、慌てて沙菜を真似て海に向かってお辞儀をする。
(うまくいきますように・・・)
丘の上の鮮やかな朱色の鳥居の横で、どこまでも続く碧い海を背景に、それぞれの形で祈る家族六人の姿があった。




