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(二十九)

 福富と茂子さん、丸山さんの四人で駅に向かって歩き始めると、すぐにそれぞれ向かう駅が違うことに気付く。四人で横断歩道の前に立ち止まってそれぞれに挨拶あいさつをしようとした時、相変わらず上機嫌の福富が最後に思わぬことを口にした。

「丸山さんのところ、お子さんはいくつでしたっけ?」

 なぜここで? と思ったのは丸山さんだけではなかった。茂子さんが、こんな所でからまないで、という顔で福富の腕をつかんで駅に向かおうとする。優しい丸山さんは、それを見てクスクス笑いながら真面目に答える。

「私のところは一番上が十才です。」

 丸山さんがそう答えるのを聞いて、顕也は美希の葬儀に小さな子をバギーに乗せて颯爽さっそうと現れた丸山さんを思い出していた。もう十才なんですね、などとありきたりな言葉を返す間もなく、福富が言葉を続ける。

「その子はどっちに似てるの? お父さん? お母さん?」

 意外にも、その質問を受けた丸山さんがすごくうれしそうである。

「それが私にそっくりな男の子なんです。」

「そいつはよかった。こんなべっぴんさんに似たら将来は間違いなく男前だ。」

 確かにそうだと顕也と茂子が相槌あいづちを打つのを見て、福富がにんまり笑った。

「しかし、だ。そいつは顔のつくりだけの話。そう簡単にはいかない。なぜなら子供というのは・・・」

 酔っ払いの熱弁が始まりそうになるのを、茂子がその腕をさらに強く引いて丸山さんに頭を下げる。

「すみませんねえ、いつもこんな調子なんで。」

 顕也としてはその光景を楽しんでいた。クリニックでいっしょに働き始めてすぐの頃、ちょうど良いオッパイのサイズについて熱く語っていた福富とまったく変わっていない。その福富に、なんと丸山さんが真剣に食い付いた。

「ぜひ、聞きたいです。子供って?」

 場所が場所だけに、丸山さんの乗り気な言葉に、他でもなく福富本人が一番引いているのがわかった。そういう所が福富の良さだと常々(つねづね)顕也は感じてきた。最初から酔っ払いの戯言たわごととして雑踏の中で言いたかったのだろう。福富としては、聞き流されるくらいがちょうど良いのである。

「そっ、そうですか? じゃ、じゃあ手短てみじかに話しますんで。」

 酔いがめたような顔で、少し照れながら演説を始めようとする福富は、顕也が見ても可愛かわいかった。福富の腕をつかんでいた手を放して拍手を始めた茂子に合わせた三人から拍手を送られる福富を、通行人がジロジロと眺めている。

「いいか、諸君。おっさんの説教にしては短めだから、耳をかっ穿ぽじってよく聞けぇ!」

 本人の言うとおり、始まってみればその口調は酒場でくだを巻くただの酔っ払いだった。いい調子である。

「まず、子供というのはだな。きっちり父と母から半分ずつもらうんだ。親二人、それぞれ半分ずつ出すと一人の人間ができる。言いたいことはそれだけ・・・ん? わかりにくい? じゃあもう少しくわしく話そう。つまり、親のDNAの二重の螺旋らせんをほぐして一本ずつ・・・、そう、一本ずつ出すと新しく二重の螺旋らせんが一つ出来る。そいつが子供のDNAだ。親のコピーではないその子のオリジナリティー。大事なのは、片方の親が出すのは半分ずつということね。そう、半分、きっちり半分さ。それが何とも素敵だと思わない? ん? ん?」

 そこまで言って福富は三人の顔色をうかがった。身内の茂子が正直に言う。

「面白くなーい。前置きなんていいからとっとと結論だけ言いなさい。ブー。」

 茂子に合わせて親指を下に向けた三人からブーイングを受ける赤ら顔の福富を見て、通行人がクスクス笑っている。

「わかった。わかった。じゃあ、本題に入る前に前置きの結論を・・・。この二重の螺旋らせんの半分ずつってのを、逆に人の親の立場で考えて欲しい。おそらく何千年も昔から人の親というものが、みーんな子供に対していだいてきた、もやもやする感情を想像して欲しい。子供が自分に似ているところもあるけど、決定的に違ったり真逆だったりするところもあって、その都度つど感心したり落胆したり。そういうのは、やっぱり半分はもう片方の親から受けいでるからなのだろうと、妙に納得したり変に落ち込んでみたり。それが正直な親の気持ちかな、と。でも、そんな感情論を分子生物学でひもいてみたら、さあどうなの? そのまんま、やっぱり見事に半分ずつ、ちょうど折半せっぱんだったって話。こんな素晴らしい話は他にないと個人的には思う。だってそうでしょ! そう考えれば成績悪くても腹も立たないでしょ? 丸山さん! それはぜーんぶ旦那のせい。誇らしくて仕方ないはず。イケメンなのはぜーんぶ自分のおかげ!」

 このオチが丸山さんにウケたのは言うまでもない。ただ、曲がりなりにもこども病院で働いたり遺伝子の研究をやったりした経験のある顕也には、どこかで聞いたことのある話であった。福富がこんなことを言いたい訳ではないことを、顕也はわかっている。

「いや、本題に移ろう。さらに戻って逆も考えて欲しい。つまり、子供の立場から。本当に一人の子はそれぞれの親から半分もらっているのか、ってこと。確かに分子生物学的にはそれは正しい。しかし、だ。そもそも遺伝が生物の生き残り戦略の仕組みだとすれば、片方の親のコピーを作らないのはなぜか? コピーっつうのは、つまりクローンだ。クローンを作ることにも対応できる遺伝的な世代交代の仕組みを作らなかったのは一体なぜか? だって、たまたま出てきた強いクローンを作っちゃえば手っ取り早いでしょ? 半分なんて言わずに全部持って行け、みたいな。自分のこと大好きな親が、たーくさん自分のクローンを作ったりなんかして・・・。実際、クローンなんて下等動物は大抵たいていやってて、最近の研究じゃあ魚なんかでも当たり前にクローンで世代交代してるのがいるってんだ。今やヒトだって人の手で簡単にクローンができてしまう。俺の見立てじゃ、もう作っちゃってるマッドサイエンティストは、世界に四、五人はいるね。それくらい単純な仕組みさ。ところが、自然はほぼそれを否定した。厳しい生存競争を生き残るために、クローンとは真逆の選択をしている。親から半分ずつもらう意味・・・」

 福富がそこまで言った時、仕方ないから聞いてあげるとでも言いたそうだった茂子が、ハッと何かに気付いたように顔を上げて絶好調の福富を見たのを、顕也は見逃さなかった。

「親から半分ずつもらう意味は、一言ひとことで言うと多様性の獲得だ。親の情報も適度に残しながら、親とはかけ離れた別の個体を作る工夫だ。種としてより強く賢く生き抜くために、親に似て非なる別の様々な個体を残して、後天的に学習や経験で得る変化にたくす方を選択した。親のコピーではなく、出たとこ勝負のくじ引きみたいな遺伝的シャッフルによる世代交代を選んで、個々が後天的に獲得する変化に種として生き残るすべ見出みいだしたのさ。あえて親とはできるだけ違った別個体を誕生させる仕組み、それが半分ずつの意味だと俺は思う。つまり、何が言いたいかっつうと、ヒトの場合は、生活を共にすることで次々と起こる後天的な変化こそ、子が親からもらう最大のアイテムだってことよ。自然がそういう仕組みを作ってるんだから、間違いない。わかるでしょ? ねっ、丸山さん!」

 茂子さんが、いつの間にか熱弁する福富の腕をもう一度(つか)んでいた。それが娘を思う福富に対する敬意であることは言うまでもない。

「はーい。わかったわかった。わかりましたよー。」

 照れ隠しであろう。茂子がそう言って、電柱に興味を示して動かなくなった犬のリードを引く飼い主のように、福富の腕を引いて駅の方に振り向かせようとする。その二人を見て、丸山さんがおなかを抱えて笑っている。すべてを知る顕也としては、茂子がこの場に相応ふさわしい言葉を選ぶことができずに笑って誤魔化ごまかそうとしていることぐらいは、いくら酔った頭でも十分理解できた。顕也自身もまた、福富の立派にそれらしい持論と揺るぎない信念に、内心は大いに感銘を受けていたのである。とはいえ、このに及んで真面目に称賛するのは野暮やぼというものである。

「さすが、福富先生! 意外と勉強しててびっくりです。ただのクソ美容外科医じゃあないっす。」

 敬意を込めて顕也が福富をからかう。

「うるさいわっ。黙れ、このインチキ研究者めっ!」

 うれしそうに福富が食ってかかると、茂子と丸山さんが大笑いした。一方、いつまでもここで立ち話というわけにもいかないことを、おそらく一番感じていた福富は、力を抜いて真顔まがおになる。これが本当に最後だと気付いた茂子がさっと手を放す。

「この中で唯一ゆいいつ独身の村沢先生に、最後に三人を代表して言わせてもらおう。」

 どこか寂し気な顔付きで福富が続けた。それまでの得意気な顔とは正反対の顔付きだった。あっという間に過ぎていった家族とのおもい出を回想する父親の顔だったのかもしれない。福富のような美容外科医と共に働けたことを心から誇りに思う。

「男も女も関係ない。独身を貫く連中ってのは、だいたいみんなかん違いしとるんだ。結婚したら、それまでの生活が大きく崩れてしまうんじゃないかって。築き上げたものが大きく失われるんじゃないかってな。それがまったくそうではない。そうじゃあ、なかった。結婚ってのもな・・・やっぱり半分ずつ出すことなんだ。こいつのためなら、あんたのためなら自分の半分は差し出していいかなと、お互いが思う。そしたら半分ずつ出し合う。半分でいい。半分はそれまでの自分のままでいいし、どうだっていいんだ。半分は自分の好きにしてりゃいい。ただし、半分は出す。向こうも半分出す。そしたら・・・立派な家庭が、家族が一つできる。」

 目からうろこだった。福富は家族に全力投球だと思っていたら、エフォートは半分なのだという。なるほど、茂子さんが仕事中の福富は知らないし、夜の街に付いて来たこともないであろう。考えてみれば福富の言うことはもっともかもしれない。しかも驚くべきことに、福富の訴えはその逆だった。

「そのことを、俺はこいつといっしょになって初めてこいつから教わった。いや、今でもこいつが一枚上手(うわて)さ。こいつが俺に思っているよりもはるかに多く、俺がいつもこいつに思ってる。正直、残り半分どこで何やってんだかよくわからない。感心するよ。今でもまったく不思議な人だ。ミステーリアス! イテテテテテ・・・」

 茂子さんが、福富の上腕じょうわんをつねりながら丸山さんに同意を求める。

「自分こそ散々(さんざん)夜の銀座をほっつき歩いといて、それはないですよねー。」

「ちょっと待って! この前の怪しい贈り物は・・・イテテテテテ。」

「そんなの知りませーん。ごめんなさいねー、こんな所で。村沢先生も、丸山さんも。さっ、つべこべ言わずにとっとと行くわよ!」

「イテテテテテテ・・・」

 優しい母の顔をした茂子さんが、今度は男の子をおもちゃ売り場から引き離すように、福富の腕を引っ張って駅に向かって歩き始める。犬よりも少し扱いが良くなって満更まんざらでもないのか、赤ら顔の福富は腕を引かれながら何度も何度も後ろを振り返ってうれしそうに大きく反対の手を振っていた。

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