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(二十八)

 臀部でんぶじょくそうができる一歩手前でようやく乾杯が済んだ。歓談の時間になり、臀部でんぶの知覚が消失したまま、顕也はとりあえず彩乃の祖父の横に駆け寄る。

「本日はおめでとうございます。」

 挨拶あいさつが出遅れた顕也を、丸山さんと茂子さんと福富の三人が取り囲む。四人に囲まれた彩乃の祖父は、すっかり白髪しらが混じりのおじいさんであった。

「ああ、どうも。」

 祖父は座ったまま穏やかにそう言ったきり、くわしい説明を取り巻きにゆずった。祖父に向かって腰をかがめていた顕也の視界に丸山さんの笑顔が飛び込む。

「お久しぶり。村沢先生。まさか会えると思わなかった。」

 十年ぶりの丸山さんの言葉はもっともだった。呼ばれてここに来たものの、こちらこそ丸山さんがいることを想像しなかったのである。そもそも彩乃がうまく探し当てなければ自分はここにはいない。探し当てたところで新しい家族や恋人の影があれば、彩乃が気遣きづかってここには呼ばれなかったであろう。

「ほんとうに。あれからもう十年()つのに、つい先日のことのようです。」

 周囲の雑談の騒がしさに負けないように、顕也が姿勢を正して大きな声ではっきり答える。彩乃がつないでくれた、亡き美希をよく知る者どうしの再会を、祖父にも見届けてほしいという思いがあった。祖父と丸山さんもまた、それぞれに美希をおもいながら十年を過ごしたはずである。祖父がテーブルにひじをついて優しく壇上だんじょうの彩乃を見つめている。壇上だんじょうの二人は友人たちに囲まれて写真撮影に忙しい。丸山さんが、そんな壇上だんじょうの二人を見て言う。

「あっという間にこんな結婚式だもんね。見て見て、彩乃ちゃん。ああやって笑ってると、目元めもとがママにそっくり。」

 目元めもとだけではない。顔付きが美希と本当によく似ている。カメラの方を向いてポーズを決める彩乃の横顔に見惚みとれていると、丸山さんがいきなり聞いてきた。

「ずっと、彩乃ちゃんたちのこと、研究してたんですって?」

 いきなりだった。丸山さんがすでにそのことを知っている理由は一つしかない。顕也は、後ろに立つ福富と茂子さんの方をちらりと振り向いて答える。

「福富先生に聞いたんですね。ずっとじゃないですけど、福富先生といっしょに美容外科の仕事をするかたわらで、ちょっと研究をやらせてもらってました。」

 自分たちに話題が振られそうな気配を察知した福富と茂子さんが、一歩前に出て輪に加わる。丸山さんが皆に聞こえるように言う。

「美人の研究なんですってね。立派な英語の論文を書いてニュースにもなったって・・・」

 すでにほろ酔いで赤ら顔の福富が、さらに一歩前に出る。

「そうそう。美人の遺伝子の研究。村沢先生こそ、先天異常である口唇口蓋裂こうしんこうがいれつと美人の責任遺伝子がオーバーラップすることを最初に発見した偉大な研究者。ねっ、村沢先生! それがまさに、あの彩乃さんとその母親の関係だったってことだろ?」

「なっ、なんで福富先生がそれを・・・」

 顕也はそう言いながら、この中でただ一人それを知っているはずの茂子さんをちらりと見た。茂子が優しく微笑ほほえんで答える。

「教えてくれたのよ。」

「教えて・・・くれた? だっ、誰が?」

 顕也はそう言いながら、今度はこの中でただ一人自分と美希と彩乃の関係を知っている丸山さんをちらりと見た。丸山さんが優しく微笑ほほえんで首を横に振る。

「私じゃない。」

 丸山さんはそう言いながら、壇上だんじょうの彩乃に視線を移す。その目には少し涙がにじんでいる。

「あ・・・彩乃が?」

 何が何だかさっぱりわからない顕也に、上機嫌で説明を始める福富の声のトーンが一段上がる。

「彩乃さんが、クリニックに来てくれたのさ。」

「クリニックに?」

「そうさ。村沢先生が辞めていなくなった後にね。どうしても渡したい物があるとかで、村沢先生の携帯に二回ほど電話してもつながらなかったからって、わざわざクリニックに来てくれた。そしたら、受付の女の子がさあ、そういうところは抜群に気がくんだな。どうして受付さんが余程よほどのことと思ったのか、そこだけが謎なんだけど、手術中の俺のとこに飛んで来て、『村沢先生を訪ねて来てる人がいて、退職したことを伝えたら帰っちゃうと思う。』って強く言うんだ。さらに、『以前にも一度訪ねて来て、村沢先生と少し話し込んだ後から村沢先生の様子が変わってそのまま辞めちゃった、その張本人です。』なんてことを言うわけよ。それはまあ確かに緊急事態だ。手術どころじゃない。いったん手を下ろしてすぐに受付に行って、そこで初めて彩乃さんを捕まえた。その時はただ、村沢先生とは連絡が取れるから要件を伝えてあげようと思っただけなのに、受付さんのかん? 女のかん? そりゃあたいしたもんだ。聞けば村沢先生が自分の結婚式に来るって言うし、横浜でお母さんと村沢先生と三人で暮らしてた頃があったって言うんだ。こいつは美味おいしい酒が飲めると直感したな。ぜひくわしい話を聞かせてほしいって言って、茂子にも相談して三人で食事に行ったのさ。」

 酒が入って少々愉快な福富の説明に、ようやく顕也の合点がてんがいく。

「そ、それで福富先生と茂子さんがここにいるんですね。」

「彩乃さんが、ぜひ来い、ってね。いやあ、しっかりした娘さんだよ。村沢先生が今日ここに来ると約束してくれたことをすごく喜ぶのと同じくらい、村沢先生のプライベートがここに来ても差しさわりがない状況だっていうことを、誰よりも心配してたよ。なあ、茂ちゃん。」

 楽しそうな福富とは対照的に、茂子がちょっと厳しい顔で真剣に答える。

「ええ、そうよ。だから彩乃さん、村沢先生がやめたことをすごく喜んでたの。私たちも同じ気持ちだけど、村沢先生があの研究をやめたことを、誰よりも彩乃さんが一番喜んでたのよ。彩乃さん、本当は、今まで自分たちのことを考えながら研究を続けてたって聞いて、涙が出そうなくらいうれしかったって。でも、もうそれ以上望まない、自分たちのことは時々ちょっと思い出してくれるだけで十分かなって。クリニックも研究も、やめてくれてよかったなって。これからは自分の幸せを一番に考えてほしいなって・・・」

 いかにも彩乃らしかった。茂子さんが伝える彩乃の言葉におせっかいや誇張は感じない。これは彩乃の言葉だと確信する。三人が自分について言葉を交わすところを想像すると少し照れ臭い。顕也は悪い気はしなかったが、福富はかたい話もよくないと思ったのかもしれない。

「いやいや、そいつは言うまでもないさ。」

 福富が顕也の顔をじっと見て言う。心底楽しそうである。

「この先は過去にとらわれずに生きる、そんなことは今じゃあ本人が一番よくわかっとる。言うまでもない。顔を見りゃあ、わかる。」

 福富が、腕組みをしてニヤニヤしながら、顕也の顔をさらにじっと見る。

「いい顔だ。いい顔になったな、村沢先生。」

 けわしかった茂子さんの表情がゆるむ。顕也が慣れ親しんだいつもの茂子が、福富といっしょにあごをちょっと突き出してからかうように顕也の顔を見入る。

「ほんとね。今日、会って安心した。村沢先生、こんないい顔になって。おひげもよく似合うわ。ネオン街で飲んだくれてた頃とは別人のよう。」

 飲んだくれ? 顕也がバツが悪そうに、さっき自分をめちぎってくれていた丸山さんをちらりと見たのを、福富が見逃さない。どうやら丸山さんも偉大な研究者の新たな逸話いつわを期待している。

「丸山さん? 実際、研究なんてどうってことないんですよ。こいつはただ、夜の銀座を散々(さんざん)飲み歩いて、かたぱしから美人のお姉さんたちに採血させてもらっただけ。」

 丸山さんがきょとんとしている。想像とかけ離れた顕也の研究活動を、にわかには理解できないようである。それくらい、あの研究は常軌じょうきいっしていたということなのだろう。ただ、真面目な研究内容も含めて、それももうどうでもよい。笑いのネタにでもなれば、やった甲斐かいがあるとでも思っている。

「その通りです。さらに、もっと言っちゃいます。あの論文、一行いちぎょうも自分で書いてないどころか、いまだに自分で一度も読んでいません!」

 これには福富も驚く。

「なーにー、ほんとかぁ⁈ 何てこったぁ。やっぱりこいつはただの飲んだくれではなかったな! ガッハッハッハッハ。」

 聞き慣れたいつもの福富の豪快な笑い声に、周囲のテーブルの参加者が振り向く。状況を理解した丸山さんがおなかを抱えて笑い、祖父が取り巻きの盛り上がりにうれしそうな笑みを浮かべる。冗談でも多少恥ずかしい自虐ネタに、顕也は右手で頭の後ろをポリポリいていた。笑いが静まるのを待って、茂子がその左手を取る。

「本当によかった。どう考えても何の役にも立たないクソみたいな研究をクソだと気付いてくれて。」

 茂子の手が、いっそう強く顕也の手を握る。

「はっきり言うわ! あんなものはクソなのよ。クッ・ソッ!」

 披露宴会場で連呼されるクソに反応して、丸山さんがまたクスクス笑う。丸山さんも祖父も、一見いっけん上品そうな茂子さんが、赤ら顔のよく似合うご主人の福富に輪をかけて愉快な人物であることに気付いている。壇上だんじょうで有志たちが余興よきょうの準備を始めているのを横目に見ながら、福富が付け加える。

「村沢先生、ついでに俺も言っておく。気付いてよかった。クソみたいな美容外科をクソだとな。あれこそ、ほんとのクソ。質・量を伴う立派なウンコだ。」

 皆が大爆笑する。しかし、顕也は皆と同じようには笑えなかった。口調は明るくても、福富がほんの一瞬寂しそうに見えたからだ。それはたぶん同じ外科医にしか感じ取ることのできない本気を混じえた冗談だった。

 全員着席して余興よきょうが始まっても、自分の論文の自虐ネタに寄り添う優しさ以上の重みを感じる福富の言葉について思いを巡らせる。いつも陽気で豪快な福富もまた、何の疑問も持たずに美容外科医を続けてきたわけではないのかもしれない。ただ、それも今となっては勝手な想像でしかなかった。福富は上機嫌で茂子さんと時々小声で会話しながら余興よきょうに見入っている。二人が新婦の両親として結婚式に参加する日は遠い先ではない。この披露宴に思いを重ねるところもあるのかもしれない。

 福富とはあれほどいっしょに飲んでばかりいたのに、ついに仕事のモチベーションについて本音で語り合う機会はなかった。乳腺外科医をやめて美容外科医に転職したという話も、実は本人の口からは聞いたことがない。それらが直接語られなかったことは偶然ではなく、福富の強い意思があったように思う。その意志は、娘さんの出生の秘密が明かされることがなかったことにも共通するのかもしれない。おそらく福富は、一歩もゆずらず家族を優先し、たいしてやり甲斐がいを見出すことのできない美容外科医の仕事を続けてきたのだ。形成外科上がりの自分ですら、美容外科医の仕事内容には疑問を感じていた。その仕事内容は二の次で、収入や拘束時間などに折り合いを付けて転職した者が、そこでの仕事にわずかでも天命を感じることは、きっと奇跡的なことなのだ。福富は、一点の曇りもなく自分の天命は家族だと信じた。だからこそ仕事は些細ささいだった。取るに足りない仕事への不満が家族に明かされることなど、あってはならないということだったのであろう。


 その家族について、さり気なく彩乃が話し出した。気付けばあっという間に時間が過ぎて、壇上だんじょうの彩乃がめの挨拶あいさつの中で家族について触れたのである。めっきり飲まなくなって、この頃の顕也はずいぶん酒に弱くなっていた。この後このまま沙菜のところに顔を出すのは気が引けるくらい、まあまあ酔っている。さほど表情も変えないで淡々(たんたん)さわやかにスピーチを始めた彩乃が家族という言葉を口にして初めて、顕也は少し姿勢を正した。

「家族・・・私は・・・家族は少なめだったけど、その分、家族でも何でもない人たちが、どこまでも自分を支えてくれました。そんな友人知人はみんな家族だと思って大切にしなさい、それが私の家族からのメッセージだったと思っています・・・今日はありがとうございました。」

 たったそれだけだった。短い挨拶あいさつの中で、育ててくれた祖父への感謝も、亡き母とのおもい出も語られることはなく、彩乃が家族について語ったのは本当にそれだけだった。祖父や丸山さん、そしてみずからの涙を誘うこともなかった。いかにも彩乃らしかった。彩乃は確かに前を向いていた。

 その日初めて彩乃と一対一で話したのは、退場の時だった。大勢おおぜいの参加者の相手をしなければならない新婦としては当然のことである。静かに見守るためだけに参加した顕也としても違和感はなかった。福富と茂子さん、そして丸山さんの後、顕也が彩乃の前に進む。彩乃と言葉を交わすのは、これが最後になるであろう。

「おめでとう。」

 それ以上の言葉は見つからない。

「ありがとう。」

 彩乃もそれ以上何も言わない。顕也の後ろには、まだまだ大勢おおぜいのゲストがひかえていた。彩乃がじっと顕也を見る。

「先生、ちょっとだけいい?」

 彩乃がそう言って、いかにも気心の知れた受付の女子に目配めくばせすると、すぐに彩乃のもとにバッグが届けられた。後ろに続くゲストの順番待ちを気にしながら、彩乃がバッグを開けて中から取り出したのは他でもない。あのテディベアのネックレスだった。彩乃がそれを両手で差し出す。

「先生、これやっぱり取っといて。」

 スピーチもそうだったが、過去にはとらわれないということであろうか? それにしては思い切りがよい。彩乃が主役のこの場では受け取るしかなかったが、念のために聞く。

「いいの? お母さんとのおもい出に取っとけばいいのに。」

 彩乃が首を横に振る。

「ううん。これはらない。」

 彩乃が一歩前に出て、顕也の首にそのネックレスを着けようと首に手を回す。彩乃の決意は固い。顕也は、されるがままに少し身をかがめて首を前に出す。彩乃の指先が顕也の首の後ろに達してそれぞれの横顔がぎりぎり視界に入るくらいにまで、二人が一瞬接近する。その時、彩乃がボソリとつぶやいた。

「ちゃんともってるから。」

 顕也には彩乃が何を言っているのか理解できない。彩乃が一歩引いてネックレスを着けた顕也の全身を見る。その似合わなさに難しい顔をする彩乃に、顕也が聞き返す。

「な、何のこと?」

「ふふっ。母があたしにくれたもの。」

「な、何だろう?」

 そう言って小さなネックレスを付けた首をひねる顕也に、次の瞬間、彩乃があのポーズをして見せた。はにかみながら、彩乃が人差し指を唇の前で立てる。

(しーっ、黙ってて!)

 その姿を見た者全員が、内緒にしてね、というゼスチャーだと感じたに違いない。真横に立つ新郎ですら何の疑いもなさそうである。おそらくただ一人その意味を理解する顕也は、返す言葉が見つからずに茫然ぼうぜんつぶやく。

「そうか・・・そうだった・・・」

 一方、彩乃は手品が上手うまくいった時のようにうれしそうに笑っている。

「美人の母がくれた。あたしはずっとそう思ってた。」

「・・・」

「先生もきっとそうだって・・・」

「だったね。」

「先生、ありがとね。」

 彩乃がそう言って両手で顕也の手を取ると顔を近付けて、ほおにキスをした。少し時間がかかったこともあって、いつからか参列者全員が二人に注目していた。新郎の友人であろうか? 列の後ろで一人の男子が指笛ゆびぶえを吹くと、福富が悪乗りして頭の上で大きな拍手をした。それに釣られて場内全員の拍手が沸き起こる。なぜか新郎も茂子さんも丸山さんも祖父もいっしょになって拍手をしている。彩乃のキスも全員の拍手も、これ以上ないくらい照れ臭いのをこらえて顕也が言う。

「こちらこそ、ありがとう。」

「何でありがとうなの?」

「何でだろうね、はははは。」

 みかけた拍手の中で二人が笑い合う。新郎が次のゲストと話し始めているのを彩乃が気にした。

「先生、元気でね。」

 彩乃はそう言うと、あわただしく次のゲストの方に振り向く。その後ろ姿に迷いはない。

(確かにあなたは美希の娘だ。)

 そう思ったが、その言葉は伝えないままになった。顕也も静かに会場に背を向ける。次の場所に行かなければならない。

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