ご主人様は待つしか出来ない
ヒロは信じられないものを見るようにノアを見ていた。
「お前電話切っちまってどうすんだよ!」
「しかも煽ってんじゃねえ!」
ノアはスマホの画面を見たまま答える。
「逆探知完了」
ヒロは固まった。
「え?」
「場所は分かったよ」
まるで天気の話でもするような口調だった。
「……は?」
ヒロは理解が追い付かない。
ノアはスマホを机へ放る。
「イヴがルートに疎くて良かったよ」
「なんでイヴなんだ?」
ヒロが聞く。
だがノアは答えなかった。
そのまま立ち上がる。
窓辺へ向かう。
カーテンを開くと、西日が部屋へ差し込んだ。
赤く染まった光。
昼間の明るさは消えかけている。
ノアは煙草を一本取り出した。
ライターの火が揺れる。
「これ吸ったら行くよ」
白い煙がゆっくりと空へ伸びていく。
ヒロは窓の外を見る。
夕日は沈みかけていた。
街も。
空も。
赤く染まっている。
胸の奥がざわつく。
理由は分からない。
だが。
このまま何かが壊れてしまう気がした。
「なあ」
ヒロは小さく呟く。
ノアは答えない。
煙を吐く。
「大丈夫なんだよな?」
返事はない。
「みんな無事で帰って来るよな」
ノアはしばらく黙っていた。
煙が夕焼けに溶けていく。
やがて。
「どうかな」
まるで他人事のような声だった。
ヒロは唇を噛む。
聞かなければ良かったと思った。
ノアは煙草を揉み消す。
立ち上がると、そのまま玄関へ向かった。
靴を履く。
ヒロはその背中を見ていた。
「行くのか」
ノアは振り返らない。
「行ってほしいでしょ?」
軽い口調だった。
ヒロは何も言えない。
確かにそうだ。
行かなければ何も始まらない。
だが。
嫌な予感が消えなかった。
「……なあ」
ノアが顔を上げる。
ヒロは少しだけ迷った。
それでも口を開く。
「ノア」
「命令だ」
ノアは一瞬だけ目を丸くした。
ヒロは続ける。
「絶対帰ってこい」
短い言葉だった。
ノアは数秒黙る。
それから。
ふっと笑った。
本当に少しだけ。
「了解」
いつもより素直な返事だった。
ノアは扉を開く。
赤い夕日が差し込む。
そして。
扉が閉まった。
いつもと同じ音。
のはずだった。
それなのに。
ヒロには少しだけ重く聞こえた。
そんな気がした。
──あれから五日。
何も分からないままだった。
ノアは帰ってこない。
レオンも。
イヴも。
ニコも。
誰一人として帰ってこなかった。
電話は繋がらない。
メッセージも返ってこない。
ヒロはソファに座ったままスマホを見つめる。
既読の付かない画面。
もう何度送ったかも覚えていなかった。
「……何やってんだろ」
小さく呟く。
返事はない。
テレビは点いている。
だが内容は頭に入ってこなかった。
サクラがマグカップを置く。
「コーヒーです」
「ああ」
ヒロは受け取る。
温かいはずなのに味が分からない。
沈黙。
時計の針の音だけが妙に大きく聞こえた。
「サクラ」
「はい」
「お前、本当に平気なのか」
サクラは少しだけ首を傾げる。
「平気ではありません」
即答だった。
「そう見えねえよ」
ヒロは苦笑する。
サクラは視線を落とした。
「信じていますので」
「誰を」
「ノア様を」
ヒロは何も言えなくなった。
自分も信じたい。
だが。
信じるには時間が長すぎた。
五日。
何も分からないまま待つには十分すぎる時間だった。
その時だった。
ガチャ。
玄関のドアノブを捻る音。
ヒロは勢いよく立ち上がった。
「ノア!」
反射だった。
五日間。
ずっと待っていた。
帰ってくると信じていた。
だから自然と名前が出た。
だが。
違った。
ドアスコープを覗く。
玄関の前に立っていたのはレオンだった。




