うちの奴隷が誘拐犯を煽るんだが
扉が閉まる。
急に静かになった。
残されたのはヒロとサクラだけだった。
ヒロは大きく息を吐く。
「絶対面倒なことになってるだろ」
嫌な予感しかしなかった。
サクラも不安そうに窓の外を見ている。
その時だった。
玄関の扉が開く。
ヒロが振り返る。
「ただいま」
聞き慣れた声。
ノアだった。
ヒロは思わず立ち上がる。
「遅えよ!」
ノアは靴を脱ぎながら首を傾げた。
「何かあった?」
その一言でヒロの苛立ちが爆発する。
「何かあったじゃねえよ!」
「ニコがいなくなったんだ!」
ノアの動きが止まる。
数秒。
沈黙。
「それで?」
ヒロは眉をひそめた。
「イヴに電話があった」
「ニコは生きてるって」
「一人で来いという内容だったそうです」
サクラが補足する。
ノアは小さく頷いた。
「それでレオンは?」
「イヴと一緒に行った」
ノアは数秒黙った。
「バカだな」
それだけだった。
「は?」
ヒロは理解できなかった。
「お前、心配じゃねえのかよ」
ノアは答えない。
代わりに部屋を見回した。
窓。
玄関。
廊下。
何かを確認するように。
そしてヒロを見る。
「もう家に誰も入れないで」
「は?」
「知り合いでも」
一拍置く。
「誰でも」
ヒロは眉をひそめる。
意味が分からない。
「なんでだよ」
ノアは答えない。
代わりにサクラを見る。
「いい?」
サクラは真剣な顔で頷いた。
「はい」
二人だけ話が通じているようだった。
ノアはそのまま浴室へ向かおうとする。
ヒロは反射的に腕を掴んだ。
「待て」
ノアが振り返る。
「ニコはどうすんだよ」
ノアは少しだけ考えた。
そして。
「そのうち向こうから来るよ」
平然と言った。
ヒロは理解できなかった。
「どういう事だよ」
ノアは肩をすくめる。
「狙いは僕だから」
ヒロは固まる。
「は?」
ノアの表情は変わらない。
焦りもない。
怒りもない。
まるで最初から分かっていたようだった。
「ヒロ」
ノアが小さく首を傾げる。
「気付かない?」
「何をだよ」
「イヴならハッキングして簡単に探せる」
ヒロは言葉に詰まる。
確かにそうだった。
スマホ。
監視カメラ。
位置情報。
イヴなら普通の人間より遥かに多くの情報へ辿り着ける。
なのに。
イヴは探しに行った。
レオンも一緒に。
ノアは静かに目を伏せる。
「まあ、いいや」
小さな声だった。
ノアは何かを知っている。
だが。
教える気はないらしかった。
ヒロだけが置いていかれていた。
ノアはそのまま浴室へ向かう。
「おい」
ヒロが呼び止める。
「風呂入ってくる」
「は?」
ヒロは思わず声を上げた。
「こんな時に風呂かよ」
少しだけ首を傾げた。
「こんな時だからでしょ」
意味が分からない。
ヒロが何か言い返す前に、ノアは浴室へ消えていった。
数十分後。
ノアは髪をタオルで拭きながらリビングへ戻ってくる。
何事もなかったような顔だった。
冷蔵庫を開ける。
缶ビールを取り出す。
ヒロの我慢が限界を迎える。
「お前いい加減にしろよ!」
ノアは缶を掴んだまま視線だけ向けた。
「なに」
「なにじゃねえ!」
ヒロは立ち上がる。
「ニコが攫われてんだぞ!」
「レオンもイヴも探しに行った!」
「なんでお前だけそんな平然としてんだよ!」
ノアは答えない。
代わりに缶ビールを冷蔵庫へ戻した。
その時だった。
スマホが鳴る。
部屋の空気が変わる。
ノアは画面を見る。
知らない番号だった。
「出ないのか?」
ヒロが聞く。
ノアは肩をすくめる。
通話ボタンを押した。
そしてスピーカーへ切り替える。
「……はい」
男の声が響いた。
『ニコを返して欲しければ──』
ノアは首を傾げた。
「ん?」
一瞬、相手が黙る。
「……あんた誰?」
『は?』
「誰?」
『いや、だから──』
「知らない番号だし」
ヒロは頭を抱えた。
今そこじゃないだろ。
『俺は……』
「あー」
ノアが小さく声を漏らす。
「聞き覚えあるなあ」
電話の向こうが固まる。
『なっ……』
「どこだっけ」
『うるさい!』
男が怒鳴った。
『それ以上言うとニコを殺すぞ!』
ヒロの顔色が変わる。
サクラも表情を引き締めた。
だが。
ノアだけは変わらない。
「勝手にすれば」
ヒロは絶句した。
「おい!」
思わず叫ぶ。
電話の向こうも黙った。
まるで予想していなかった反応だった。
数秒の沈黙。
ノアは興味を失ったようにスマホを持ち上げる。
「用が終わったなら切るね」
そして通話を切った。
静寂。
ノアはスマホを机へ置く。
「ほらね」
ヒロは眉をひそめた。
「何がだよ」
ノアは肩をすくめる。
「向こうから来た」
ヒロは言葉を失った。
その横顔を見ながら、背筋に冷たいものが走る。
やはり。
ノアは何かを知っている。
そしてそれは、自分が思っているよりずっと嫌な話なのかもしれなかった。




