第五話 聖女様は厚切りをご所望です
翌日の昼、アレンはセシリアと並んで王城の門を出た。
祝典の打ち合わせは、昼の鐘が鳴る前に終わった。旗の配置については昨日二人で確認を済ませていたし、新しく持ち込まれた依頼には、その場で返事をせずに済んだ。
午後の予定まで、一刻ほど空いている。
「どこかで食べていこうか」
アレンが尋ねると、セシリアは通りの先を見た。白い法衣の上には薄青い外套を羽織っている。神殿へ戻る馬車は、午後の訪問先に直接来てもらうことになっていた。
「勇者様は、何を召し上がりたいですか?」
「僕は何でも。君は?」
「私も、どこでも」
二人で立ち止まった。
通りには焼き菓子の店も、煮込みの匂いがする食堂もある。昨夜の芝居なら、ここで妻が高い店を選び、伯爵が財布を押さえるところだろう。ロゼなら少なくとも、何が欲しいかは勝手に喋る。
「じゃあ、神殿の近くの――」
言いかけると、セシリアが一度だけ別の方を見た。
角の食堂から、皿を持った給仕が出てきたところだった。店先の卓へ、骨のついた大きな肉が置かれる。焼けた脂が表面を流れ、客が受け取ったばかりのナイフを擦り合わせた。
「あの店?」
「……はい」
セシリアはアレンへ向き直り、少し声を落とした。
「肉が食べたいです」
「肉」
「薄く切って、葉の上に綺麗に並べたものではなく」
もう一度、店先の皿へ目をやる。
「厚いものを」
アレンは笑いかけ、慌てて口を引き結んだ。彼女が冗談で言っている顔ではなかったからだ。
「うん。僕も、あれがいい」
食堂へ入ると、給仕の女が二人を見て足を止めた。アレンが挨拶すると、今度は厨房へ駆け込んでいく。まもなく主人らしい男が現れ、奥の席を使ってほしいと言い出した。
「こちらで大丈夫です。午後に用事があるので、いつもの料理をいただければ」
「いつもの、と申しましても、その、今日は豚の焼いたのしか」
「それを二人分、お願いします」
主人はセシリアを見た。
彼女もはっきりと頷く。
「私にも同じものを。厚く切っていただけると嬉しいです」
厨房で何かが落ちる音がした。
料理は早かった。二人の前へ鉄の皿が置かれ、肉の焼ける音が会話を遮る。香草の匂いに混じって、焦げた脂の香ばしさが立ち上った。
セシリアは膝へ布を広げ、ナイフとフォークを持った。小さく切り分けた最初の一口を口へ運ぶと、目が少し大きくなる。
「……おいしい」
アレンも肉を切った。塩が利いていて、噛むと脂が出る。上品な席で何皿も食べるより、自分もこちらの方が好きだった。
「旅のときも、こういうのが好きだった?」
「はい」
「知らなかった。いつも皆に先に取らせてたから」
「残りをいただいておりましたので」
アレンはナイフを止めた。
いつも食事の最後まで席にいたのは、皆が食べ終わるのを見守っていたからだと思っていた。あれは、まだ食べている途中だったのか。
「足りてた?」
「日によります」
セシリアは二口目を飲み込んでから、真面目な顔で答えた。
「山越えの晩は、少し」
「あの日、僕がおかわりした」
「二度なさいました」
アレンは自分の皿を見下ろした。その端を差し出しかけると、セシリアが首を振る。
「今日は私の分がございます。ちゃんと」
肉は彼女の手のひらより大きく、まだ半分以上残っていた。
「そっか」
「次に足りないときは、申し上げます」
彼女はそう言って、笑った。
アレンも自分の皿を戻した。
食べ進めるうちに、彼女のナイフが骨の周りで止まった。角度を変え、皿を少し回す。まだ肉が残っているのだが、取りにくいらしい。
アレンは自分の骨を手で持ち上げた。
「僕はこうするけど」
セシリアがその手を見た。次いで自分の皿を見て、ナイフとフォークを静かに置く。
指先で骨を掴み、少しだけ持ち上げた。
「……皆様の前では、内緒にしてくださいね」
「うん」
口を寄せたところで目が合い、彼女が笑ってしまった。アレンもつられて笑い、慌てて口元を布で拭く。
厨房へ戻ろうとしていた給仕の女が足を止め、二人を見てから、何も言わずに新しい布を置いていった。
食堂を出ると、セシリアは主人へもう一度礼を言った。奥から顔を出した料理人にまで、美味しかったと伝えている。
アレンは通りの端で彼女を待った。午後の用事まで、まだ少し余裕がある。
「次も、食べたいものを教えて」
隣へ戻ってきたセシリアに言うと、彼女は頷いたあとで尋ねた。
「勇者様のお好きなものも、教えていただけますか」
「僕の?」
「今日は私が選びましたから。次は、勇者様に」
次があるらしい。
アレンは通りを歩き始めてから、自分が笑っていることに気づいた。
◆
その夜の宵待ち座で、アレンは衣装の留め具に苦戦していた。
隣でロゼが扇を畳む。今夜は公演がなく、二人とも稽古用の服だった。舞台では家令役の若者が、椅子の紫の布を外している。
「また、にやにやしていらっしゃる」
「してない」
「留め具が裏返しですわよ」
アレンは手元へ目を落とし、金具をひっくり返した。ロゼの口元に、腹の立つ笑みが浮かぶ。
「よほどおめでたいことがあったのね」
「別に。身近な人が、前より気楽に話してくれるようになっただけだ」
「まあ。あなた、お話を聞くこともできますの」
言うと思った。
アレンは今度こそ留め具を締め、ロゼを見る。
「向こうは君みたいに、喋る前から喧嘩を売ってこないからな」
「それは、ずいぶん我慢強い方ですこと」
「嫌なら嫌と言ってくれる。ありがたいよ」
ロゼが少し黙った。
今度はこちらの番だと、アレンは腕を組む。
「言い方ってものがあるだろ。君も、もう少し柔らかく」
「あなたが人を苛立たせなければ、私だってそういたしますわ!」
扇がアレンへ向いた。彼はその先を指で押し返そうとして、手を止める。扇を壊したら、ベルタに弁償させられる。
「ほら、もう怒ってる」
「人を怒らせるのが、お上手ですこと!」
「はいはい。続きは舞台で」
ベルタが通りかかり、二人へ紙を配った。アレンが開くと、新しい場面が書き足してある。
伯爵夫妻が、借金の取り立てを逃れるために離婚したふりをする。ところが夫も妻も、財産は自分が持っていくつもりなので、話がまとまらない。
「客が、あんたたちの揉めるところをもっと見たいと言ってる。短く足すよ」
「短く、ですわね」
「長くしたら削る。まず、妻が家を出るところから」
アレンは紙を脇へ置き、伯爵の椅子の隣へ立った。ロゼが裾を払って歩き出す。その先へ回り込み、片手を広げた。
「待て。それを持って出ていくことは許さん」
「首飾りでしたら、私がいただいたものですわ」
「家の金で買ったのだ!」
「では、あなたのお靴も家にお返しに?」
アレンは足元を見た。衣装の靴は磨かれた黒革で、伯爵の見栄にふさわしく金の飾りがついている。
「靴がなくては歩けぬだろうが」
「でしたら家にいらして。よくお似合いですわ、お屋敷と」
家令役が笑い、慌てて口を押さえた。
アレンは椅子を引き寄せ、そこへ腰を下ろす。
「よかろう。私は家に残る。お前は身一つで出ていけ」
「ええ。では、家に残る借金もよろしく」
立ち上がりかけたアレンを、ロゼが扇で制した。
「お掛けになって。ご自分でお選びになったのでしょう?」
ベルタが帳面へ顔を伏せた。アレンは椅子の肘掛けを握り、その笑い声が収まるのを待つ。
「……お前を追い出すにも、金がかかるのか」
「置いておくよりは、お安いかもしれませんわよ」
アレンはロゼを見上げた。扇を揺らし、余裕たっぷりに次の台詞を待っている。
その扇を、一度くらい止めてやりたかった。
「家令! もう一冊、帳簿を持て!」
「何をなさいますの?」
「お前を置いておく費用と、追い出す費用を比べる!」
「おやめになって!」
ロゼが一歩詰めた。そこでアレンはようやく笑った。伯爵として、精一杯いやらしく。
「なぜだ。身一つで出ていくのであろう?」
「化粧代まで細かく読み上げるおつもりでしょう!」
家令役が帳簿を開き、待ち構えるように二人を見た。
ベルタはもう、止めなかった。
「座長。食事の場面を増やしませんこと?」
ロゼの提案に、ベルタは帳面から顔を上げた。
「そこで何を揉めるんだい?」
「肉の切り分け方で、十分ですわ」
「俺が大きい方を取るのか?」
ヴァイスが口を挟むと、ロゼはにっこりと笑った。
「よくお分かりですこと」




