第51話「罪状朗読の長さ」
罪状の綴りは、指の幅ほども厚かった。
2日目の大広間は、初日より人が増えていた。柵に自分から入った女代官の話は、ひと晩で王都の食卓を一巡りしたらしい。傍聴の入りを捌く係の官が汗を拭いている。あの人は今朝も護衛に挟まれて敷居をまたぎ、柵の木戸を自分で開けて、留め金を自分で掛けた。二度目ともなると、書記官はもう筆を迷わせなかった。慣れというのは、こんな場所でも仕事をする。
朝いちばんに糾問方の文官が罪状の綴りを壇の脇の見台に据えると、傍聴の扇が音を立ててさざめいた。一年前の断罪では、罪状は羊皮紙4枚だった。毒も突き落としも濡れ衣も、全部載せて4枚だ。今度の罪はひとつしかない。代官による、無許可の即決処刑。罪がひとつで綴りが指の幅。厚さの理由は、読み始めてすぐに分かった。
「一件。冬の初め、領内の峠道において。名不詳の賊徒、男、齢およそ30。代官の命により、死」
「一件。同夜、同所において。名不詳の賊徒、男、齢およそ20。代官の命により、死」
一件ずつ、読むのだ。27件を、ひとつの型に流し込んで、ひとつずつ。
型は変わらない。変わるのは齢の見立てと得物の書付だけだ。鉈。山刀。手槍。読み上げる文官の声が嗄れ、水が差され、2人目に替わる。2人目も嗄れた。高い窓から夏の陽がじりじりと動いて床の光の四角が膝ひとつ分ずれるあいだ、朗読は終わらなかった。
長い。長いのは、わざとだ。
壇の上の王子は、綴りを見ていない。傍聴を見ている。一件また一件と数が積まれるたび、扇の陰の顔がどう動くかを検分している。27という数をひとつの塊で言えば、賊の討伐で終わる話だ。27回に割って朝から昼まで引き延ばせば、別の絵になる。血に飽いた女代官が来る日も来る日も人を吊るしていた——そういう絵をこの広間に描かせるための、これは長さだった。
だが、長さというのは注文どおりにだけ働く道具ではない。
最初のうち扇の陰で退屈をもてあそんでいた傍聴も、20件を過ぎるころには扇が止まっていた。一件、と読まれるたびに誰かがひとり死んでいる。名不詳の男。齢およそ、いくつ。それが27回。香油のにおいの中で、王都の貴族たちは生まれてこのかた数えたこともない数の死の点呼に朝から付き合わされている。野次も啜り泣きもない。数は、積もるとものを言う。あの人が谷で、俺に骨の髄まで教えたことだった。
俺は証人席から、読み上げの一件ずつを胸の内で引き当てていた。
一件、齢およそ30、鉈。あの冬のことなら、俺の体が覚えている。狙いは冬の蔵だった。飢えた谷に残った、最後の麦の在り処だ。あそこを焼かれるか担がれるかしていれば、春を待たずに谷は丸ごと死んでいた。読み上げの型には、峠を降りてきた側が何をしに来たのかが、一行も書かれていない。代官の命により、死。命じられる前に、連中の方が殺しに来ていたのだ。飢えた1,800人の、ひと冬分の命を。
5件の吊るしも、覚えている。捕えた5人にあの人は沙汰を申し渡し、翌朝、辻の楡で吊るした。嬲りは、なし。決めるまでの間に礼を欠くことも、決めてから迷うこともなかった。そういう朝を、王都の綴りは「一件」と数える。数え方としては正しい。正しいまま、何も伝えない。
名不詳の賊徒。王都の紙は、27人をひとりも名前で呼べない。呼べないまま、数だけを積んでいく。だが俺は知っている。あの27人には、名前のある者がいる。賊の生き残りで、いまは谷の雇い兵をしている男がいる。知っている名は名で言い、知れない者は年恰好と得物で。あの人はそれを全部帳面に書かせた。死んだ賊にまで頁を割く帳面を、王都は明日見ることになる。殺した側の帳面の方が、殺された者を人として数えている。数の外を作らない、というのは、そういうことだ。
傍聴の前列に、栗色の髪があった。
イレーネ嬢だ。毒を盛られた側としてあの断罪の場の原告席にいた人。今日は原告でも証人でもなく、扇の列のいちばん前にいる。読み上げが何件か進むたび、その顔がすっと壇の上へ向く。王子を、窺うのだ。一年前とまったく同じ仕草だった。あの日の末席の俺には、怯えなのか確かめなのか分からなかった。
いまは、分かる。
俺は一年、配給の列で人の目を読んで暮らしてきた。椀を受ける目、順を疑う目、量りを信じ始める目。あれは、風向きを読む目だ。盤の上に置かれた駒が、盤を持つ人の機嫌を測る目。イレーネ嬢は、怯えていただけだ。あの日も、今日も。毒を盛られた側の人が、盛った側の柵ではなく壇の上の味方の顔色を見て生きている。次の断罪の主役を決めるのは柵の中ではなく壇の上だと、あの令嬢は骨身で知っているのだろう。気の毒に、と思って俺はそちらを見るのをやめた。谷なら、ああいう目はふた冬で治る。
昼を回って、朗読は法の条規に入った。
代官の職権は徴税、配給、治安の維持にとどまる。生殺の沙汰は王権に専属する。ゆえに前記27件の死は、すべて無許可の処刑にあたる——文官が綴りを閉じると、その音が広間の隅まで届いた。それほど、広間は音をなくしていた。
あの人は、朗読のあいだじゅう立っていた。
開廷のとき、名代が柵の内に腰掛けを許した。あの人は礼を述べて、使わなかった。一年前、この床で3時間立ち通した人だ。手袋の手は体の前で組まれたまま、姿勢は一件目から27件目まで俺の見る限り指の幅ほども動かなかった。量られる側に立つと言った人は、立つ、の方も値切らない。
名代の杖が、床を打った。
「被告。罪状に、相違はあるか」
広間の耳という耳が柵に向いた。否認か、命乞いか。あの日と同じ賭けが扇の陰で立つ気配がした。
「性質には、相違ありませんわ」
あの人の声は、広間の隅まで通った。
「領の内側に手を出した敵は、必ず殺しました。逃がしませんでしたし、二度目も与えませんでしたの。それが私の谷の定めで、命じたのは私ですわ」
ざわめきが走り切る前に、あの人は続けた。
「相違は、数え方にございますの。ただいまの朗読は、27件のすべてを処刑と数えましたけれど——27のうち、得物を持って夜に押し入り、戦って死んだ者が22。捕えたのちに、沙汰を申し渡して翌朝に吊るした者が5。混ぜて数えると、帳尻が合いませんわ」
「被告の申し立ては、証拠を欠く」と糾問方の文官が遮った。「己の罪の数を、己の見立てで値切る心算か」
「値切りませんわ。5件でも、罪状の性質は変わりませんでしょう」あの人は文官の方を見もしなかった。「私が直して差し上げているのは、罪の目方ではなく、数え違いの方ですわ。……証拠でしたら、ございましてよ。私の帳面は、私の記憶より正確ですの」
名代が綴りの上で手を止めた。
「被告に問う。代官に生殺の沙汰の権なきこと、任にあるとき、承知しておったか」
「存じておりましたわ」
即答だった。言い逃れの口を、評議が開けて待っていたその口で、あの人は逃げ道を自分から閉めた。名代の眉が動く。
「承知の上で、なぜ命じた」
「捕えた5人を王都へ送れば、沙汰が谷へ戻るまでに、早くてひと月ですわ」あの人は名代をまっすぐ見た。「そのひと月のあいだ、峠の向こうには、5人の口から谷の蔵の在り処と護りの薄さを聞きたがる者たちがおりましたの。逃がしても、預けても、二度目が参りますわ。二度目は蔵を焼きますの。蔵が焼ければ、雪の谷で1,800人が飢えますわ。……権限は、雪を止めてはくれませんの」
「それは、罪を免れる申し立てか」
「いいえ」と、あの人は言った。「順序の説明ですわ。罪の言い訳は、しておりませんの」
評議の列が、顔を見合わせた。罪は認める。理由は述べる。許しは求めない。この組み合わせの被告を裁いた覚えが、たぶんどの官にもないのだ。書式にない者を前にすると、王都の紙は困る。困った紙の匂いが、壇の上まで漂っていた。
壇の上で、王子が立ち上がった。
「聞いたか、諸卿」声が広間に響いた。「22と5と、寸分違わず数えておる。人の命をだ。夜盗の始末を帳につけ、吊るした数を検算する。これが、諸卿の知る人の心か」
「数えない殺しは、隠れますのよ、殿下」
あの人の声の高さは、変わらなかった。
「数えた殺しは、こうして裁きの場に出ますわ。現に、出ておりますでしょう。……このような場をお望みでしたのなら、私の帳面は、殿下の願いどおりに働いておりますわ」
王子の顔から、勝ち筋の色が一瞬消えた。消えて、すぐ別の色で塗り直された。
「よかろう。ならば明日、その帳面を開く」王子は評議の列を見渡した。「被告みずからの手になる、死者の帳簿。谷の死という死を書き溜めた紙だ。被告の筆が幾人の死を書いたか、この広間に聞かせよう。虐殺の証文を、被告は自分で書き、自分で綴じ、自分で王都まで運んできたのだ」
「頁の順に、どうぞ」
と、あの人は言った。昨日と同じ注文を、一言も変えずに。
散会ののち、俺は門の外へ出た。
竈の火のまわりがいつもより明るかった。谷から早飛脚が着いたのだ。若い衆がひとり、6日の道を4日で駆けて、ブレヒトの文と板の写しを運んできた。ヨーゼフ司祭が竈の灯りで読み上げる。刈り入れの組割り、始まる。新麦の色づき、上々。峠の継ぎ荷、恙なし。領兵頭より言付け、留守は固い——。
板の写しは、ヴィムの手だった。棒切れで砂に字を書くところから始めた男の字が、いまは谷の触れを書いている。読み上げのひとことごとに、竈のまわりで頷きが動く。ゲルダ婆さんは麦の色づきのくだりを二度読ませた。
走ってきた若い衆は、竈の脇で膝を抱えて湯を啜っていた。4日で駆け通した足の裏は見なくても知れている。婆さんは椀の列の順をひとつも崩さず、そのかわり自分の椀から芋の欠けらを黙って移した。順は順、心づけは心づけ。帳面に載る方と載らない方を、谷の年寄りは間違えずに使い分ける。若い衆は俺を見つけると、湯を置いて背筋を伸ばした。騎士様、谷はやれてます。皆が言うんでさ。代官様の留守を空けとくのが、おれたちの仕事だって。蔵も量りも墓の窪みも、空けたまんまで待ってます、と。
「帰ったら、墓を埋めるのかい」と、子どもが訊いた。
「帰ったらね」と婆さんが答える。「新麦が蔵に入ったら、埋めるんだよ。空のまま埋め戻す墓ってのはね、坊や、いちばん上等な墓なのさ」
空の墓の話で笑う所帯を、王都の壁が黙って見下ろしている。俺は飛脚の紙の端を借りて、月次の下書きに刈り入れの件を書き足した。王都の広間が死んだ賊を27回数えていた同じ日に、谷は生きている者の組割りを数えていた。どちらも数える話だ。数えるものが、違うだけで。
明日は、死の帳簿の番だ。王都の紙が名を呼べなかった27人を、谷の帳面は名前で呼ぶ。どちらの紙が死者に対して正直か、扇の数だけ耳のある広間で、読み比べられることになる。




