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うちの悪役令嬢は慈悲を知らない。だから俺たちは生きている  作者: 夜凪 蒼


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第50話「彼女を、どこに立たせるか」

王都に入った日の夕方、あの人より先に、帳面が運ばれていった。


箱馬車から降ろされた行李が3つ。死の帳簿と証文の綴り、それに俺の月次の控えが一年分。書記官が目録を読み上げ、封蝋つきの縄が掛かり、荷は評議の預かりとして王宮の書庫へ入っていく。受け取りの書庫係は白髪の老人だった。行李の中身を目録と引き合わせながら、これは何の帳面か、と護衛の頭に訊く。谷の、死んだ者の名前だ、と頭が答える。老人は綴じの傷んだ角を指で直してから、箱に納めた。紙を長く預かってきた手は、紙の重さで中身を量るものらしい。


護衛の頭は引き渡しの口上で、護送は恙なし、と述べた。述べてから、間があった。書き加えることは、と書記官に促されて、頭はこう結んだ。途中、街道にて領民らの同行あり。武器なく、狼藉なし。——以上。50人の見送りを書き取る書式は、王都のどの綴りにもないらしい。書記官の筆が、置き場を探して宙で止まっていた。


あの人は護衛に挟まれて、北の塔の預かりになった。石段を上がっていく藍の背中は、谷の蔵を検めに行くときと同じ速さだ。俺には兵舎の客房が割り当てられた。召喚された証人は王宮の目の届く場所に置く、という決まりだそうだ。監視役として谷へ送られた俺が、帰ってきた王都で監視される側の寝床をあてがわれている。一年で、置き場所が入れ替わった。


暮れ切る前に、門の外へ出た。


谷の連中は、街道脇の草地に竈をふたつ起こしていた。石を組み、椀を並べ、寝る場所は年寄りから順に風下へ割ってある。ゲルダ婆さんが杖の先で椀の列を指図して、若い母親が柄杓を持つ。順は年寄りと子どもから。量る手つきに迷いがない。王都の壁の根元に、谷がひと粒だけ転がっている。


「検めなら済んでるよ」と、婆さんは訊く前に言った。「あの人の言いつけだからね。留守の谷の作法でやってる。……で、中はどうだい。柵だの席だの、偉い人らが揉めてるんだって?」


耳が早い。門の衛兵と、もう世間話をする仲になったらしい。婆さんは竈の火を見たまま続けた。


「あんたは中の持ち場、あたしらは外の持ち場さ。……それよりひとつ教えとくれ、騎士様。あの人は、飯を食ってるかい」


「塔の膳は、規定どおり出るそうです」


「規定どおり、ね」婆さんが鼻を鳴らす。「あの人はね、椀が欠けてても文句を言わない人だよ。文句が出ないからって足りてると思ったら大間違いさ。規定の方を検めな」


4順位の婆さんが、代官の椀の心配をしている。ふた冬前には、黙って忘れられていた側の人が。竈の脇ではヨーゼフ司祭が夕の祈りの支度をしていて、並ぶのは検めが済んでからじゃよ、と子どもに笑っていた。祈りが量りの後ろに並ぶ。この小さな所帯の作法は、隅々まで谷のものだ。


門番たちは、この所帯を持て余しているらしかった。物乞いなら追える。座り込みで道を塞ぐなら引き立てられる。ところがこの連中は道を塞がず、椀は使うそばから洗い、荷は荷車の分から一歩もはみ出さない。追う口実になる乱れが、探してもひとつも出てこない。若い門番が俺の肩章を見て、そっと訊いてきた。騎士殿、あれは、何の一団なのですか。答えは短くて済んだ。谷だ。それ以上の説明は、俺の手にも余る。


坂を戻りながら振り返ると、火のまわりで子どもがふたり、椀を数える節をうたっていた。誰の数え方かは、考えるまでもない。あの節を覚えた子は、椀の中身で冬を二度越えた子だ。数えられた側の子が、数え方をうたにして王都の壁の下で歌っている。


夜、兵舎に書付が届いた。


召喚状だ。審問の座組みが書いてある。王の名代として老齢の公が座り、左右に評議の列。糾問はルーペルト王子の側が執る。証人、ボルツ男爵家蔵方頭フンケ。証人、王命調査団長セヴェリン伯。証人——月次報告の筆者として、レンツ・カルステン。


俺は、紙の側から呼ばれている。あの人の隣にも後ろにも立てない。書いた者として、書いたものの隣に立つ。蝋燭の下で座組みを眺めているうち、妙なことに気づいた。この紙のどこにも、あの人を守る側の席がない。糾問する側、検める側、証す側。守る側だけが、書式ごと抜けている。抜けていることに、たぶん王都の誰も気づいていない。


ヨルクが夜更けに顔を出して、餞別の砥石はどうした、とだけ訊いた。使い減らした。そう答えると、砥石の礼にしては上等な土産だな、と壁の外の方へ顎をしゃくる。門の外の話は、もう兵舎まで届いているのだ。ヨルクはそれ以上は何も訊かず、杯をひとつ置いて出ていった。訊かないでいてくれることが、この晩いちばんの馳走だった。


杯を空けてから、机に紙を広げた。月次の、最後の一通の下書きだ。護送の道中と、門前の顛末と、門の外に残った者の頭数。書きかけて、宛先のことを考えた。この紙が届く先の机は、いまや俺を証人に呼んだ机と同じものだ。それでも書く。ありのままに書けと言ったのはあの人で、最後の一通を忘れるなと言ったのもあの人だ。ペンは、谷を出た朝より軽かった。


開廷は翌朝だった。


大広間は、夏の盛りだというのに、一年前と同じ冷え方をしていた。磨かれた大理石が、靴底から膝へ冷えを送ってくる。あのとき俺は正面扉の脇、衣紋掛けの隣で式典槍を持って立っていた。いまは証人の席から壇を見ている。傍聴の席は扇で埋まり、香油のにおいが天井の下に溜まって、見世物の匂いまであの日と同じだ。


違うものが、床の真ん中にひとつ増えていた。


柵だ。生木を組んだ、胸の高さの四角い囲い。罪人を入れて裁くための寸法のものが、一年前あの人が立っていたあたりに据えてある。木の白さが磨かれた床の上でいやに新しい。この審問のために、あつらえたのだ。


その柵を挟んで、開廷の前から揉め事が続いていた。


評議の官が名代の耳元で何か言い、書記官が書式を繰る。漏れてくる中身はこうだ。被告は重罪の咎で審問に付される身。されど代官職は解かれておらず、現職の代官を柵に入れた前例がない。柵の内に立たせるか、職ある者として席を与えるか——。


「絵の話でござるよ」と、隣で低い声がした。証人席の端に、いつのまにかセヴェリン伯が座っていた。「柵に入れれば、沙汰の前から罪人の絵が出来上がる。席を与えれば、王家が代官の職を認めた絵になる。どちらに立たせるかで、審問の色が半分決まる。……ゆえに、誰も決められぬ」


「伯は、どちらだとお考えですか」


「私の考えは、宣誓の下で述べる。それまでは誰にも売らぬ」伯は壇の方を見たまま言った。「ひとつだけ先に言うておくとな、騎士殿。立たせる場所で色をつけねばならぬ審問は、中身に自信のない審問でござるよ」


壇の上では王子が名代に何か言っている。声は届かないが、指の先は柵を差していた。


そこへ、あの人が入ってきた。


藍の上着のままだった。護衛に挟まれて敷居をまたぎ、扇のざわめきの中をまっすぐ歩いてくる。歩幅が変わらない。床の冷えも扇の数も、あの人の歩幅には障らない。書記官が進み出て、どこにお立ちいただくか、と口ごもりながら訊いた。訊き方そのものが、立ち位置の決まっていない白状だった。


あの人は足を止めて、床の真ん中の柵を見た。生木の囲いを、蔵の俵でも検めるように上から下まで。それから名代の側に据えられた、布掛けの椅子へ目をやった。


「あちらは、量る側の席でしょう。量る側の席でしたら、谷に置いてまいりましたわ」


柵の木戸を自分で開け、内側に入り、留め金を自分の手で掛けた。


「量られる側に、立ちますの」


広間がざわりと鳴って、鳴りやんだ。


俺は、帳面の最後の頁を思い出していた。管理の責にある者。自分の名前。空いたままの死因の欄。あの人は谷で、量る者を量りの外に置かないと決めて、自分の名を帳面に書き入れた。柵の留め金を自分で掛けるのは、あの一行の続きだ。入れられたのではない。名前を書き入れたのと同じ手で、入った。


壇から、王子が降りてきた。


一年ぶりに間近で見るルーペルト王子は、あの日より線が細く見えた。顔立ちの話ではない。壇の高さから床に降りると、柵の中の人と目の高さが並んでしまう。並んで見えることが、たぶんこの人にはいちばん障る。


「久しいな、ディートリンデ」


「ご機嫌よう、殿下」


「変わらんな。……谷で人を殺し、王都までの道々で民に慕われ、柵には自分から入る」王子は柵の生木に目を這わせた。「何のつもりだ。憐れみでも買うのか。それとも、まだ何か企んでいるのか」


「罪状は明日、読まれるのでしょう。事実の確認は審問でなさいまし。企みの有無も、紙に出ますわ」


「紙、か」王子の口の端が歪んだ。「一年前もそうだった。命の懸かった場で、お前はいつも帳面の顔をする。妃の座を失う日も、流刑の朝も、こうして命を量られる日もだ。……分からん。命が、惜しくないのか」


「惜しいかどうかは、この審問の争点ではございませんでしょう」


声の高さは、麦の値段のままだった。王子はあの人の顔を長いこと見て、探しているものを見つけられず、踵を返した。一年前、泣いて許しを乞う元婚約者の絵が手に入らなかった人だ。一年経っても、命乞いをする罪人の絵を手に入れられない。その絵の棚が、あの人の中には最初からないのだ。棚がないことを、王子はまだ知らない。一年前から、何も知らないままでいる。


名代の老公が、杖で床をひとつ打った。


開廷の口上は短い。審理するは、ヴェルデン代官による無許可の即決処刑の咎。争うべきは、代官なる職に即決処刑の権ありや否や。本日は座組みの宣明と証拠の受け入れ。罪状の朗読は明日。証人の吟味はその後。評議の預かりとなった帳面の類は、明日より順次この場で開かれる——名代はそこで言葉を切り、柵の中へ目をやった。被告に、申し立てはあるか。


「ひとつだけ」と、あの人は言った。「帳面は、頁の順にお読みくださいまし。抜き読みは、数え違いのもとですわ」


裁かれる者が、裁く側に帳面の読み方を指図したのだ。評議の列に苦い顔が並ぶ。名代だけが、心得た、と短く応じる。老いた声は、どちらの側とも読めなかった。


散会の人波の中で、あの人が柵の内から俺を呼んだ。


「レンツ。門の外の椀の順を、検めておきなさい」


「昨日の夕、検めました。年寄りと子どもから。狂いはありません」


「結構。……それから、谷の新麦が蔵に入る日が知れたら、司祭様から婆さんたちへ伝えて頂きなさい。初荷が入れば、墓を埋め戻す日取りが決まりますわ。門の外の者にも、帰る日の目安が要りますの」


自分の審問の初日に、あの人が検めたものはふたつ。門の外の椀の順と、谷の帰る日だった。書記官が筆を止めて、書くべきかどうか迷っている。書いておけ、と俺は思った。それがこの被告の、ありのままだ。


広間を出るとき、一度だけ振り返った。


柵の生木の白さの向こうで、あの人は次の検めでも考える顔で立っていた。今夜も王宮の書庫では、谷の紙が眠る。死の帳簿。証文の綴り。俺の月次、一年分。谷の書いたありのままと、王都の描きたい絵。どちらが紙の上で強いのか、明日から量りに載る。


明日、帳面が開かれる。

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