第48話「護送ではなく行進」
護送は、谷の入り口を出たところで止まった。
先頭の護衛が馬を止め、後ろを振り返って何かを確かめている。あの人を乗せた箱馬車の後ろに、谷がついてきていたからだ。ブレヒトが先頭で、ヘルガと司祭が続き、ゲルダ婆さんが杖をついて歩いてくる。テオも、ベルタも、剣を置いた残党たちも。誰も武器を持っていない。荷もほとんど持っていない。ただ、馬車の後ろを歩いていた。
護衛の頭が馬を返してきた。
「何のつもりだ」
規律のいい連中だ。声には苛立ちより戸惑いが勝っていた。
「お前たちは、何をしている。武器は持っていないようだが」
「見送りでさ」とブレヒトが答える。村長は揉み手をしなかった。谷に量りが来る前なら、貴族の前で揉み手が先に出た男だ。「お見送りに、ついてきております。それだけで」
「見送りは、谷の入り口で済んだはずだ」
「いえ」ゲルダ婆さんが杖をついて前に出た。「あたしらの見送りは長いんでさ、お侍さん。代官様が王都に着くまでが、見送りだ。途中で帰る見送りなんて半端なことは、あたしらの谷じゃしないんですよ」
頭は答えに詰まった。
武器を持った群れなら斬ればいい。荷を狙う賊なら追い払えばいい。だが、武器も荷も持たずに見送りだと言って歩く年寄りと女子どもを、どう扱えばいいのか。護衛の作法に、その項目はなかったらしい。頭は箱馬車の方を見た。指図を仰ぐ目だ。
箱馬車の窓が開いた。
「お通しなさい」と、あの人の声がした。護衛にではなく、谷にだ。「見送りなら、結構ですわ。ただし、武器は取らない。道を塞がない。隘路では護衛の邪魔をしない。……それを守るなら、好きなだけお歩きなさい」
窓が閉まる。
それで決まった。護衛の頭はしばらく迷い、馬を先頭へ戻した。武器のない見送りを止める理由が見つからなかったのだ。止めれば、こちらが年寄りと女子どもに剣を向けた形になる。本物の善意の調べについてきた護衛には、それだけはできなかった。
こうして、護送は行進になった。
箱馬車が1台、護衛が6騎、その後ろを谷が歩く。出たときは20人ほどだった。峠を越えるころには30人になっていた。野良の男が鍬を置いて加わり、子どもらが母親に手を引かれて続く。武器は誰も持たない。あの人の後ろを、ついていく。
俺は護衛の隊列と谷の群れのあいだを歩いていた。
護衛でもあり、谷の者でもある。谷の言葉と王都の言葉、どちらの訛りで話すのか——決めかねてきた問いの答えが、足の方に先に出ている。俺の足は谷の側の速さで歩いていた。馬の速さではなく、ゲルダ婆さんの杖の速さに合わせて。
隊列の速さも、結局はそれに合った。馬は歩みを緩め、箱馬車の車輪はゆっくり軋みを刻む。王都の定めた護送の日程が、谷の年寄りの足に合わせて延びていく。誰も、それを咎めなかった。
峠の上で、谷を振り返った者がいた。
司祭だ。老人は一度足を止めて、谷の方を見た。配給の煙がまだ細く上がっている。残った6騎が谷を見張っていても、量り場にはヘルガの代わりが立ち、配給は止まらない。あの人の組んだ仕組みは、あの人がいなくても回る。司祭はその煙へ低く祈りの文句を唱え、また歩き出した。
「司祭様」と、俺は並んで訊いた。「これは、何になるんです。あの人を救えるわけじゃない」
「救えんよ」司祭は事もなげに言う。「これは救いではない。立会いじゃ」
「立会い」
「人が裁かれるとき、誰も見ておらん場ほど恐ろしいものはない」老人は杖代わりの枝をつく。「王都は、あのお人を谷から引き剥がして、誰も知らぬ場所で裁きたいのじゃ。引き剥がして、孤りにして、絵を描く。流刑の罪人が人を虐げた、という絵をな。……じゃが、谷がついていけばどうなる。裁かれるあのお人の後ろに、あのお人に生かされた谷が立っておる。絵が描けんようになる。それが、立会いの力じゃよ」
絵が、描けなくなる。
王都は絵を描こうとしている。流刑の罪人が人道に欠ける統治をした、という絵を。だが、その絵の後ろに生かされた谷が立っていれば。生きている1,800のうちの30が、裁きの場のそばに立っていれば。絵は嘘になる。武器ではなく立会いで、絵を壊す。それが谷の足の選んだ形だった。
「あのお人は、これを許したのう」と司祭が言う。「見送りなら結構、と。……分かっておられるのじゃ。武器を取れば叛逆になる。じゃが、立ち会うだけなら谷は罪に問われん。武器のない見送りを、罪には問えんでな。あのお人は、谷が自分を救う形をひとつだけ許した。武器を取らぬ、という形をな」
許した、という言葉が胸に残った。
命令に半分背いた谷を、あの人は咎める代わりに、背き方の作法を与えた。叛逆はさせない。だが、立ち会わせる。その細い線の上を谷の足が歩いている。
「司祭様は、なぜ歩くんです。祈りなら、谷からでも届くでしょう」
「届くとも」老人は前を向いたまま答える。「じゃが騎士殿、祈りにもな、聞かせたい相手との間合いというものがあるのじゃよ」
それきり司祭は口をつぐんで歩いた。間合い、という言葉の相手が神なのかあの人なのかは、訊きそびれている。
最初の夜は、街道沿いの野原で野営になった。
護衛は街道脇の宿場に泊まる手はずだったらしい。だが谷がついてくる以上、あの人を宿場に入れて谷を野原に残すわけにもいかない。頭は結局、一行ごと野原に泊めることにした。箱馬車を真ん中に、護衛の天幕、その外に谷の焚き火。三重の輪が夏の夜の野原にできあがっていく。
谷は自前の糧で食った。
行進に加わった者はそれぞれ、わずかな麦と乾し肉を持ってきていた。客の膳は配給と同じ椀、と決めた谷だ。見送りの膳も自分たちで持つ。ヘルガが焚き火で谷のやり方の麦を炊き、配給と同じ量を配給と同じ順で配る。年寄りと子どもから先に。野原の真ん中でも、谷は谷の作法を崩さない。崩さないことが、もう一つの抗いだった。
焚き火の輪の端では、ゲルダ婆さんが椀の検めを子どもにやらせていた。目の検めは年寄りの仕事、と言いながら。谷の作法が、野原の上でも次の手に渡っていく。
子どもの一人が、箱馬車の方を見ていた。
新参の17人のうちの、あの6つの女の子だ。母親の膝の上で、箱馬車の窓をじっと見ている。あの中に代官様がいる、と知っているらしい。あの子の生まれた村は、調べのあとで椀をくれなくなった村だ。その子がいま、椀を抱えて代官様の見送りに来ている。生きて、見送りの輪の中に。母親は粥を、先に娘へ食わせていた。順番は、野原の上でも生きている。
夜半、俺は箱馬車の脇に立った。
見張りの番だ。護衛の番と谷の番が交代で立つことになっていた。腰の剣は、この道中でいちばん軽い荷物になっている。抜く相手がいない。守る役は、谷の足が引き受けている。窓の隙間から灯りが漏れていた。あの人は中で何か書いているらしい。書いている、と分かって少し息が楽になる。書く人は、まだ勘定をやめていない。
「レンツ」と、窓の中から声がした。
「……はい」
「あなたの月次は、どうしますの」
不意打ちだった。月次報告。王都への、監視役の務め。最初の朝から書いてきた紙のことが、王都へ向かう道の上で問われている。
「……書きます。いつも通り、ありのままに。視察団の到着、聞き取り、沙汰、護送——事実を書いて送ります」
「この行進も、書きますの」
「書きます」喉が乾く。「武器を取らない見送りがついてきている、と。事実ですから」
窓の中で、しばらく間があった。
「あなたの紙は、王都の机で谷の不利に読まれますわ。代官に谷ぐるみで肩入れする見送りがついた、と。叛逆の芽だ、と読む者もいますの。……それでも、書きますの?」
答えるまでに、俺は野原の焚き火をひとまわり見た。書けば、あの人を害するかもしれない。書かなければ、ありのまま、という原則を俺が破る。報告はありのままに書きなさい——最初の朝の、あの人の指図だ。ここで曲げれば、俺の紙は全部嘘になる。あの人が自分の帳面を、賊の頁ごと差し出したように。
「書きます。あなたが帳面を隠さなかったように、俺も隠しません。……俺の紙があなたを害するなら、それは、俺の正直の責任です」
見たままを書く。害に変えるのは書く者ではない——いつかセヴェリン伯が言った構えを、俺はあの人に向かって口にしていた。立会いと報告は両立する。武器を取らずに歩くことと事実を書くことは、同じ正直の裏表だ。
「……結構ですわ」と、あの人は言った。「それで、よろしいの。あなたの紙は、私の不利に見えて、谷の有利に働きますわ。前にも申しましたでしょう」
窓の灯りが、また書き物の影を映した。あの人は書いている。俺も明日、書く。2人とも、ありのままを。その紙が審問でどちらに転ぶのかまでは、灯りは映さなかった。
行進は翌日、本格的に街道へ出た。
街道を行く者たちが、この奇妙な隊列を振り返っていく。箱馬車と護衛と、その後ろの武器のない群れ。塩売りや行商が足を止めて見ている。何の隊列だ、と訊く者に、谷の誰かが答えた。うちの代官様の見送りでさ。王都まで、ついていくんで——。
昼には、見覚えのある宿場を通った。谷へ下る道中、あの人が宿の主人に麦の値段を訊いた宿場だ。板を打ちつけた店は、あのころのままだった。戸口に出た宿の主人が、隊列を長いこと見ている。あの人の箱馬車が通るとき、主人は帽子を取った。値段を訊かれた側が、覚えていたらしい。麦は今年も高いのだろう。それでも、脱がれた帽子の分だけ、街道の空気は変わっていた。
道々、加わる者もいた。
ヴェルデンの噂を街道で聞いていた者たちだ。量りの狂わぬ谷、書いた通りに払う代官。その代官が王都へ連れて行かれると知って、隊列の端に黙ってつく。元は谷から出た者もいれば、歌で名を知ったきりの者もいた。谷の30が、街道で少しずつ数を増やしていく。武器のない列が、歩くほどに長くなった。
噂も、また街道を歩き始めた。
谷の女将の量りは狂わぬ、という歌が街道を歩いたように、今度は別の話が歩く。飢えた谷を立て直した女代官が王都へ連れて行かれる。その後ろを、谷ごと見送りがついていく。武器も持たずに。吊られた賊の話よりも、その話の方がたぶん遠くまで歩く。語る者の誰も、あの人の顔を知らない。知らないまま、椀と量りの話だけが正確に伝わっていく。あの人が聞いたら、それで結構、と言いそうだった。
王都はあの人を孤りにして裁くつもりでいる。孤りには、ならなかった。武器のない列は明日も長くなるだろう。城壁までは、まだ数日の道がある。列の誰も急がない。急がない足が、いちばん止めにくい。俺の月次より先に、噂が王都の門に着く。どちらが先に机で開かれるかは、机の側が決める。




