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うちの悪役令嬢は慈悲を知らない。だから俺たちは生きている  作者: 夜凪 蒼


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第47話「鋤と剣」

護送の朝も、配給は出た。


谷がいつも通りには戻らないと決めても、ヘルガとベルタは量り場に立つ。ひと晩じゅう広場にいた連中も、配給の刻限には列を作った。椀を抱えて麦を受け取り、また広場へ戻っていく。仕事は止まっても、配給だけは止めない。それが谷の、せめてもの折り合いだった。あの人の組んだ仕組みは、あの人を連れて行く朝にも回っている。回るように組んであったからだ。


列の3番目にゲルダ婆さんがいた。


婆さんはいつものように、量りの皿の麦を自分の目で確かめてから受け取った。昨日、彼女に嫌だと言った老女が、今朝も彼女の組んだ列に並んでいる。奪い返したい人の量りが、今朝もその椀を満たしている。奪い返してはいけない理由は、説けば長い。婆さんの椀の中には、最初から入っていた。


量りの前を離れるとき、婆さんは俺に気づいて足を止める。


「騎士様。あんた、王都までついていくんだろうね」


「行く」


「なら、いい」婆さんは椀を抱え直した。「あの人の椀が最後尾のままか、あんたが見てるんだよ。王都の連中は、順番てものを知らないからね」


配給は最後尾。あの人の作法を、婆さんは王都まで持たせるつもりでいる。


その配給の脇で、別のことが起きていた。


谷の鍛冶場に、人が集まっていた。


グンナルの鍛冶場だ。炉に火は入っていない。護送の朝に鞴を踏む気は、老鍛冶にもないらしい。冷えた炭と鉄の匂いの中で、壁の掛けを刈り入れの鎌が埋めている。秋を信じて打たれた鎌の列だ。その前に谷の男たちが10数人立っていた。テオがいる。木挽きが2人、野良の男が数人、ヴェンツェルの組の残党も混じっている。誰も口を開かない。何を考えているかは、鎌の列を見る目つきで分かった。


鎌は刃物だ。研げば、武器になる。


「やめておけ」


最初に口を開いたのはハイラムだった。鍛冶場の戸口に肩で寄りかかり、煙草に火を点けないまま男たちを見ている。


「お前たちが何を考えてるかは、顔に書いてある。鎌を研いで、護送の隘路で待ち伏せて、6騎を仕留めて、お頭を奪い返す。……できなくはねえ。俺が指揮を執りゃ、半分は仕留められる。だがな。その先を、お前たち勘定したか」


「勘定なんざ」とテオが言いかけた。


「するんだよ」ハイラムが遮る。「この谷じゃ、勘定するのが流儀だろう。お頭にそう仕込まれたはずだ。……いいか。6騎を仕留めたとする。お頭は戻る。めでたい。それで明日は? 明後日は? 王都は護送が消えたと知る。次に来るのは6騎じゃねえ、60騎だ。賊じゃねえ、王軍だ。谷は叛逆の土地になる。杭は焼かれ、蔵は奪われ、お前たちの女房子どもは、賊の冬どころじゃねえ目に遭う。……それをお頭が望むと思うか」


男たちが黙った。


「お頭は、自分一人を差し出して谷を買ったんだ。お前たちが鎌を研げば、その買い物が無駄になる。お頭が一番嫌うのは、払った代金が無駄に捨てられることだ。……これは実利の話だ。情の話じゃねえ。鎌を研ぐのは損だ。それも、でかい損だ。傭兵を40年やった俺が、算盤を弾いて言ってる。やめておけ」


実利の人が、実利で止めていた。


一分の隙もなく正しい。鎌を研いで得るのはあの人一人、失うのは谷の1,800。あの人の物差しで量れば答えは出ている。40年、人の命に値をつけてきた男の算盤は、こういう朝のためにある。情で止めれば言い返せるが、損得で止められると言い返す口が塞がる。男たちも分かっていた。分かっていて、なお鎌の前から動けない。研ぎ石はグンナルの足元で乾いたままだ。


算盤に足すものは、俺にはない。それでも、算盤で止められた足は、算盤では前に向かない。男たちの目がまだ鎌の列にあるのが、その証拠だった。


俺の持ち合わせは、別の言葉だ。


「鎌を研ぐな」と、俺は言った。男たちがこちらを見る。「ハイラムの言うとおりだ。実利で言えば損だ。……だが、俺が言いたいのは実利じゃない。騎士道の話だ」


「騎士道?」テオが眉を寄せた。


「俺は騎士だ」喉の奥がひりつく。「正しいもののために剣を抜く、と誓って騎士になった。困っている者のため、弱い者のため。……この谷へ来る道中の俺は、その誓いをあの人のためには使わないと思っていた。あの人は正しさとは別の場所にいる人だと思ったからだ。慈悲を知らない、量りの人。騎士道とは反対の人だと」


男たちは黙って聞いていた。


「だが、見てきて分かった。あの人の量りは、俺の騎士道よりよほど多くの人を生かしてる。俺の騎士道は、賊の少年を見逃して、爺さんを一人死なせた。あの人の量りは、誰も数の外で死なせなかった。……どっちが正しいのか、俺にはまだ分からない。だが、ひとつ分かってることがある。あの人を鎌で奪い返すのは、騎士道じゃない。あの人を谷ごと賊にするのは、あの人を守ることにならない」


「じゃあ、どうしろってんだ」テオの声が震える。「黙って見送れってのか。あの人を王都にくれてやって、俺たちは、鎌を、刈り入れに使えってのか」


「そうだ」と、ハイラムが言った。


「違う」と、俺は言った。


2人の言葉がぶつかる。ハイラムが俺を見た。


「違う、とは」


「鎌は研がない。だが、見送るだけでもない。……武器を取らずに、あの人についていく方法がある気がするんだ。まだ形は分からない。あの人は、いつも通りの朝を続けろと命じた。谷はそれに半分背いた。武器は取らない。だが、いつも通りにも戻らない。……その半分の背きを形にする道が、あるはずだ。鎌でも、刈り入れでもない、第三の」


男たちが俺を見ていた。


第三の、と言ったものの、俺にも形は見えていない。見えていないのに口が先に言った。あの晩、賊の少年に向けて下げた切っ先と同じだ。何かが違うと分かるのに、正しい形が見えない。今度は、分かっていることが一つだけ多い。鎌は違う。剣も違う。あの人を守るのは、刃物ではない。


グンナルが、鎌を一本壁から外した。


老鍛冶はそれをしばらく手の中で見ていた。研げば武器になる鎌。打ったときは、秋を信じて打った鎌。それからグンナルは、鎌を壁に戻した。


「……刈り入れの鎌だ」と、グンナルは言った。「賊の血を吸わせるために打ったんじゃねえ。麦を刈るために打った。……俺は研がねえ。刃の向きを、変えねえ」


刃の向きを、変えない。


それが鍛冶屋の答えだった。鎌は鎌のまま。麦のための刃を、人のための刃に変えない。ハイラムの実利とも俺の騎士道とも違う答えが、いちばん芯を外していなかった。男たちが一人、また一人、鎌の前から離れていく。鎌は壁の掛けに残った。秋を信じたままの向きで。


グンナルは火の入っていない炉に向き直った。刈り入れが済めば、この炉は鋤の打ち直しで火が入る。鎌の次は鋤、鋤の次は蹄鉄。鍛冶屋の暦のどこにも、武器の順番はない。


最後まで残ったのは、ヴェンツェルの組の残党だった。


賊だった男たちだ。鎌より剣のほうが手に馴染む連中で、その男たちがいちばん長く鎌の列を見ていた。ヴェンツェルは戸口の脇から、何も言わずにその背中を見ている。口を出す必要がないことを、元賊の頭は知っていた。選ばれて生きた男たちは、もう分かっている。剣を取れば、あの人が自分たちを生かした選別の意味ごと消える。


残党の一人が、腰の剣を鞘ごと外して、鍛冶場の隅に置いた。


それを見て、もう一人が続く。賊だった男たちが、剣を置いていく。武器を取るために集まった男たちが、武器を置いて出ていく。奪う側だった手が、奪わないために剣を下ろしている。積まれた剣はどれも鞘のままで、抜き身は一振りもない。鍛冶場の隅の剣の山は、あの人がこの谷で変えたものの目方に見えた。


俺はグンナルの言葉を、館への道々考えていた。


刃の向きを変えない。鎌は麦のための刃、剣は人のための刃。俺の剣は王国のもので、騎士の誓いのものだった。それがあの広間で、あの人のために抜かれた。刃の向きは、もう変わっている。変えた剣であの人を守れたか。守れなかった。抜いても納めても、何も守れない。刃の向きを変えるだけでは人は守れないことを、俺は剣で学んだ。グンナルは最初から知っている。鍛冶屋の方が、騎士より先に答えに着いていた。


鋤と剣は、同じ鉄から打たれる。同じ鉄が土を起こしもすれば、人を突きもする。向きを決めるのは鉄ではなく、持つ手だ。谷は今朝、持つ手の向きを選んだ。


護送の発つ刻限が近づいていた。


館の前庭には、もう人が集まり始めている。護衛の馬が6頭、鞍を置いて繋がれていた。護送は6騎、残りの6騎は谷に残るらしい。ハイラムの読みどおりだ。箱馬車が1台、館の脇から回されてくる。峠を越えて来たときと同じ形で、あの人は発つことになる。谷の入り口には、引き継ぎの帳面を抱えたブレヒトが立っていた。その後ろにヘルガと司祭。ゲルダ婆さんとテオ。剣を置いてきた残党たち。武器は誰の手にもない。だが、誰も見送るだけの顔ではなかった。


ハイラムとヴェンツェルは詰所の前に立っていた。行かない側だ。谷と、残る6騎の見張りとを、素手で預かる側。ハイラムが俺へ顎を引く。行けとも任せたとも取れる仕草だった。


その顔の群れを見て、第三の形の輪郭が見え始めた。


武器ではない。刈り入れでもない。ついていく。あの人が王都へ歩くなら、谷も歩く。剣を抜かず、鎌を研がず、その道を一緒に歩く。立ち会う、という形の抗いだ。武器を取るなという命令は守る。いつも通りの朝を続けろという命令は破る。2つを同時に成り立たせる形が、谷の足に宿ろうとしている。誰かが決めた段取りではない。昨夜の篝と同じで、谷が自分の足で選んでいく形だ。


その形に、まだ名前はなかった。


護送なら、谷は道の外で見送る。叛逆なら、谷は武器を取る。どちらでもない形を、谷はこれから足で作る。それが許されるのか、護衛の6騎が黙って見過ごすのか、俺には読めない。読めないまま、鎌を置いた手と剣を下ろした腰が、館の前庭へ集まってくる。


あの人が、前庭に出てきた。


藍の上着で、いつものように。前庭に集まった谷を一度見渡し、武器のない手の群れをゆっくり見る。それから、何も言わなかった。命令に半分背いたままの谷を、あの人はもう咎めない。咎めても聞かれないと知っていたのか、別の何かを読んだのか——外からは、いつもどおり何も読めない。


あの人は箱馬車の方へ歩いていく。その背中の後ろを、谷がついていこうとしていた。鎌を置いた手で。剣を下ろした腰で。俺も歩く。護送役として、谷の者として——どちらの足で歩くことになるのかは、道の上で決まるのだろう。それが護送になるのか、行進になるのか。決めるのは王都の6騎ではなく、谷の足だった。

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