第27羽「この長い耳に聞こえる声は」
老人の問いかけは、広間の中に静かに響いた。
「お前の心にある真実は何だ」
その声は決して厳しくはなかった。
責めるでもなく、試すでもなく、ただ、フィーネという一人の少女の心に、最後の答えを委ねるような声だった。
広間の中の誰もが、言葉を失っていた。
母親は涙に濡れた目で娘を見つめている。
父親は唇を噛みしめながら、その小さな背中を見つめている。
弟は不安そうに、けれどまっすぐに姉を見つめていた。
フェルマも、胸の前でそっと手を組み、祈るようにその瞬間を待っている。
そしてミッツーは、ただ静かに隣に立っていた。
いつものように。
十年前から、ずっとそうしてきたように。
フィーネの手を、しっかりと握りながら。
⸻
フィーネはうつむいた。
長い灰色の髪がさらりと肩に落ちる。
涙がぽたり、ぽたりと大理石の床に落ちていく。
自分の胸の中にあるものを、確かめるように。
自分の心の声を、そっと聴くように。
本当の家族。
ずっと探してきた言葉だった。
どこかにいるはずの家族。
自分を生んでくれた人たち。
なぜ別れなければならなかったのか、その理由。
知りたかった。
会いたかった。
抱きしめてもらいたかった。
そして今、そのすべてが目の前にある。
母親の温もり。
父親の涙。
弟の存在。
疑う余地などない。
この人たちは、自分の本当の家族だ。
その事実を知ったことは、何よりも嬉しかった。
胸の奥にぽっかりと空いていた場所に、ようやく温かな光が差し込んだようだった。
ずっと探していたものを、ようやく見つけることができたのだ。
⸻
でも――
フィーネは、自分の手の中にあるぬくもりを感じていた。
大きな手。
少し硬くて、何度も剣を握り、傷跡の残る、頼もしい手。
十年前、森の中で初めて差し伸べられた手。
怖くて、寂しくて、泣いていた自分を、何も言わずに抱き上げてくれた手。
転んだ時、起こしてくれた手。
眠る前、優しく毛布を掛けてくれた手。
ずっと。
いつも。
どんな時でも。
この手は、そこにあった。
⸻
フィーネの胸の中で、たくさんの景色が溢れ出した。
森の中で見上げた優しい笑顔。
初めてリンゴを食べた日のこと。
無邪気に笑ったこと。
怖い魔物に震えた夜。
焚き火のそばで眠ったこと。
宿決定戦でいつも勝って、父さんが困ったように笑っていたこと。
噴水に落ちて泣いた幼い日のこと。
レティシアと出会った日。
ルナのこと。
キャリーのこと。
悲しいこともあった。
辛いこともあった。
寂しいこともあった。
でも、そのどの景色にも、
必ず隣に父さんがいた。
「…フィーネ」
小さく呟いたミッツーの声。
そう、この長い耳に聞こえる声は、
いつだって、
その優しく呼ぶ声。
その力強く呼ぶ声。
その励ますように呼ぶ声。
その困ったように笑いながら呼ぶ声。
ーお前はもう一人じゃない。
大丈夫だ、父さんがついてる、
何があってもな。ー
その声を聞くだけで…!
⸻
フィーネはゆっくりと顔を上げた。
涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、それでもまっすぐに前を見つめる。
青い瞳には、揺らぎのない光が宿っていた。
「……全部、分かりました」
その声は震えていた。
けれど、一言一言に確かな想いが込められていた。
「一族のことも……私がどうして森にいたのかも……」
フィーネは母親を見た。
「お母さん」
父親を見る。
「お父さん」
二人の肩が、小さく震える。
「この人たちが、私の本当の家族なんだって、ちゃんと分かりました」
涙が次から次へと頬を伝う。
「やっと会えて……本当に、本当に嬉しいです」
母親は両手で口元を押さえた。
父親の瞳から、再び涙が溢れる。
フィーネは微笑んだ。
泣きながら。
声を震わせながら。
「追放されたことも……恨んでいません」
広間の空気が静かに揺れる。
「むしろ……」
フィーネは隣のミッツーを見上げた。
その瞬間、顔いっぱいに涙を流しながら、まるで幼い頃のように、無邪気に笑った。
「むしろ、良かったとさえ思います」
母親も父親も、息を呑む。
フィーネの声が、広間いっぱいに響いた。
「だって――」
握っていた手に、ぎゅっと力を込める。
「父さんと出会えたから!!」
⸻
その瞬間、フィーネの中にあったすべての想いが、堰を切ったように溢れ出した。
「血の繋がりは、確かに本当の家族です!」
涙で声がかすれる。
それでも止まらない。
「でも…!……でも…」
胸の奥から湧き上がる想いを、
抑えることなどできなかった。
「本当の家族って、それだけじゃないと思います…」
広間の誰もが、ただその言葉を聞いていた。
フィーネは震える声で、けれどはっきりと言った。
「私は――」
一度大きく息を吸い込む。
そして、自分の心の真ん中にある答えを、
全身で叫ぶように告げた。
「“私の父さん”と、心で繋がっている“本当の家族”です!!」
⸻
涙が滝のように溢れた。
止まらなかった。
胸の中の愛情も、
感謝も、
嬉しさも、
寂しさも、
すべてが一緒になって溢れ出していた。
フィーネは泣きながら、言葉を続けた。
「この十年……幸せでしかありませんでした!」
声が震える。
「不安でも!」
「怖くても!」
「寂しくても!」
「痛くても!」
「寒くても!」
「お腹が空いても…」
涙と鼻水で顔はぐしゃぐしゃだった。
それでも、笑っていた。
「それでもずっと……ずっと……幸せでした!!」
広間に、嗚咽が広がる。
母親は膝から崩れ落ちていた。
両手で顔を覆い、声を上げて泣いている。
父親も涙をこらえることができず、肩を震わせていた。
フィーネの言葉が、
十年間のすべてを教えてくれた。
娘は苦しみながら生きたのではない。
愛されて、
守られて、
幸せに生きてきたのだ。
それ以上に嬉しいことなどなかった。
⸻
フィーネは二人を見つめた。
涙で滲む視界の中、それでもしっかりと笑った。
「お父さん、お母さん」
その呼びかけに、二人は顔を上げる。
「私を生んでくれて、ありがとう」
母親の唇が震える。
「父さんと出会わせてくれて……ありがとう」
その言葉に、母親は泣き崩れた。
父親も両手で顔を覆った。
悲しみではない。
感謝と、安堵と、愛情の涙だった。
⸻
ミッツーの目にも、いつの間にか涙が溢れていた。
この子は、自分の娘だ。
血の繋がりなど関係ない。
十年間、一緒に笑って、
泣いて、
旅をして、
生きてきた。
誰よりも大切な存在。
誰にも渡したくない、かけがえのない娘。
その想いが、胸いっぱいに広がっていた。
⸻
「私は!!」
フィーネは叫んだ。
そして、勢いよくミッツーに飛びついた。
ミッツーは驚きながらも、すぐにその小さな体をしっかりと抱きとめる。
フィーネはミッツーの胸に顔を埋め、
子供のように泣いた。
わんわんと。
声を上げて。
嬉しくて。
安心して。
愛しくて。
そして顔を上げる。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃのまま、それでも世界で一番眩しい笑顔を浮かべた。
「これからも父さんと旅をする!!」
その言葉に、ミッツーは泣き笑いの顔で頷いた。
「……ああ」
涙を拭いながら、愛娘の顔を見つめた。
そして、いつものように、優しく頭を撫でる。
「そうだな、…フィーネ」
その声には、無限の優しさが込められていた。
「どこへだって、一緒に行こう」
フィーネの耳が嬉しそうにぴんと立つ。
それ以上の言葉はいらなかった。
フィーネは満面の笑みで叫ぶ。
十年前のあの日と同じように、無邪気で、そして何より幸せに満ち溢れた声で。
「父さん! 次はどこ行く⁉︎」
完
本編はここで完結です。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
ここから、エピローグ、後日談、の2羽が続きます。
その後、外伝(5話)も投稿します。




