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第25羽「語られる真実と試練」

挿絵(By みてみん)


「よく戻って来た、フィーネよ」


ローブを纏った老人の静かな声が、広間の中にゆっくりと広がった。


その声には、驚きも、疑いもなかった。


まるで、いつか必ずこの日が来ることを知っていた者のように。


まるで、長い長い冬の果てに、ようやく春が訪れたことを確かめるように。


その言葉が響いた瞬間だった。


「フィーネ……!」


女性が堪えきれないように駆け出した。


灰色の長い髪。

青い瞳。

そしてフィーネと同じ、長いうさぎ耳。


その顔を見た瞬間、フィーネの胸の奥で何かがはっきりと形を結んだ。


――この人だ。


理屈ではなかった。

説明もいらなかった。


目の色。

耳の形。

声の震え。

そして、自分を見つめるその表情。


そのすべてが、言葉よりも先に答えを伝えていた。


この人は、私のお母さんだ。


女性はそのままフィーネを強く抱きしめた。


「おかえりなさい……おかえりなさい、私のフィーネ……!」


声は涙で震えていた。


細い肩が小刻みに揺れている。


腕に込められた力は、十年という歳月を埋めようとするかのように強かった。


失っていた時間を、一瞬で取り戻そうとするように。



フィーネはその腕の中で、じっと目を見開いていた。


温かい。


懐かしいような、知らないような、不思議なぬくもり。


胸の奥で、忘れていた記憶の欠片が微かに揺れる。


優しい手。

柔らかな声。

膝の上で眠ったような遠い感覚。


確かに感じる。


この人は、本当に自分の母親だ。


視線を上げると、少し離れた場所に立つ男性がいた。


同じ灰色の髪。

同じ青い瞳。


父。


口元を震わせながら、必死に涙をこらえている。


その隣には、小さな男の子。

不安そうに、しかし興味深そうにこちらを見つめている。


弟。


その言葉が自然と胸に浮かんだ。


――これが、私の本当の家族。


十年間探し続けた答えが、今、目の前にあった。


ずっと知りたかったこと。

ずっと会いたかった人たち。


それなのに――。


フィーネの胸の中に最初に湧き上がった感情は、喜びだけではなかった。


戸惑い。

驚き。

そして、どうしようもない違和感。


この人たちは確かに自分の家族だ。


でも。


「家族」という言葉を思い浮かべたとき、

最初に浮かぶ顔は、別の人だった。


森の中で手を差し伸べてくれた人。

何度も頭を撫でてくれた人。

怖い時に「大丈夫だ」と言ってくれた人。


父さん。


フィーネはそっと母親の肩に手を置いた。


優しく、傷つけないように。

感謝を込めて。


そしてゆっくりと身体を離した。


母親の腕の力がふっと緩む。


涙に濡れた青い瞳が、不思議そうに揺れた。


フィーネは一歩退がり、迷うことなくミッツーの隣へ戻った。


そして、ぴたりとその横に立つ。


まるで、それが自分のいるべき場所であるかのように。



ミッツーは、その一連の動きを黙って見つめていた。


胸の奥に、複雑な感情が押し寄せる。


ここまで連れてきた。


ずっと探し続けた家族と、ついに再会した。


それは間違いなく喜ばしいことだった。


だが同時に、どこかで恐れていた。


もしこの瞬間、フィーネの心が自分から離れてしまったらどうしよう。


もし本当の家族のもとへ戻り、自分の役目が終わってしまったら。


そんなことを考えてしまう自分を、情けないとも思っていた。


だが――。


フィーネは、迷うことなく自分の隣へ戻ってきた。


小さな手が、震えながらも自分の手を探す。


ミッツーはその手をしっかりと握った。


温かい、いつもと同じ、小さな手。


その瞬間、胸の奥に張りつめていたものが静かにほどけた。


嬉しかった。


そして、胸が締めつけられるほど愛おしかった。


この子は、本当の家族を見つけてもなお、自分を父と呼んでくれる。


その事実が、何よりも心に沁みた。


ミッツーは何も言わなかった。


ただ、いつものように隣に立ち、いつものようにその手を握り続けた。


それが今の自分にできるすべてだった。



フィーネの母親は、その様子を見つめていた。


一瞬、青い瞳が大きく見開かれる。


驚き。

戸惑い。

そして、胸を刺すような痛み。


当然だった。


十年もの間、毎日毎日会いたいと願ってきた娘。


ようやく抱きしめることができた、その娘が、

真っ先に戻ったのは、自分のもとではなかった。


けれど、次の瞬間、その痛みを包み込むような別の感情が湧き上がった。


安堵。


この子は、一人ではなかった。


捨てられたのではない。

孤独に泣きながら生きてきたのではない。


こんなにも優しい目をした男に、大切に育てられてきたのだ。


そのことが分かった瞬間、胸の奥からあふれてきたのは感謝だった。


母親は涙を拭いながら、ミッツーへ深く頭を下げた。


まだ言葉にはできない。


ありがとうという一言では到底足りない。


それでも、その眼差しにはすべての思いが込められていた。



やがて老人が、一歩前へと進み出た。


白い髭を胸まで垂らし、長い年月を生きてきた瞳が静かにフィーネを見つめる。


その眼差しは、まるで遠い過去そのものを見つめているようだった。


「そうじゃな……」


老人の声は低く、深く、古い鐘の音のように広間へと響いた。


「すべてを話そう」


老人は杖を軽く床に打ちつけた。


乾いた音が石造りの部屋に反響する。


「遥か、古のことからな」


そして、その語りは始まった。



「はるか千年以上の昔――」


老人の声は、まるで神話を吟じる詩人のようだった。


「我らの祖先は、大空に浮かぶ島に王国を築いた」


フィーネの脳裏に、雲海の上に浮かぶあの巨大な浮遊島の光景が浮かぶ。


緑豊かな大地。

白い宮殿。

風に揺れる旗。

跳ねるように走り回るうさぎの民。


「その国は平和であった。穏やかで、豊かで、永く安寧の時代を謳歌していた」


老人の声は、遠い夢を語るように柔らかかった。


「やがて、我らは地上の民とも交流を持つようになった」


その時、老人の声に影が差す。


「そしてある日――地上より、一つの赤き果実がもたらされた」


フィーネの耳がぴくりと動く。


赤い果実。


リンゴ。


旅の中で何度も食べた、大好きな果物。


「時の王がそれを口にした時、異変は始まった」


老人の声が静かに低くなる。


「高熱に倒れ、その身には赤き紋様が浮かび上がった」


「民は恐れた。果実の呪いだと」


広間の空気が重くなる。


「王が床に伏す間、国は乱れた。王座を狙う者たちの野心によって」


「そして王とその一族は、呪われし血と断じられた」


老人の瞳がフィーネへ向けられる。


「その名こそ――ラビッシュ」


フィーネの胸が大きく震えた。


ミッツーの手を握る指先に力がこもる。


「やがてその名は歪められ、ラビーシャとなり、“追放者たち”を意味する言葉となった」


すべてが繋がる。


吟遊詩人の歌。

エレノアの語った伝承。

自分の姓。

失われた記憶。


そのすべてが、一本の糸になって胸の中で結ばれていく。



老人の語りは続く。


「追放された王族は、このエルダール山脈の奥深くへと逃れた」


「ここに村を築き、街となり、やがて再び国となった」


「だが、呪いは終わらなかった」


老人の声がさらに重みを帯びる。


「およそ百年に一度、王の直系に赤き紋様を宿す子が生まれた」


フィーネの呼吸が止まる。


「民はその子を恐れた」


母親の肩が震える。


父親は唇を噛みしめる。


「そして七歳の年、国の外へと追放した」


フィーネの視界が揺れた。


七歳。


自分が森にいた年齢。


すべてが、そこに繋がる。


「もし生きて戻ることができれば、呪いを克服したと見なす」


老人は静かに目を閉じた。


「だが……これまで戻った者は、一人としておらなんだ」



そこまで聞いて、フィーネはようやく理解した。


なぜ、自分はあの森にいたのか。


なぜ、一人だったのか。


なぜ、ずっと探し続けていたのか。


すべての答えが、今ここにあった。


胸の奥に熱いものが込み上げる。


悲しい。

悔しい。

でも、不思議と孤独ではなかった。


隣には、変わらずミッツーがいる。


その大きな手を、フィーネはさらに強く握った。


ミッツーもまた、何も言わずにその手を握り返す。


フィーネは目を閉じた。


七歳のあの日、森の中で泣いていた自分。


そして、そこへ現れた一人の冒険者。


もしあの日、父さんと出会っていなかったら。


今の自分はいなかった。


本当の家族を知ったこの瞬間でさえ、心が一番安らぐ場所は変わらない。


フィーネはそっとミッツーの肩に寄り添った。


そして心の中で、静かに呟いた。


――父さん。


ありがとう。



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