表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
23/28

第23羽「ギルドのうさぎ耳の女性」

挿絵(By みてみん)


翌朝、フィーネはふかふかの羽毛布団の中でゆっくりと目を覚ました。


頬に触れる枕は驚くほど柔らかく、身体を包み込むクッションはまるで雲のようだった。


淡い花柄のシーツ、窓辺に吊るされたレースのカーテン、小さなテーブルの上に飾られた野の花。


昨夜の宿決定戦は、結局いつも通りフィーネの勝利だった。


「父さんの選んだ宿、ちょっと渋すぎるんだもん」


昨夜そう言って胸を張ったフィーネに、ミッツーは肩をすくめて笑った。


「やっぱりこうなるんだな」


呆れたようでいて、どこか嬉しそうなその顔を思い出し、フィーネは布団の中で小さく笑った。


こういう何気ないやり取りが、たまらなく好きだった。


世界のどこにいても、どんなに大きな不安を抱えていても、父さんと一緒なら、いつもの朝がやってくる。


それだけで、心が少し軽くなる。


ベッドから起き上がり、窓を開ける。


朝の澄んだ空気が部屋に流れ込み、遠くから馬車の車輪の音と人々の話し声が聞こえてきた。


今日から、いよいよ最後の道のりだ。


フィーネは胸元のロケットペンダントにそっと触れた。


「…ルナ…行こう」


小さく呟き、自分に言い聞かせるように微笑んだ。



朝食を終え、二人は馬車乗り場へ向かった。


市場には焼きたてのパンの香りが漂い、商人たちの威勢のいい声が飛び交っている。


街はいつも通り穏やかで、旅人を送り出す朝の光に満ちていた。


その温かな風景とは対照的に、フィーネの胸の奥では、静かに鼓動が速くなっていた。


エルディアース。


そこには、自分の過去があるかもしれない。


本当の名前。

本当の家族。

失われた記憶。


ずっと追い求めてきたものが、すぐそこまで迫っている。


でも同時に、怖かった。


もし何も見つからなかったら。


もし、すべてが自分の想像とは違っていたら。


もし――。


そこまで考えたとき、不意に大きな手が頭に置かれた。


「大丈夫だ」


ミッツーの穏やかな声。


フィーネが顔を上げると、父の優しい眼差しがそこにあった。


「父さんがついてる。何があってもな」


その言葉を聞いた瞬間、張りつめていた胸の奥がふっとほどけた。


熱いものが込み上げてくる。


そうだ。


ずっとそうだった。


森で出会ったあの日から、父さんはいつだって自分の隣にいてくれた。


怖い時も、泣きたい時も、嬉しい時も。


一人だと思ったことは、一度もなかった。


フィーネは唇をきゅっと結び、それから安心したように微笑んだ。


「……うん」


その声は少し震えていたが、もう先ほどまでの不安はなかった。



馬車に揺られながら、三日が過ぎた。


途中で野営をし、小さな村を二つ通り抜ける。


夜空を見上げ、焚き火を囲み、朝露の道を進む。


旅の時間は、静かに、しかし確実に目的地へと近づいていった。


そして四日目の午後。


馬車の窓から見える遥か彼方に、巨大な城壁と白い街並みが現れた。


エルディアース。


フィーネの呼吸が止まった。


胸の鼓動が耳の奥で鳴り響く。


手のひらにじっとりと汗が滲む。


無意識にロケットを強く握りしめていた。


あの街のどこかに、自分の過去がある。


そう思った瞬間、期待と不安が一度に押し寄せてきて、胸が苦しくなった。



馬車がゆっくりと停車する。


扉が開き、人々が次々と降りていく。


フィーネは立ち上がったものの、すぐには足が動かなかった。


あと一歩踏み出せば、すべてが変わるかもしれない。


そう思うと、足が鉛のように重かった。


すると、先に降りたミッツーが振り返り、静かに手を差し出した。


「おいで」


その笑顔を見た瞬間、フィーネの胸の中にあった恐れは、陽だまりの雪のように溶けていった。


フィーネはぱっと顔をほころばせ、その手に飛びついた。


「うん!」


しっかりと握られた温かな手。


それだけで、どこへでも行ける気がした。



「まずはギルドだな」


街の喧騒の中を歩きながら、ミッツーが言う。


「登録しておけば情報も集めやすい」


「うん。それに……」


フィーネは少し表情を明るくした。


「もしかしたらレティシアから手紙も届いてるかもしれないよね」


「ああ、そうだな」


その言葉に、フィーネの心が少し和らぐ。


大切な人たちが、自分の旅の続きを見守ってくれている。


そう思うだけで、勇気が湧いてきた。



エルディアースの冒険者ギルドは、これまで訪れたどの街よりも大きかった。


広いホールには冒険者たちの声が飛び交い、依頼書が並ぶ掲示板の前には人だかりができている。


フィーネは緊張しながら受付へ進んだ。


「お名前をどうぞ」


受付係の問いに、フィーネはいつものように胸を張った。


「フィーネ・ラビッシュです!」


その瞬間だった。


少し離れた場所で書類を整理していた一人の女性が、はっと顔を上げた。


長い灰色の髪。


青みがかった瞳。


そしてフィーネと同じ、長いうさぎ耳。


その女性――フェルマの手がぴたりと止まった。


瞳が大きく見開かれる。


まるで信じられないものを見たように。


唇がわずかに震え、息を呑む音が聞こえた気がした。


「……ラビッシュ?」


かすかな呟き。


その声には驚きだけでなく、戸惑いと、そして押し殺した感情が滲んでいた。


フェルマはフィーネを見つめたまま、次の言葉を探しているようだった。


目の奥で、何かが激しく揺れている。


懐かしさ。

驚愕。

そして、長い間待ち続けていた者だけが見せるような、切実な感情。


しかし彼女は一度深く息を吸うと、すぐに穏やかな微笑みを作った。


完璧に見える笑顔。


けれど、その笑顔の裏で、胸が大きく波打っていることをフィーネは知らなかった。


フェルマはゆっくりと歩み寄った。


「あなた……ラビッシュとおっしゃるの?」


フィーネは不思議そうに瞬きをした。


「はい」


「どこから来たの?」


「ベルフォードです。父さんと出会った森の近くの街です」


その答えを聞いた瞬間、フェルマの表情がもう一度揺れた。


瞳が震え、喉が小さく上下する。


ほんの一瞬、言葉を失ったように立ち尽くす。


遠い記憶と、今目の前にいる少女とが重なったのだろう。


だがすぐに、彼女は微笑みを取り戻した。


「……そう。随分遠くからいらしたのね」


声は穏やかだったが、わずかに震えていた。


「もしよろしければ、旅のお話を聞かせていただけないかしら?」


フィーネはミッツーを見上げた。


ミッツーもまた、フェルマをじっと見つめていた。


一見落ち着いているが、その目は鋭く、相手の内面を見極めようとしている。


二人は無言で視線を交わした。


――この人は何か知っている。


そう確信していた。


ミッツーは少しだけ考え、それから静かに頷いた。


「お話を伺います」


フェルマの表情に、ほっとしたような色が浮かんだ。


「ありがとう。こちらへ」



案内されたのは、ギルドから少し離れた静かな小さな家だった。


扉を開けた瞬間、ミッツーはわずかに目を細めた。


家の奥から、かすかな魔力の気配を感じたのだ。


強力なものではない。


だが確かに、何かがある。


結界のような、守りのような、懐かしい気配。


ミッツーはそれに気づいたが、あえて何も言わなかった。


今は、フィーネのための時間だ。


二人はテーブルについた。


フェルマはしばらく黙って立っていた。


胸の前で両手を重ね、何度か息を整える。


これから語る言葉の重みを、自分自身に言い聞かせているようだった。


やがて彼女は椅子に腰を下ろし、静かに口を開いた。


「私の名前はフェルマ」


その声には、覚悟が宿っていた。


「突然ごめんなさいね」


一度目を伏せ、そしてまっすぐフィーネを見つめる。


その瞳には、涙の光がかすかに揺れていた。


「実は……あなたたちを案内したい場所があるの」


フィーネの背筋が伸びた。


フェルマは続ける。


「ここから何日も歩き、エルダール山脈の奥深くにある街よ」


その言葉を聞いた瞬間、フィーネとミッツーは同時に息を呑んだ。


そして、顔を見合わせる。


あの結界の街。


ずっと探し続けてきた、すべての答えが待つ場所。


ついに、その扉が開こうとしていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ