第18羽「謎と甘味とお腹グゥー」
「……もし、俺の推理が正しいとしても」
窓の外では、夕日に照らされた海がきらきらと輝いている。
セレーナ・テラスのかわいらしいカフェの窓際席。
リンゴのタルトの皿はすっかり空になり、三人の前には紅茶の湯気が静かに立ちのぼっていた。
先ほどまで笑い声で満ちていた空気は、ミッツーの低い声とともに、再び少しずつ張りつめていく。
フィーネはレティシアの手を握ったまま、真剣な表情で父を見つめた。
「どういうこと?」
ミッツーは腕を組み、慎重に言葉を選ぶ。
「フィーネの一族が、かつて追放された者たちの末裔だとする」
「うん……」
「そして、エルダール山脈の奥にある結界の街が、その子孫たちの暮らす場所だとする」
レティシアも静かに頷いた。
「それなら、たしかに多くのことは説明できる」
ミッツーは少しだけ視線を落とした。
「だが、一番大事なことが説明できない」
フィーネの耳がぴくりと動く。
「……一番大事なこと?」
ミッツーはゆっくりとフィーネを見つめた。
「なぜ、お前はそこから外へ出て、一人で森にいたんだ?」
その一言に、フィーネの胸がどくりと鳴った。
十年前。
森の中で、一人泣いていた幼い自分。
そして、差し伸べられた大きな手。
――大丈夫だ。
――もう安心していい。
ミッツーの言葉が、あの日の記憶を呼び起こす。
「それに……」
ミッツーの声はさらに低くなった。
「もし結界の街が本当に存在していて、家族がお前を大切に思っているなら、なぜ誰も探しに来ない?」
レティシアが息を呑む。
フィーネの青い瞳が小さく揺れた。
「……」
「ただの迷子ではないのかもしれない」
ミッツーはそう言ったあと、苦しそうに眉を寄せた。
「もちろん、まだ何も分からない。偶然かもしれないし、何か事情があったのかもしれない」
フィーネは胸元のロケットペンダントを握りしめた。
ルナの写真の温もりが、少しだけ不安を和らげてくれる。
けれど、その心の奥では、小さな恐れがゆっくりと広がっていた。
もし――
自分が森にいたのは、偶然ではなかったとしたら?
もし――
家族には、自分を探せない理由があったとしたら?
もし――
それが、あまり良い理由ではなかったとしたら?
「……」
誰も言葉を発さない。
店の中のざわめきが、遠くに聞こえる。
カップの中で紅茶が静かに揺れる。
窓の外では、カモメの鳴き声と波音だけが響いていた。
重たい沈黙。
フィーネは膝の上で手をぎゅっと握る。
レティシアも、何か言おうとして言葉を見つけられない。
ミッツーも、ただ静かに娘を見つめていた。
そして――
ぐぅぅぅぅぅ。
店内に、やけに元気な音が響いた。
「……」
「……」
「……」
フィーネの顔が、みるみるうちに真っ赤になる。
「……えへ」
次の瞬間。
「ぷっ……!」
レティシアが吹き出した。
「ふふっ……!」
ミッツーも肩を震わせる。
そして三人とも、ついに声を上げて笑い出した。
「あはははは!」
「もう、フィーネったら!」
「こんなタイミングで鳴るか普通!」
フィーネは耳をぺたんと下げ、頬を押さえる。
「だ、だって……さっきいっぱい考えたら、お腹すいちゃって……」
「いっぱい考えるとお腹がすくのか」
「うん!」
「即答だな」
レティシアは涙を浮かべながら笑っていた。
「フィーネらしい……!」
フィーネは少し照れながらも、ぱっと顔を上げた。
「よし!」
「よし、じゃない」
「気を取り直して、もう一個頼もう!」
「おいおい」
ミッツーが慌てて止めようとする。
「さすがに食べすぎじゃないか?」
「大丈夫!」
「その『大丈夫』は信用ならない」
「レティシアも食べるよね?」
レティシアは一瞬考えたあと、にっこりと笑った。
「うん、食べる!」
「よし!」
「よし、じゃない」
かくして、二人の前には新しいスイーツが並んだ。
フィーネはふわふわのパンケーキ。
レティシアはベリーのタルト。
ミッツーは額を押さえながらも、どこか楽しそうだった。
「父さんも一口食べる?」
「少しだけもらおう」
「はい、あーん」
「自分で食べる」
「ちぇー」
張りつめていた空気は、いつの間にかすっかり和らいでいた。
⸻
店を出るころには、夕方の海風が心地よく吹いていた。
白い石畳の道を、三人は並んで歩く。
フィーネとレティシアは、先ほどまでのスイーツの感想を楽しそうに話している。
「パンケーキ、ふわっふわだった!」
「ベリーのタルトもすごくおいしかったよ」
「今度また来ようね!」
「うん!」
しばらくして、フィーネが少しだけ声の調子を落とした。
「でも……」
レティシアが優しく見つめる。
「うん」
フィーネは夕焼けに染まる海を見ながら言った。
「ちょっと怖いかも」
その言葉は小さかったが、確かな本音だった。
ミッツーが静かに歩調を合わせる。
「怖くて当然だ」
フィーネは耳を少し伏せた。
「もし、私の家族に何かあったんだとしたら……」
レティシアはそっとフィーネの手を握った。
「一人じゃないよ」
ミッツーも穏やかに微笑む。
「そうだ。俺もいる」
フィーネは二人の顔を見て、ゆっくりと笑った。
「……うん」
夕焼けの空の下、その笑顔は少しだけ大人びて見えた。
⸻
その夜、フィーネとミッツーはレティシアの泊まっている宿に泊まることにした。
広い食堂では、新鮮な魚料理や温かいスープが並ぶ。
「このお魚おいしい!」
「ここのパンもすごくふわふわ」
「海の街の料理っていいね!」
食事の間も、三人の話は尽きなかった。
旅の失敗談。
珍しい景色。
船酔いしたミッツー。
川で泳いだフィーネ。
山道で転びそうになったレティシア。
何度も笑い声が響いた。
そして夜も更け、それぞれの部屋へ戻る時間になった。
「おやすみ、レティシア!」
「おやすみ。また明日!」
フィーネは手を振りながら、自分の部屋へ向かった。
⸻
部屋に戻ると、フィーネはパジャマに着替え、ベッドへ潜り込んだ。
窓の外からは、遠くの波音が静かに聞こえる。
ミッツーはランプの火を少し落とし、娘の枕元に腰を下ろした。
フィーネは布団の中から、そっと顔を出す。
「父さん」
「ん?」
青い瞳が、不安げに揺れていた。
「もし……」
フィーネは言葉を探しながら、小さな声で続ける。
「もし、本当に私の家族に何かあったんだとしたら……」
ミッツーは優しく頭を撫でた。
「どんなことが分かっても、お前はお前だ」
フィーネの耳がぴくりと動く。
「俺にとって、大切な娘だ。それは変わらない」
フィーネの表情が、少しだけ和らいだ。
「……うん」
その手の温もりを感じながら、フィーネは安心したように目を閉じる。
「父さん」
「なんだ?」
「いてくれて……ありがとう」
ミッツーは静かに微笑んだ。
「ああ」
それから数秒もしないうちに、フィーネの呼吸は穏やかになった。
すやすやと、安心しきった寝息。
ミッツーはしばらくその寝顔を見つめる。
不安もある。
謎もある。
だが、どんな真実が待っていても、この子を守りたい。
その思いは、あの日から何ひとつ変わっていない。
ミッツーはそっとフィーネの髪を撫でた。
窓の外では、潮風と波音が静かに夜を包んでいる。
そしてフィーネは、大切な父のそばで、穏やかな眠りへと落ちていった。




