表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
12/21

第12羽「父さんの目に映る景色」

挿絵(By みてみん)


 夜更けの宿は静かだった。


 窓の外では、街灯の明かりが石畳を淡く照らし、遠くで馬車の車輪の音がかすかに響いている。


 ベッドの向こうでは、フィーネがすやすやと眠っていた。


 灰色の髪が枕の上にふわりと広がり、長いうさぎ耳が片方だけ毛布の外に出ている。


 胸元には、銀色のロケットペンダント。


 小さな月と星の模様が、月明かりを受けて静かに光っていた。


 十年前、森の中で見つけた小さな少女。


 あの時は、こんな日が来るとは思ってもみなかった。


 ミッツーは椅子に腰掛け、温かいお茶をひとくち飲んだ。


 そして、眠るフィーネを見つめながら、静かに目を閉じる。



 あの日のことは、今でもはっきり覚えている。


 まだ駆け出しの冒険者だった頃。


 剣の腕も半人前。


 治癒魔法も、かすり傷をふさげる程度。


 依頼の帰りに立ち寄った森の中で、すすり泣く声を聞いた。


 草むらの奥で、小さな獣人の女の子が膝を抱えて震えていた。


 灰色の髪。


 泥だらけの服。


 擦り傷だらけの足。


 そして、大きな青い瞳。


 泣き腫らしたその目で、俺を見上げていた。


「家族と……はぐれちゃったの……」


 その声は、今にも消えそうなくらい弱々しかった。


 俺はその時、何を考えたんだったか。


 きっと、大したことは考えていなかった。


 放っておけなかった。


 ただ、それだけだ。


「よし。じゃあ、一緒に探そう」


 そう言った瞬間の、あの子の顔。


 涙で濡れていたはずなのに、太陽みたいにぱっと明るくなった。


「ほんと!?」


 あの笑顔を見た瞬間、もう後戻りはできなかった。



 最初の頃は、本当に必死だった。


 フィーネはまだ七歳。


 小さくて、軽くて、よく転び、夜になると時々家族を思い出して泣いた。


 そのたびに頭を撫でて、眠るまでそばにいた。


 そして、ようやく寝息が聞こえると、俺は宿の裏庭に出た。


 木剣を振る。


 汗だくになるまで振る。


 魔法書を読む。


 わからないところを何度も読み返す。


 治癒魔法の精度を上げる。


 防御魔法を覚える。


 もっと強くならなければ。


 もっと稼げるようにならなければ。


 この子を守らなければ。


 その一心だった。



 思い出はいくらでもある。


 初めて剣を持った日のこと。


 木剣を両手で持ちながら、


「重い……」


 とふらついていた。


 それでも負けず嫌いで、何度転んでも立ち上がった。


 初めて火の魔法が成功した日。


 指先に灯った小さな火を見て、


「できた!」


 と飛び跳ねた。


 耳までぴんと立っていた。


 初めてリンゴを丸かじりした日。


 あまりのおいしさに、


「世界で一番おいしい!」


 と叫んでいた。


 たぶん今でもそう思っている。


 十歳の朝、初めて「父さん」と呼ばれた日のことも忘れられない。


 驚いたが、あの時のフィーネの不安そうな顔を見て、理由を聞く気にはなれなかった。


 あの呼び名が、どれだけこの子の支えになっていたのか。


 今ならよくわかる。



 気づけば、フィーネは十七歳になっていた。


 身長も伸びた。


 剣の腕も立つ。


 魔法も使いこなす。


 上級クエストでも堂々と戦える。


 この前のストームグリフォン戦。


 あの時、俺は確かに反応が遅れた。


 昔なら避けられた一撃だったかもしれない。


 身体は正直だ。


 経験は増えても、時間は止まらない。


 ピークを過ぎたことを認めないわけにはいかなかった。


 だが、その直後。


 俺の前に立ったフィーネの背中。


「今度は、私が守る番!」


 そう叫んだ声。


 雷をまとった剣。


 真っ直ぐな眼差し。


 あの時の姿は、今でも胸に焼き付いている。


 誇らしかった。


 本当に。


 誇らしかった。



 もう、フィーネは一人でも旅ができる。


 剣もある。


 魔法もある。


 人を見る目も育った。


 レティシアのような友達もできた。


 困った時に助けてくれる人だって、少しずつ増えている。


 俺がいなくても。


 そう考えた瞬間、胸の奥がきゅっと痛んだ。


 それは、願っていたはずの未来だ。


 それなのに。


 その光景を想像すると、どうしようもなく寂しい。


 朝、隣で眠そうに目をこすりながら、


「おはよう、父さん」


 と言う声。


 宿選びで温泉を主張する姿。


 リンゴを見つけて飛び跳ねる耳。


 新しい景色を見て、子どものようにはしゃぐ笑顔。


 そして毎日のように聞く、あの言葉。


「父さん、次はどこ行く?」


 それがなくなる日が来るのかもしれない。


 そう思うだけで、胸の奥が静かに沈む。



 そして、もう一つの問題。


 フィーネの家族探しだ。


 正直に言えば、ここまで難航するとは思っていなかった。


 森で家族とはぐれた。


 最初は、それだけのことだと思っていた。


 ならば向こうも必死で探しているはずだ。


 どこかの街で、情報がつながると思っていた。


 だが、十年。


 余りにも長い。しかも、


 手がかりはほとんどなかった。


 ラビッシュという姓も、浮遊島まで一度も耳にしなかった。


 これは、どう考えてもおかしい。


 あの紋章。


 あの古代都市。


 伝承に歌われる耳長き王。


 もしラビッシュが王家、あるいはそれに連なる一族なら。


 フィーネはただの迷子ではない。


 何か別の事情がある。


 家族は本当に探していたのか。


 あるいは、探せなかったのか。


 もしかすると――。


 そこまで考えたところで、ミッツーは首を振った。


 憶測だけで結論を出すべきではない。


 だが、何か大きな事情が隠されているのは間違いない。



 フィーネが寝返りを打った。


「……父さん」


 寝言だった。


 思わず、ミッツーの口元に笑みが浮かぶ。


 椅子から立ち上がり、ベッドのそばへ行く。


 毛布を肩までそっとかけ直し、耳を潰さないように整える。


 昔から変わらない、いつもの仕草。


 額にかかる髪を優しく払う。


 青い瞳は閉じていても、あの日森で見た小さな少女の面影が残っている。


 この子の本当の家族を見つけてやりたい。


 それは、今でも変わらない。


 けれど。


 旅の終わりが来ることを、心のどこかで恐れている自分もいる。


 それでも。


 この子の幸せを願う気持ちだけは、何よりも確かだ。


「……どんな答えが待っていても」


 小さく呟く。


「最後まで、一緒に行く」


 フィーネは安心したように、小さく笑った。



 窓の外には、静かな月が浮かんでいた。


 十年前、たった一人で泣いていた少女。


 今では多くの思い出を抱え、仲間を増やし、強く優しい冒険者へと成長した。


 その姿を、ずっと隣で見てきた。


 それが何よりの宝物だ。


 たとえいつか、この旅が終わったとしても。


 この十年間が消えることはない。


 出会った日も。


 「父さん」と呼ばれた朝も。


 笑った日も、泣いた日も。


 すべてが、かけがえのない時間だ。


 ミッツーはもう一度、眠るフィーネを見つめた。


 そして静かに灯りを消す。


 明日になれば、また旅が続く。


 答えを探して。


 まだ見ぬ景色を求めて。


 この笑顔、この声とともに。


「…父さん、次はどこ…行く?ムニャ…」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ